AI研究

AIと脳の予測メカニズム徹底比較|Transformer vs 予測符号化理論

はじめに:予測する機械としてのAIと脳

現代のAI技術と人間の脳は、どちらも「予測」を中核に据えたシステムとして機能しています。ChatGPTに代表される大規模言語モデルは次の単語を予測し続けることで自然な文章を生成し、一方で人間の脳は神経科学者が「予測マシン」と呼ぶほど、常に次に起こる出来事を予測しながら世界を認識しています。

しかし、両者の予測メカニズムは表面的な共通点の裏に、根本的な違いを秘めています。本記事では、Transformer アーキテクチャによるAIの予測生成プロセスと、Karl FristonやAndy Clarkらが提唱する人間の予測符号化(Predictive Coding)理論を詳細に比較し、それぞれの予測生成・更新メカニズムの本質に迫ります。

Transformerモデルの予測生成メカニズム

自己回帰的な逐次予測プロセス

Transformerは2017年にVaswaniらによって提案された深層学習アーキテクチャで、現代の大規模言語モデルの基盤技術となっています。その予測メカニズムの核心は自己回帰的生成にあります。

モデルは入力テキストをトークン(単語やサブワード単位)に分割し、各トークンを高次元の埋め込みベクトルに変換します。そして複数のTransformer層を通過させることで、文脈を考慮した表現を構築していきます。

GPTシリーズのような生成モデルでは、過去のすべてのトークンを条件として、次に来る1トークンの確率分布を出力します。この処理は以下のステップで繰り返されます:

  1. 現在の文脈から次トークンの確率分布を計算
  2. 最も確率の高いトークン(または確率的サンプリング)を選択
  3. 選択したトークンを文脈に追加
  4. 新しい文脈で次のトークンを予測

このプロセスは文章の終端記号が生成されるまで継続され、一つ一つトークンを積み重ねて完全な文章を構築します。

Attentionメカニズムによる文脈理解

Transformerの予測精度を支えるのがマルチヘッドAttention機構です。この仕組みにより、各トークンは文脈ウィンドウ内の他のすべてのトークンとの関連性を計算し、重要な情報に注目しながら表現を更新できます。

例えば「太郎は公園で犬を見た。彼は…」という文脈で次の単語を予測する際、Attentionは「彼」が「太郎」を指していることを捉え、適切な予測を可能にします。この自己Attentionにより、長距離依存関係も効果的に学習できるのです。

予測更新は文脈追加のみ

重要な特徴として、Transformerは推論時にモデルの重みを変更しません。新しいトークンが生成されるたびに文脈が拡張されるだけで、予測誤差に応じた即座の内部修正は行われません。

モデルパラメータの更新は、訓練段階で大量のテキストコーパスに対するクロスエントロピー損失を最小化することで行われます。つまり、「予測生成」と「モデル更新(学習)」は完全に分離されたプロセスなのです。

人間の予測符号化システム

階層的生成モデルとしての脳

人間の脳を「予測マシン」として捉える予測符号化理論は、神経科学と認知科学の重要な理論的枠組みとなっています。Andy Clarkは「脳は本質的に予測する機械であり、トップダウンの期待や予測を用いて入力される感覚情報を常に説明しようと試みている」と述べています。

この理論では、脳内に階層的な確率モデルが存在し、高次の脳領域が低次レベルの活動や感覚入力に対する予測を生成すると考えます。視覚野を例にとれば、高次領域は「これは猫だろう」という予測を生成し、それに基づいて低次領域での活動パターンを予想します。

自由エネルギー原理と予測誤差最小化

Karl Fristonが提唱する自由エネルギー原理は、予測符号化を数理的に説明する包括的な枠組みです。Fristonによれば、脳は「自由エネルギー」(予測誤差に相当する量)を絶えず最小化するように動作します。

具体的なメカニズムとして、各階層には予測ニューロン(状態ユニット)と誤差ニューロンが存在するとされます:

  • トップダウン予測:高次レベルから低次レベルへ予測信号が送られる
  • ボトムアップ誤差:実際の入力と予測の差分が誤差として上位に伝達される
  • 予測の修正:誤差信号に基づいて高次の内部表現が更新される

このプロセスは反復的に行われ、予測誤差が十分に小さくなるまで各階層の状態が動的に調整されます。

リアルタイムの双方向更新

人間の予測符号化システムの最大の特徴は、知覚と学習が統一的な原理で説明される点です。

短期的には、ニューラル活動の動的更新により、リアルタイムで予測が修正されます。新しい感覚情報が入るたびに予測誤差が計算され、その誤差を「説明し尽くす」ように内部モデルが即座に調整されるのです。

長期的には、シナプス結合の可塑性により、繰り返し経験される統計的パターンに内部モデルが適応していきます。Fristonは「知覚推論と学習はいずれも脳内の自由エネルギーを低減する原理に基づいている」と述べており、両者は同じ誤差最小化メカニズムの異なる時間スケールでの現れと考えられています。

予測メカニズムの本質的な違い

アーキテクチャの対比

Transformerは多層のフィードフォワードネットワークで、情報は入力から出力へ一方向に流れます。自己Attentionにより広範な文脈を参照できますが、基本的には非循環的な構造です。

対して予測符号化モデルは、トップダウン予測とボトムアップ誤差が双方向に循環する再帰的アーキテクチャを持ちます。この循環により、予測と観測が反復的に照合され、収束するまで更新が続きます。

予測生成プロセスの相違

Transformerの予測は逐次的・決定論的です。各ステップで1トークンずつ確定させ、前方へ進んでいきます。一度生成したトークンを後から修正することはありません。

人間の脳では並行的・確率論的な予測が行われます。全階層で同時に予測が生成され、感覚入力との照合を通じて絶えず調整されます。また、予測は確定的な値ではなく確率分布として表現され、不確実性も明示的に扱われます。

誤差処理と更新メカニズム

最も重要な違いは予測誤差への応答方法にあります。

Transformerでは、推論時に予測誤差に応じたモデル修正は行われません。新トークンが文脈に追加されるだけで、内部パラメータは固定されたままです。学習フェーズでのみ、大量データに対する累積誤差を用いてパラメータが更新されます。

予測符号化システムでは、予測誤差が生じた瞬間にフィードバックが働き、予測を生成する内部状態がリアルタイムで修正されます。この継続的な双方向調整により、脳は刻々と変化する環境に柔軟に適応できるのです。

学習と適応の時間スケール

Transformerはオフライン学習を採用します。訓練段階で大規模データセットから統計的パターンを学習し、推論段階では学習済みの知識を固定的に使用します。新しい情報への適応にはファインチューニングなどの再学習が必要です。

人間の脳はオンライン学習を実現しています。日々の経験を通じてシナプス結合が徐々に調整され、環境の統計的性質に継続的に適応します。さらに注意メカニズムにより、重要な予測誤差に対してより強く学習するなど、柔軟な適応制御が可能です。

共通点と相補性

本質的な違いがある一方で、両システムには興味深い共通点も存在します。

どちらも過去の情報から未来を推定するという基本原理を共有しています。また、最適化の目標として誤差の最小化を掲げている点も共通です。Transformerの訓練における損失関数最小化は、広義には予測誤差の統計的低減であり、予測符号化の自由エネルギー最小化と概念的に通じるものがあります。

しかし、Transformerは大量データで事前学習された一方向的予測装置であるのに対し、脳は発達と経験で形成された内部モデルによる双方向的予測装置です。前者は静的な知識を効率的に展開するのに優れ、後者は動的な環境への実時間適応に長けています。

まとめ:予測の本質を理解する

Transformerベースの言語モデルと人間の予測符号化システムは、どちらも「予測」を中核とするものの、そのメカニズムには根本的な違いがあります。

Transformerは自己回帰的に次トークンを予測し、Attentionで広範な文脈を考慮しますが、推論時の内部修正機能は持ちません。一方、人間の脳は階層的な生成モデルを用いてトップダウン予測を生成し、予測誤差を双方向にフィードバックすることで、リアルタイムに内部状態を更新します。

この比較から、AIと生物学的知能の本質的な違いが浮かび上がります。現代のAIは「学習と推論の分離」というパラダイムの上に成り立っていますが、生物の脳は「知覚・学習・行動の統合」により環境と絶えず相互作用します。

今後のAI研究において、予測符号化の原理をより深く取り入れることで、環境変化への適応性や効率性が向上する可能性があります。同時に、Transformerの成功から学ぶことで、脳の計算原理への理解も深まるでしょう。予測メカニズムの研究は、AIと神経科学の架け橋として、両分野の発展に貢献し続けています。

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