はじめに――なぜ「ハルシネーション」を記号論で読むのか
AIが事実と異なる情報を断定的に出力する「ハルシネーション」と、統合失調症患者が聞く幻の声。一見まったく異質なこの二現象は、同じ言葉で呼ばれながら、比較されることがほとんどなかった。
本記事では、ソシュール・パース・バルト・メルロー=ポンティという四人の記号論・現象学の思想家の枠組みを使い、**「指示対象を持たない記号生成」**というコンセプトのもとで両者を構造的に比較する。
この視点が重要な理由はシンプルだ。AIの誤出力を「精度の問題」として数値だけで評価しても、なぜ流暢で断定的な誤りが生まれるのかという構造的問いに答えられない。記号論的な分析は、その「なぜ」に切り込む理論的な足場を提供する。

AIハルシネーションとは何か――定義と分類の現状
「もっともらしい虚偽」という問題の本質
AIのハルシネーションは、大まかに言えば「モデルが事実に反する、または検証不可能な内容を生成すること」を指す。ただし、この定義は研究者によってかなり揺れている。
技術的な整理として、現在広く参照されているのは以下のような分類だ。
- Factuality(事実性)の失敗:存在しない文献を引用する、架空の人物の経歴を述べる
- Faithfulness(忠実性)の失敗:与えられた文脈と矛盾した要約を生成する
- Intrinsic / Extrinsic:入力文書の内容と矛盾するか、それとも外部知識に照らして誤りか
重要なのは、これらは「知覚経験の誤り」ではなく、あくまで出力内容の信頼性・検証可能性の問題として記述されている点だ。人間の幻覚体験とは根本的に異なる、という点は強調しておきたい。
「ハルシネーション」という語の妥当性
Nature系のレビュー論文の中には、「hallucination」という語は人間の知覚現象を連想させすぎるとして、「fabrication」「distorted information」といった代替語を提案する議論もある。OpenAIも公式に、自社モデルの誤出力は人間の知覚幻覚とは本質的に異なると明記している。
したがって本記事でこの語を使う際には、両者のアナロジーとして使っているのか、内容誤りの総称として使っているのかを区別することが必要だ。
精神医学的ハルシネーションの構造
「対象なき知覚」とその多様性
精神医学の古典的定義では、幻覚は「対象なき知覚(perception without object)」とされる。統合失調症における幻聴は、その代表例だ。外部に存在しない声が、しばしば「自分への語りかけ」や「コメント」として経験される。
神経科学・計算論的精神医学の視点からは、幻覚は単なる「誤り」ではなく、強い事前確率(prior)が感覚入力の弱さを上回った状態として理解される。予測処理(predictive processing)の枠組みでは、脳は常に感覚入力を予測して補完しようとしており、その補完が過剰になったときに幻覚が生じると考えられている。
また、Charles Bonnet症候群(CBS)は興味深い対照例だ。視覚障害を持つ患者が、自らの洞察を保ちながら鮮明な幻視を体験するこの症候群は、「入力の貧弱さを内部モデルが補完しすぎる」という構造を端的に示している。
評価軸としての「洞察」と「現実感」
臨床的に重要なのは、幻覚の内容だけでなく、現実感の強さ(force)と洞察の有無だ。同じ幻声でも、「これは幻覚だ」と認識できている場合と、完全にリアルな声として体験される場合では、臨床転帰も対処も大きく異なる。
この「現実感の強さ」と「洞察の有無」という二軸は、後述するAIの評価軸とも対応する重要な概念だ。
記号論四理論によるハルシネーションの読み直し
ソシュール――差異的整合性の自律
フェルディナン・ド・ソシュールは、記号をシニフィアン(音像)とシニフィエ(概念)の結合として捉え、その価値は体系内の差異から生じると論じた。外的指示対象は、ソシュールの記号定義の一次的構成要素ではない。
これはAIハルシネーションの理解に重要な示唆を与える。流暢な誤答が生まれるのは、モデルが体系内部の差異的整合性だけで記号列を自己維持できるからだ。外界の事実に照合しなくても、文法的・意味論的に「それらしい」文章は生成できてしまう。これはソシュール的な記号の自律性の、ある意味での極端化として読める。
パース――対象なき解釈項の増殖
チャールズ・サンダース・パースは、記号を表意体(representamen)・対象(object)・解釈項(interpretant)の三項関係として定義した。記号は必ず「何か(対象)の代わり」をし、それが解釈項(意味・効果)を生み出す。
パースの枠組みでは、ハルシネーションは**「解釈は成立しているが、対象の安定化が失敗している」**状態として定義できる。AIの虚偽引用は解釈項(文献の意味内容)を生み出しているが、それを支える対象(実在する論文)が存在しない。人間の幻聴でも、声という解釈は成立しているが、その対象(実在する発話者)が存在しない。
パースの三項性は、両現象を「対象への関係設定の失敗」という同一の構造で捉えることを可能にする。
バルト――もっともらしさの自然化
ロラン・バルトは「神話論」において、一次記号が二次的な意味作用に回収される「神話」のメカニズムを論じた。神話の特徴は、歴史的・社会的に構築されたものを「自然なこと」「当たり前のこと」として提示してしまう「自然化(naturalization)」にある。
AIの断定的な誤答は、このバルト的な自然化として読むと鋭く切れる。正確な引用体裁、流暢な文体、権威ある語り口――これらが組み合わさることで、誤った情報が「事実として自然なもの」として受け手に届いてしまう。統合失調症において、意味を帯びた声が「現実の声」として体験されるのも、ある種の自然化と構造的に対応する。
メルロー=ポンティ――身体的世界呈示の誤配線
モーリス・メルロー=ポンティは、言語・知覚・身体を分断せず、世界への身体的参与の連続体として捉えた。知覚とは、裸の刺激を受け取ることではなく、身体を通じて世界へと開かれる能動的な表現行為だ。
この視点からは、幻覚は「世界に向かう身体的開示が誤配線される」ことで、内的生成物が外的現実として現れる現象として理解できる。幻覚の強烈な「リアルさ」を説明するのに、メルロー=ポンティの身体論は特に有効だ。AIには身体がないが、「世界への開示なしに記号が現実感をもって流通する」という構造は共通する。
「指示対象なき記号生成」の統一的定義と形式モデル
二種類の失敗――存在論的無対象と認識論的無接地
両現象を比較するうえで、失敗の種類を区別することが不可欠だ。
存在論的無対象とは、そもそも対応する対象が存在しない場合を指す。AIが架空の文献を引用したり、存在しない人物の経歴を述べたりするケースがこれに近い。
認識論的無接地とは、対象は存在していても、その生成が当該対象に到達するための証拠・文脈・感覚入力を欠いている場合だ。実在する人物の誕生日を誤答する場合、文脈に基づかない要約の逸脱、感覚遮断下の補完的幻視などがこれに属する。
この区別は重要だ。AIのハルシネーションの多くは「無対象」というより、**「対象領域の誤同定」あるいは「文脈への未接地」**として理解する方が正確な可能性がある。
接地スコアと断定性による操作的定義
記号 σ、対象 o、解釈者 i、文脈 c からなる記号事象を考えたとき、「指示対象なき記号生成(ハルシネーション)」は以下のように操作的に定義できる。
- 接地の強さ:外部証拠・相互主観的安定性に基づく接地スコアが閾値を下回る
- 現前性・断定性:記号が知覚的または断定的な強さをもって提示されている
- ジャンル標識の不在:「これは仮説です」「これは創作です」という明示がない
この三条件が重なるとき、ハルシネーションが生じる。逆に言えば、内容が不正確であっても、不確実性が明示されていれば、それはリスクの高いハルシネーションとは区別できる。Charles Bonnet症候群において本人が洞察を保っているケース、AIが「確認できません」と応答するケースは、この意味でハルシネーションとは異なる扱いを受ける。
虚構・比喩・仮説との区別
この定義において重要なのは、小説の竜や反事実的仮説は「ハルシネーション」ではないという点だ。事実対応を要求しない語用論的フレーム(ジャンル標識)が明示されている限り、それは意図的な非事実生成であり、病理でも誤作動でもない。
問題は、虚構であることが標識されていないのに、記号が事実や知覚として流通してしまうことだ。バルトの「自然化」がここで効いてくる。
両ハルシネーションの比較表と横断評価軸
構造的アナロジーの整理
| 観点 | 精神医学的ハルシネーション | AIハルシネーション |
|---|---|---|
| 原因 | 感覚剥奪、強い事前予測、自己モニタリング障害 | 文脈不足、過信、検索未接地、誤った評価設計 |
| メカニズム | 内部モデルが外部証拠を上回る | 内部整合が対象検証より優越する |
| 現象形態 | 声・像・体感などの知覚経験 | テキスト・引用・人物情報の誤生成 |
| 検出法 | 臨床面接、false alarm課題、神経画像 | ベンチマーク、外部検索照合、LLM-as-a-judge |
| 低減策 | 抗精神病薬、CBT、環境調整、説明支援 | RAG接地、引用義務、不確実性表示、ガードレール |
両者は同一現象ではなく、構造的アナロジーとして読むべきだ。人間側には主観的な苦痛と感覚的現前があり、AI側には主観経験がない。しかし「内部モデルが証拠を上回るとき、外的支持なく記号が流通する」という構造は共有されている。
横断評価軸として必要な三軸
既存の評価は「対象の有無(accuracy)」に偏りがちだ。しかし両領域を横断する評価には、以下の三軸が必要だと考えられる。
- 対象への接地度(Ground):外部証拠・文脈に対してどの程度接地しているか
- 断定性・現前性(Force):記号がどの程度強い確からしさをもって提示されているか
- 訂正可能性・洞察(Insight):受け手が誤りを修正できる余地がどれほどあるか
特に3番目の「訂正可能性」は、AIの文脈では「不確実性表明の有無」「引用の提示」に相当し、実害低減において内容の正確さ以上に重要な可能性がある。
まとめ――記号論的分析が開く研究的地平
本記事の要点を整理しよう。
精神医学的ハルシネーションとAIハルシネーションは、同一現象ではない。しかし「指示対象への接地が不安定なまま、記号が高い断定性・現実感をもって流通する」という構造水準では、比較が成立する。
ソシュールは差異的整合性の自律を、パースは対象なき解釈項の増殖を、バルトは自然化による「もっともらしさ」の強化を、メルロー=ポンティは身体的世界開示の誤配線を、それぞれ異なる角度から照射する。この四者は競合理論ではなく、同一現象の異なる層位を照らすものとして統合できる。
今後の研究が目指すべきは「ハルシネーションをゼロにすること」だけではない。どの対象領域に、どの証拠で、どの程度まで接地しているかを明示するという記号実践の設計こそが、より本質的な課題だと言える。
コメント