リモートワーク時代にSECIモデルが機能しにくくなる理由
在宅勤務やハイブリッドワークが定着するにつれ、組織の知識創造を支えてきたSECIモデルが「うまく回らない」と感じる現場が増えています。オンライン会議中心の働き方では、雑談や偶発的な対話が生まれにくく、暗黙知を共有する共同化と、それを形式知へ変換する表出化のプロセスが分断されやすいと考えられています。本記事では、SECIモデルの理論的背景を振り返りながら、リモート・非同期環境に適した「デジタル版の場」をどう設計すべきかを整理します。

SECIモデルとbaの基本構造
SECIモデルは、個人の暗黙知を組織レベルで増幅し、共同化・表出化・連結化・内面化という循環を通じて新しい知識を創造するという考え方です。この知識創造は「ba(場)」と呼ばれる文脈に埋め込まれるとされ、場は物理的な空間に限らず、仮想的・心理的にも成立しうるとされています。つまり理論上は、オンライン環境であっても適切に設計されれば「場」は成立しうるはずですが、実務では対面前提の会議設計をそのままオンラインに移し替えているケースが多く、そこに齟齬が生じていると考えられます。
オンライン環境が共同化と表出化に与える二面性
オンライン会議環境に関する研究では、対面と比べてインフォーマルな対話が生まれにくく、共同化と表出化が分断される可能性が指摘されています。一方で、オンラインという媒介には心理的安全性を高めたり、対人的なノイズを減らしたりすることで、一部の共感形成を促進しうる側面もあるとされています。ただし同時に、伝わる情報量が乏しくなる、意味を汲み取るための認知的努力が増える、共有すべき文脈が伝わりにくくなるといった課題も伴います。この二面性を踏まえると、対面のやり方をそのまま再現しようとするのではなく、「何を減らし、何を意図的に補うか」を精密に設計することが重要になります。
メディア同期性理論から見た非同期優先・同期選択の考え方
この再設計を考えるうえで参考になるのが、メディア同期性理論です。この理論は、情報を持ち寄る「伝達」のプロセスと、意味をすり合わせる「収束」のプロセスでは、必要とされるメディアの同期性が異なる可能性があると説明します。この考え方をリモート・非同期の文脈に当てはめると、共同化の段階では低い同期性でも成立しうる豊富な痕跡共有を、表出化や意思決定の局面では必要なときだけ高い同期性に切り替える仕組みが合理的だと考えられます。これは「常に同期する」のではなく「非同期を基本とし、必要な場面でのみ同期する」という設計原理を裏づけるものです。
知識を作業対象に近づけるという発想
近年の研究では、会議の内容そのものよりも「知識をどこに置くか」が重要であるという指摘があります。会議の後に残る情報は、記録やタスクの想起、新メンバーの受け入れ、チームでの意味づけ、その後の協働の出発点として活用される一方で、通常のメモや録画だけではその橋渡しの役割を十分に果たせない可能性があるとされています。会議での発言や決定事項を、作業中の対象物(タスクや文書、図表など)に直接ひも付けて提示する仕組みは、共通認識の形成や作業のしやすさを高める可能性があると報告されています。つまり、チャットや動画をただ保存するのではなく、それらを実際の仕事の対象に「アンカー(紐づけ)」することで、共同化と表出化の質が変わりうるということです。
人と知の所在を見える化するという視点
知識の共有を支えるのは情報量だけではありません。遠隔での協働においては、コミュニケーションの頻度や一体感が「心理的な近さ」を介して関係の質に影響し、物理的な距離そのものよりもこの知覚された近さのほうが重要である可能性が指摘されています。また、トランザクティブ・メモリー・システムの研究では、専門性・信頼性・調整という三つの側面が、チームの知識がどれだけ実際に活用されるかを左右するとされています。誰が何を知っているかを見える化する仕組みを整えることは、共同化を単なる親密化の手段としてではなく、「人と知の所在を理解するプロセス」として捉え直すことにつながります。
AI活用の両義性と注意点
生成AIを共同化・表出化の支援に活用する動きも広がっています。遠隔協働の場にAIが仲介として入ることで、課題の遂行や心理的な負担、社会的なつながりの感覚が改善しうるという報告がある一方、AIが映像や発話を過度に演出・改変する場合には、信頼や評価を損なうリスクがあるとも指摘されています。この点を踏まえると、AIは要約・整理・検索・タグ付けといった補助的な役割にとどめ、人の発話や表情を「別人格のように見せる」方向では使わないという方針が妥当だと考えられます。
実務における再設計の方向性
以上を踏まえると、リモート・非同期環境向けのSECI再設計は、大きく三つの層で捉えることができます。第一に、短い動画や音声、画面録画、コメントなどを用いて、判断の背景や迷いといった暗黙知の周辺情報を共有する共同化層。第二に、それらの痕跡をAIで書き起こし・要点化したうえで、人がレビューしながら知識カードや決定ログへ段階的に変換する表出化層。第三に、曖昧性や利害対立、決定の不可逆性、未解決の議論量などが一定の水準を超えたときにのみ短時間の同期セッションを起動する同期化層です。この設計は、同期会議を「原則の場」ではなく「例外処理の場」として位置づけ直すものであり、非同期を基本としながらも、必要な場面では対話の質を確保するという考え方に基づいています。
先進的な企業の実務でも、非同期のワークフローを支えるために、あえて意図的な雑談の機会を制度として設けたり、事前に資料を共有したうえで会議を「収束の場」として使ったりする工夫が見られます。こうした事例は、非同期化の本質が「会議を減らすこと」自体にあるのではなく、「同期する時間を、非同期で準備された合意形成の場に変えること」にある可能性を示唆しています。
まとめと次の研究テーマ
リモート・非同期環境においてSECIモデルが機能しにくくなる背景には、共同化を支える「共感場」と表出化を支える「対話場」の設計が、対面を前提としたまま据え置かれているという構造的な課題があると考えられます。解決の方向性は、共同化を「偶発的な同席」から「意図的で軽量な痕跡共有」へ、表出化を「会議中の口頭説明」から「AIを補助としつつ人がレビューする段階的な形式知化」へと移行させることにあります。そのうえで、同期的なコミュニケーションは希少な資源として、必要な場面に絞って活用することが望ましいといえるでしょう。
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