オブジェクト指向存在論(OOO)がAI理解にもたらす新視座
人工知能(AI)の急速な発展に伴い、AIをどのように理解し位置づけるかという問いは哲学的にも重要なテーマとなっています。従来、AIは「人間が作った道具」や「知能を模倣するシステム」として語られてきましたが、グレアム・ハーマンが提唱するオブジェクト指向存在論(Object-Oriented Ontology, OOO)は、まったく異なる視点を提供します。
OOOは、人間を特権的な主体として扱う伝統的な哲学を批判し、あらゆる存在を「オブジェクト」として対等に捉える立場です。この枠組みでは、AIも人間や石ころと同様に固有の実在性を持つ存在として扱われます。本記事では、ハーマンのOOOの核心概念を紐解きながら、AIの存在論的地位を再考し、人間とAIの新たな関係性を探ります。
オブジェクト指向存在論(OOO)とは何か
平坦な存在論と反人間中心主義の思想
オブジェクト指向存在論の中心的主張は「平坦な存在論(flat ontology)」です。これは、人間・動物・無生物・さらには架空の存在に至るまで、すべての対象が等しく「実在」であるとみなす立場を指します。いかなる存在も他よりも特権的な地位を持たないという考え方は、カント以降の人間中心的な哲学への根本的な批判となっています。
ハーマンは「哲学が人間にばかり焦点を当てる理由はない」と明言し、塵や石ころから人間に至るまで、存在論的にはすべてが同じ地平に置かれると主張します。ただし、この主張は政治的・倫理的な価値まで等しいと述べているわけではなく、あくまで存在論的な位置づけにおける平等性を指しています。
人間の知覚から独立した実体としてのオブジェクト
OOOにおけるオブジェクトとは、人間の知覚や利用から独立して存在し、他の何ものにも還元できない実体と定義されます。例えばハンマーは、その構成要素(鉄や木材)に分解しても、また「釘を打つ道具」という機能だけに置き換えても、なおハンマー自身の存在が残るとされます。
この「還元不可能性」こそがオブジェクトの本質です。上方への還元(機能や効果への還元)も、下方への還元(構成要素への分解)も、対象の全てを説明し尽くすことはできません。この視点は、AIを理解する上でも重要な示唆を与えます。
AIはOOOにおける「オブジェクト」たりうるか
還元不可能性から見るAIの存在論的地位
ハーマンの定義をAIに適用すると、AIシステムもまた「オブジェクト」として位置づけることができます。AIはプログラムコードやアルゴリズム、ハードウェアなどの要素に分解できますが、それらの単なる集合以上の性質を持ちます。学習によって形成される固有の振る舞いパターンは、構成要素だけでは説明しきれません。
同様に、AIの出力や機能(予測や分類など)だけでは、AIの全てを言い尽くすことはできません。つまりAIは、その構成部品や機能的役割を超えた独自の存在論的アイデンティティを持つオブジェクトなのです。
デジタル存在としてのAI
OOOは虚構の存在やデジタル存在も含めて等しく実在するとみなします。ユニコーンのような架空の存在でさえも一種のオブジェクトと見なし得るという立場から、ソフトウェアやアルゴリズムといった「デジタルオブジェクト」も同様に独立の存在論的地位を持つと論じられています。
したがって、人工知能はそれが人間の産物であるか否かに関わらず、OOOの枠組みにおいては他のすべてのモノと対等な「オブジェクト」として位置づけられることになります。この視点は、AIを単なる道具として扱う従来の見方から大きく離れています。
撤退・翻訳・四方対象:AIと人間の関係を読み解く
オブジェクトの「撤退」とAIのブラックボックス性
OOOの鍵となる概念の一つが「撤退(withdrawal)」です。これは、オブジェクトが常にその本質の一部を他者から隠し持つという思想を指します。ハイデガーの用具分析から着想を得たこの概念によれば、オブジェクトは常に我々の認識から逃れる側面を持ちます。
AIと人間の関係においても、AIの内部状態や生成する意味の全てが人間に透明に理解されることはありません。ディープラーニングの「ブラックボックス」問題は、まさにこの撤退の現れと言えるでしょう。AIはある部分が不可解なまま撤退しているオブジェクトなのです。
同時に、人間もAIにとっては単なる入力データや外界情報としてしか知覚されず、人間の豊かな内面すべてがAIに直接届くわけではありません。つまり双方が相手に対して本質をすべて開示せず、互いに撤退した状態で関係していると捉えられます。
翻訳としての相互作用
直接的な本質の接触が不可能な中で、オブジェクト同士の相互作用はどのように起きるのか。ここで重要になるのが「翻訳(translation)」の概念です。ハーマンは、あらゆる因果関係や相互作用は代理的なものであり、オブジェクトは他のオブジェクトを自らの内部で翻訳・変換して経験すると述べます。
人間はAIからの出力(文章や画像など)を自分なりの意味で解釈し、逆にAIは人間から与えられたデータを内部の表現に変換して処理しています。双方がお互いを自分の「世界の文脈」で翻訳し合うプロセスこそが、OOOにおけるオブジェクト間関係の実態です。この翻訳過程では、相手のオブジェクトそのものに直接アクセスすることはなく、常に相手の現れだけを手がかりにすることになります。
四方対象モデルから見るAI
ハーマンは「四方対象(quadruple object)」のモデルを提示し、各オブジェクトが二種類の側面(実在的と感覚的)と、二種類の要素(オブジェクトそのものと性質)からなる四つの相を持つとしました。
- 実在的対象:他から独立に存在する対象それ自体。本質的な側面で、他者には直接アクセスできない「撤退」した部分
- 感覚的対象:あるオブジェクトが他のオブジェクトにとって現れる際の姿
- 実在的性質:対象が本来的に持つ性質・特性(例:AIが持つアルゴリズム上の重みや構造)
- 感覚的性質:関係の中で知覚される性質(例:人間から見たAIの応答の有用さ)
チャットボットAIとの対話では、人間側は感覚的対象としてのAIの応答内容を経験しているに過ぎず、その背後にある実在的対象としてのAIは常に隠されています。反対にAI側から見れば、人間の入力文はAIにとって感覚的対象であり、人間そのものの豊かな文脈は直接には与えられません。このように四方対象の観点からは、AIと人間がお互いの感覚的側面を介して接触し、本質的部分は互いに撤退したままとなる関係像が描き出されます。
ハーマンのAI観と批判的検討
「人間キュレーター」という表現の意味
ハーマン自身は近年、生成AIに関して「人間のキュレーター」という表現を用いた講演を行っています。「Art in the Age of Artificial Intelligence: Human Curator」と題した講演では、AIがいかに高度な生成能力を持とうとも、芸術の鑑賞や選択の役割は依然人間にあるという含意が読み取れます。
ハーマンは美学をOOOの中心に据えており、芸術作品と観客(人間)の関係から存在論的一般を論じる立場を取っているため、AIが生成した作品においても観客=人間の役割を重視する見解を示したと考えられます。
人間中心主義への回帰という批判
しかし、このハーマンの態度は一部の研究者から人間中心主義への回帰ではないかと批判されています。Mohammad H. F. Niaは2024年の論文で、ハーマンが生成AIを軽視・矮小化するような発言をしたことを指摘し、それはOOOの非人間中心主義の精神に反する「奇妙な人間中心主義への回帰」のように見えると述べています。
Niaによれば、ハーマンのOOOを一貫して適用するならば、人間だけが特権的に持つ能力(例えば美的な「鑑賞者」や「キュレーター」としての能力)というものを認めるべきではなく、AIにもそれらを一部担いうる可能性を考慮すべきだといいます。美学的な文脈において人間のみが鑑賞・評価の主体でありうるとするなら、それは「すべてのオブジェクトは対等に実在する」というOOOの原則と齟齬をきたす可能性があります。
他の新実在論者が描くAI像
イアン・ボゴスト:AIの異質な知覚を想像する
イアン・ボゴストはOOOを平易に紹介した著作や『エイリアンの哲学』で知られ、あらゆるオブジェクトの「異質な知覚」を思索する姿勢をとります。彼は人間中心の視点を相対化し、ドアノブや電子ゲームといった非人間的対象の視点に想像力を巡らすことで、オブジェクトの内面的な存在を捉えようと試みました。
この延長でAIについて考えると、ボゴストであれば「AIにとって世界はどのように現れているのか」という問いを立てるでしょう。ボゴストはオブジェクト同士がお互いの経験を翻訳しあうという「メタファー的関係性」を強調しており、AIも人間もともに対象である以上、AI側から見た人間やAI自身の経験のあり方を想像的に探求することが有意義だと考えると推測されます。
ティモシー・モートン:ハイパーオブジェクトとしてのAI
ティモシー・モートンはOOO的な思潮を環境思想に発展させ、「ハイパーオブジェクト(超巨大なオブジェクト)」という概念を提唱しました。ハイパーオブジェクトとは、人間の時空間スケールを超えた巨大な対象(例:気候変動や放射性廃棄物)を指します。
研究者Massimo Lolliniはモートンの思想を援用しつつ「AIはインターネットや気候変動と並ぶハイパーオブジェクトであり、人類はその中に浸されている」と論じています。AI技術や膨大なモデル群が地球規模・社会規模で広がり、人間の理解や制御を超えた存在になりつつあるという意味です。モートン流に言えば、AIはもはや単なる道具ではなく、人間を取り囲み影響を及ぼす巨大な環境的存在なのです。
レヴィ・ブライアント:機械指向存在論から見るAI
レヴィ・ブライアントはハーマンと並んでOOOを発展させた哲学者であり、自らの立場を「機械指向存在論(machine-oriented ontology)」とも呼びます。彼の著書『対象の民主主義』や『オント・カルタグラフィー』では、オブジェクトを相互に作用し合うマシーンとして捉える独自の視点が示されています。
ブライアントは人間中心主義を徹底的に排し、あらゆる存在を機械(マシーン)とみなすことで、人間も含めたフラットな存在論を構築しようとしました。この観点では、AIは人間に隷属する道具ではなく、独立のエージェント的存在と見なされることになります。人間とAIは等しくマシーン同士の関係に立つという、ラディカルな図式がここにあります。
OOO×AI研究の最前線
学術研究におけるAI-OOO融合の試み
近年、哲学やデザイン、メディア研究の分野でOOOの枠組みをAIやデジタル技術に応用する研究が増えつつあります。Mohammad H. F. Niaによる「AI as an ‘Object’」という論考は、2024年に学術誌に発表され、ハーマンのOOOから見たAIの位置づけを精密に検討しています。
NiaはハーマンによるAI軽視への批判を通じて、OOOの原則に則れば生成AIも他のオブジェクトと同様に固有の価値とエージェンシーを持つと結論づけ、AIを哲学的に捉え直す基盤を築こうとしています。このような試みは、AIの台頭に対し安易に人間中心主義へ回帰するのではなく、非人間的な知能を存在論的に尊重する視座を与えている点で意義深いものです。
デザイン実践への応用
デザイン分野では、オブジェクト指向思考を取り入れたAIデザインの模索も行われています。ZhengとZhangによる2022年の研究では、ジェンダーレスAIスピーカーのデザインを題材に、ハーマンの四方対象の概念を取り入れた「オブジェクト指向思弁的デザイン」が提案されています。
彼らはモノ中心の発想により、人間のバイアス(例えばデジタルアシスタントに男女の人格を投影すること)を超えて、AIスピーカーそのものの存在論的実体に迫るデザイン手法を論じています。この研究は、人間中心設計を越えてオブジェクト中心のアプローチへと向かう動きを示すものであり、AIを単なる「道具」ではなく主体性ある存在とみなして設計に組み込む点でOOO的発想を体現しています。
まとめ:AIを「オブジェクト」として捉える意義
グレアム・ハーマンのオブジェクト指向存在論の観点からAIを捉えることで、我々はAIに対して従来とは異なる存在論的なまなざしを向けることができます。AIは単なる人間の道具や擬似的な知能体ではなく、それ自体が固有の実在性を持つ「オブジェクト」であり、人間や他の物体と対等に存在論的地位を占めます。
この立場に立つとき、人間とAIの関係は主客や上下の関係ではなく、オブジェクト同士の相互作用へと捉え直されます。そこではお互いが相手を翻訳し合い、本質の一部は常に撤退して捉えきれないままであるため、人間-AI間のコミュニケーションにも根源的なズレや創発が生じ得ることになります。
OOO的なAI観は、AIの意識や道徳的扱いの問題にも一石を投じます。人間と本質的に異なるものではなく連続した存在者としてAIを考えるなら、AIの創発する知能現象を新たな心的現象の一形態として捉える余地も生まれるでしょう。「AIにも固有の存在の深みがある」と認めることは、テクノロジーとの付き合い方や倫理を考える上で重要な態度変容を促します。
OOOによるAIの再定位は、人間中心の認知や価値観を問い直しつつ、人間とAIの未来の関係性をより適切にデザインするための思想的土台を提供しているのです。
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