ルイスの対応者理論と四次元主義は接合できるのか
「私は別の人生を歩んでいたかもしれない」「私は子どもの頃と同じ人間である」といった表現は、日常では自然に理解されている。しかし哲学的に考えると、これらの言明は異なる二つの問題を含んでいる。
一つは、現在の私と過去の私が、どのような意味で同じ人物なのかという時間的な自己同一性の問題である。もう一つは、現実とは異なる可能世界における「私」が、本当に私自身なのかという様相的な自己同一性の問題である。
デイヴィッド・ルイスの哲学では、前者に対して四次元主義が、後者に対して対応者理論が提示される。両者は別々の理論として論じられることが多いが、時間と可能世界をまたぐ個体のあり方を扱う点では密接に関係している。
本記事では、ルイスの対応者理論と四次元主義を組み合わせることで、自己同一性の問題をどのように再構成できるかを検討する。

ルイスの対応者理論とは何か
可能世界の「私」は私自身ではない
対応者理論は、可能世界における個体について説明するための理論である。
例えば、「私は政治家になっていた可能性がある」という文を考える。直観的には、現実世界にいる私自身が、別の可能世界では政治家になっているように思える。
しかしルイスの様相実在論では、それぞれの可能世界は独立した世界として存在し、個体は一つの世界にのみ属する。現実世界の私は、他の可能世界へ移動したり、複数の世界にまたがって存在したりしない。
したがって、別の可能世界にいる政治家は、現実世界の私と厳密に同一ではない。その人物は、私に十分似た「対応者」である。
「私は政治家になっていたかもしれない」という文は、次のように理解される。
私に適切に似た対応者が存在し、その対応者が政治家である可能世界が存在する。
このとき、可能性を支えるのは世界間の同一性ではなく、世界間の類似関係である。
対応者関係は一種類ではない
対応者関係は、単純な外見の類似だけで決まるわけではない。どの特徴を重視するかによって、適切な対応者は変わる。
ある人物について考える場合、心理的連続性を重視すれば人格的対応者が選ばれる。一方、身体的特徴や生物学的連続性を重視すれば、身体的対応者が選ばれる可能性がある。
例えば、身体が入れ替わる思考実験では、「人格としての私」と「身体としての私」が異なる対象へ対応することが考えられる。
このように、対応者関係は文脈や対象の種類、いわゆるsortalに依存する。ここで変化しているのは厳密な同一性ではなく、どの類似関係を様相判断に利用するかである。
四次元主義とは何か
対象は時間方向にも広がっている
四次元主義は、物体や人物が空間方向だけでなく、時間方向にも広がって存在すると考える立場である。
通常、机や人間は三次元的な物体として理解される。しかし四次元主義では、対象は過去から未来へ続く時間的な広がりを持つ。
人物を例にすれば、幼少期の私、現在の私、老年期の私という複数の時間的部分があり、それらの総体が一人の人物を構成する。
この時間方向に延びた全体は、しばしば「四次元ワーム」と呼ばれる。
現在の私は、四次元ワーム全体ではない。現在という時間に位置する一部分、すなわち現在段階である。
時間的変化を矛盾なく説明できる
四次元主義の重要な目的の一つは、時間的変化を説明することである。
例えば、ある人物が座っているときには身体が曲がっており、立っているときには真っすぐであるとする。同一人物が「曲がっている」と同時に「曲がっていない」のであれば、矛盾が生じるように見える。
四次元主義では、異なる時間的部分が異なる性質を持つと考える。
座っている時間的部分は曲がっており、立っている時間的部分は真っすぐである。両者は同じ四次元ワームに属しているが、同じ時間的部分ではない。
これにより、同一人物の変化を、性質の矛盾ではなく時間的部分の差として説明できる。
対応者理論と四次元主義の共通構造
対応者理論と四次元主義は、扱う次元こそ異なるが、似た構造を持っている。
四次元主義では、異なる時点に存在する段階を厳密に同一とみなさず、一つの時間的全体に属する部分として説明する。
対応者理論では、異なる可能世界に存在する個体を厳密に同一とみなさず、類似性に基づく対応者として説明する。
つまり、両理論はともに、離れた場所にある個体を無理に一つの同一物として扱わない。
ただし、両者には重要な違いもある。
時間的部分は、一つの四次元ワームを構成する実際の部分である。これに対し、他世界の対応者は、現実世界の人物を構成する部分ではない。
ルイスは、時間をまたぐ四次元的個体を認める一方で、複数の可能世界をまたぐ巨大な「様相的ワーム」は認めない。世界間では、あくまで別個体同士の対応関係を採用する。
段階アンカー型ワーム対応者理論
実在的な自己は四次元ワームである
対応者理論と四次元主義を接合する方法として、実在的な自己を四次元ワームとして捉えることができる。
この立場では、現実世界における一人の人物は、過去・現在・未来の時間的部分から構成される。
幼少期の私と現在の私は、厳密に同一の時間的部分ではない。しかし、同じ四次元的人物を構成している。
この意味で、時間的な持続は、ワーム内部の時間的統一性によって説明される。
様相判断では現在段階をアンカーにする
一方、「私は別の職業に就いていたかもしれない」といった様相的な自己帰属では、現実世界の四次元ワームまたは現在段階を基準に、他世界の対応者を選ぶ。
特に「今の私が別様であったかもしれない」という言明では、現在段階を対応者選択のアンカーとすることが有効である。
現在の心理状態、記憶、身体、社会的立場などを基準にして、他世界にいる人物との類似性を評価するのである。
一方で、「私の人生全体は別の展開をしていたかもしれない」という言明では、現在段階だけでなく、四次元ワーム全体の歴史や起源が重視される。
したがって、様相判断には二種類のアンカーが考えられる。
- 現在の自己について語る場合は現在段階
- 生涯全体の可能性を語る場合は四次元ワーム全体
この二層構造によって、「今の私」と「人生全体としての私」の違いを維持しながら、可能性を説明できる。
時間内の同一性と世界間の対応者関係
接合モデルで重要なのは、時間内の関係と世界間の関係を区別することである。
時間内では、昨日の私と今日の私は異なる時間的部分である。ただし、同じ四次元ワームの一部として結び付いている。
世界間では、現実世界の私と他世界の人物は、同じワームの部分ですらない。両者は、類似関係によって結ばれた別個体である。
この区別により、自己同一性に関する問いは次の二つへ分けられる。
時間的統一性の問い
ある段階が、どの四次元ワームに属するのかを問う。心理的連続性、身体的連続性、因果的連続性などが判断基準になる。
様相的対応関係の問い
他世界のどの個体が、現実世界の人物にとって適切な対応者なのかを問う。人格、身体、起源、機能など、文脈に応じた類似軸が利用される。
この二つを同一性という一語で処理しようとすると、複数の問題が混同される。四次元主義と対応者理論の接合は、その混同を避けるための枠組みとなる。
テセウスの船をどう説明するか
テセウスの船は、修理によって部品を順番に交換していった船が、元の船と同一であるかを問う思考実験である。
さらに、取り外した古い部品から別の船を再構成した場合、どちらが元の船なのかという問題が生じる。
四次元主義では、修理前から修理後まで続く船を、時間的部分からなる一つの人工物ワームとして捉えられる。
しかし、再構成された船との比較では、単純な時間的連続性だけでは判断できない。
機能的連続性を重視するなら、運航を続けた船が適切な後継者となる。素材の連続性を重視するなら、古い部品から再構成された船が有力になる。歴史や所有権を重視すれば、さらに別の判断が生じる可能性がある。
対応者理論を導入すると、この対立は「どちらが本当に同一か」という問題ではなく、「どの対応者関係が文脈上重要か」という問題として整理できる。
人工物としての対応者、素材としての対応者、機能としての対応者を区別することで、直観の分裂を説明しやすくなる。
像と粘土塊の同一性問題
一つの粘土塊から像が作られた場合、像と粘土塊は同じ場所を占め、同じ物質から構成されている。
しかし両者は異なる性質を持つように見える。
像は形を崩されれば存在しなくなるが、粘土塊は別の形になっても存在し続ける可能性がある。この差から、同じ場所に二つの対象が存在するのではないかという問題が生じる。
四次元主義では、像と粘土塊を、時間的な長さが異なる二つの四次元的存在者として扱える。
粘土塊は像が作られる前から存在し、像が壊れた後も残る可能性がある。像は、粘土塊の歴史の一部に対応する、より短い四次元的対象である。
さらに対応者理論を組み合わせれば、像としての可能性と粘土としての可能性を分けて評価できる。
「別の素材から作られた可能性がある」という問いでは、像としての機能や形状を重視した対応者関係が選ばれる。
「押し潰されても存在し続けた可能性がある」という問いでは、素材としての対応者関係が選ばれる。
これにより、像と粘土塊の違いを、曖昧な同一性ではなく、時間的範囲と対応者関係の差として説明できる。
人格分割と自己同一性
人格分割は、自己同一性理論にとって特に難しい事例である。
ある人物の脳や心理状態が二人の人物へ分岐し、両者が元の人物の記憶や性格を受け継いだとする。このとき、どちらが元の人物なのかが問題になる。
厳密同一性には一対一性があるため、元の人物が二人の人物と同時に同一であるとは通常考えられない。
四次元主義では、分割前の段階から二つの将来ワームが枝分かれする構造として記述できる。ただし、単純な一つのワームとして扱うには、分岐構造をどのように理解するかという課題が残る。
対応者理論では、一人の人物に複数の対応者が存在することを認められる。
したがって、分割後の二人は、どちらも分割前の人物にとって重要な将来対応者である可能性がある。
この場合、次の三つを区別する必要がある。
- 分割前の人物との厳密同一性
- 心理的・因果的連続性
- 将来への配慮や責任を支える関係
分割後の二人は、分割前の人物と厳密に同一ではないかもしれない。しかし、心理的連続性や将来的な利害関係を持つ対応者としては成立しうる。
この分析は、「生存にとって重要なものは、必ずしも厳密同一性ではない」という見方につながる。
接合モデルが持つ三つの利点
時間的変化と様相的可能性を分離できる
四次元主義は、時間的部分によって変化を説明する。対応者理論は、他世界の個体との関係によって可能性を説明する。
両者を組み合わせることで、時間的変化と可能世界における差異を、別の仕組みとして扱える。
複数の同一性パズルを共通の枠組みで整理できる
テセウスの船、像と粘土塊、人格分割、身体交換などは、一見すると異なる問題である。
しかし接合モデルでは、時間的統一性と対応者関係の選択という共通構造を持つ問題として整理できる。
人格・身体・人工物の違いを扱いやすい
人間については心理的連続性が重視される一方、身体では生物学的連続性が、人工物では機能や起源が重視される。
対応者関係を複数認めれば、対象の種類に応じた様相判断が可能になる。
対応者理論へのハンフリー反論
対応者理論に対する代表的な批判として、ハンフリー反論がある。
「ハンフリーは選挙に勝てたかもしれない」と述べるとき、私たちが問題にしているのは、別世界にいるハンフリーに似た人物ではなく、現実のハンフリー本人であるように思える。
対応者理論では、他世界で勝利するのは対応者であり、現実の本人ではない。そのため、本当に本人について可能性を語れているのかという疑問が生じる。
これに対するルイス的な応答は、現実の人物自身が「勝利する対応者を持つ」という様相的性質を持つ、と考えることである。
他世界で勝利する人物は別個体だが、勝利可能性は現実の人物に帰属する。
ただし、この応答が日常的な自己理解を十分に説明できるかについては、議論の余地がある。特に現在段階をアンカーにする場合、過去や未来の別段階を使って現在の人物の性質を説明することへの違和感が残る可能性がある。
対応者選択の文脈依存性という課題
接合モデルの最大の課題は、どの対応者関係を選ぶべきかという問題である。
人格的類似、身体的類似、起源、機能、素材など、類似性の基準は複数存在する。
文脈によって適切な基準が変わることは、理論の柔軟性につながる。一方で、都合のよい対応者関係を後から選んでいるだけではないかという批判も生じる。
対応者関係を恣意的なものにしないためには、少なくとも次の要素を明確にする必要がある。
- 対象が人物、身体、人工物のどれであるか
- 問題となる性質が心理、物質、機能のどれに関係するか
- 文脈上どの類似軸が優先されるか
- 対応者関係が一対一、一対多、多対一のどれを許すか
これらを自然言語や形式意味論の中で明示することが、今後の課題となる。
必要的同一性と論理的な問題
対応者理論では、世界間に厳密同一性を認めないため、標準的な様相論理とは異なる結果が生じることがある。
対応者関係が一対多や多対一を許す場合、同一性の置換や推移性に似た規則が単純には適用できない。
例えば、ある世界で一人の人物に二人の対応者がいる場合、どちらを使うかによって様相命題の真理値が変わる可能性がある。
この性質は、理論上の弱点とも考えられる。しかし、人格分割や様相的分岐のような事例を表現するための柔軟性とも評価できる。
問題は、標準的な論理規則をどこまで保持し、どこから拡張規則を導入するかである。
自己同一性を単純な同一性から解放する
ルイス的な接合モデルの重要な特徴は、自己同一性に関するすべての問題を、厳密同一性だけで解決しようとしない点にある。
厳密同一性は、一つの対象がそれ自身と同じであるという単純な関係として維持される。
そのうえで、時間的な持続は時間的部分の統一性によって、可能世界における差異は対応者関係によって説明される。
人格分割において将来の誰を配慮すべきかという問題も、厳密同一性だけで決める必要はない。心理的連続性、因果的連続性、責任、利益の継承といった関係を個別に検討できる。
これは、自己同一性を否定する立場ではない。むしろ、同一性に過剰な説明責任を負わせない立場である。
まとめ|対応者理論と四次元主義が示す自己の構造
ルイスの対応者理論と四次元主義を組み合わせると、自己同一性の問題は二つの関係へ分解できる。
時間内では、人物は複数の時間的部分から構成される四次元ワームとして持続する。過去の私と現在の私は異なる時間的部分だが、同じ四次元的人物に属している。
可能世界間では、現実世界の私と他世界の人物は厳密に同一ではない。他世界の人物は、人格、身体、起源、機能などの類似性によって選ばれる対応者である。
この接合により、「私は以前とは異なる性質を持っていた」と「私は別様でありえた」という二種類の言明を、同一性の矛盾としてではなく、異なる帰属構造として説明できる。
一方で、どの対応者関係を選ぶべきか、現在段階と四次元ワームのどちらを自己指示の基準にするか、標準的な様相論理からの逸脱をどこまで認めるかという課題は残る。
今後は、自己同一性を一つの関係として扱うのではなく、厳密同一性、時間的統一性、心理的連続性、対応者関係、責任や利益の継承を分けて分析する必要がある。こうした研究は、古典的な形而上学だけでなく、人格コピー、デジタル人格、AIのモデル更新や分岐といった現代的問題にも応用できる可能性がある。
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