なぜ「変容学習」の理論比較が重要なのか
教育・医療・組織開発の現場では、「表面的な知識習得ではなく、より深いレベルの学習変容を引き起こしたい」という問いが繰り返し立ち上がる。この問いに応える理論として、Yrjö Engeströmの拡張的学習(Expansive Learning)と、Gregory Batesonが提唱したLearning IIIは、しばしば同一の系譜として語られる。
しかし両者を仔細に検討すると、変容の「場」「主体」「リスク」「成果」において重要な差異がある。本記事では、両理論の定義・プロセス構造・哲学的前提・実証研究を多角的に比較し、実践現場での組み合わせ方まで論じる。
エンゲストロームの拡張的学習とは何か
活動システムを対象とする学習の定義
エンゲストロームの拡張的学習は、既存の知識や技能を所与の課題に適応的に獲得する学習とは根本的に異なる。学習者が従事している活動システムそのものを対象化し、その対象と動機をより広い地平へ再概念化することで、新しい実践・制度・協働形態を生み出すことを指す。
理論的基盤は、Vygotskyの媒介概念、Leont’evの活動概念、Il’enkovの矛盾把握、Davydovの「抽象から具体への上向運動」を統合した文化・歴史的活動理論(CHAT)にある。分析単位は個人の内部状態ではなく、集合的・道具媒介的・対象志向的な活動システムである。第三世代活動理論では、さらに最低二つの活動システムの相互作用が分析の基本単位となる。
矛盾が変化を駆動するメカニズム
拡張的学習において、「矛盾(contradiction)」は単なる問題や葛藤ではなく、活動システム内外に蓄積する構造的緊張として定義される。これが変化の駆動力となる。
学習サイクルは以下の七つの学習行為として理想型が示される。
- 受け入れられた実践への問い直し
- 状況の歴史的・現勢的分析
- 説明原理のモデル化
- 新モデルの検証
- 実装
- プロセスの省察・評価
- 成果の定着
ただしこれはあくまで理想型であり、実際のプロセスには前後の反復、中断、逸脱が伴う。Augustsson(2021)のスウェーデン教師を対象にした縦断研究でも、七つの学習行為は変化を可視化する分析枠として有効だったが、理想型の厳密な順序通りには進まないことが示されている。
代表的な実証研究:Change Laboratoryの成果
拡張的学習の実証研究は豊富に蓄積されている。Engeström(2001)によるフィンランド小児医療の多組織連携研究では、病院・地域医療・家族という複数の活動システムにまたがるケア情報の断片化という矛盾を分析した。新しい協働ケアモデルのモデリングと実装が進み、学習主体は固定した個人ではなく、複数の声のあいだで変位する集合的主体として現れた。
Engeström, Nummijoki & Sannino(2012)の在宅高齢者ケア研究では、立ち上がり動作という身体移動に着目した分析から「移動能力」という新概念と「mobility agreement」という道具が形成され、クライアントとケア労働者の協働が再組織化された事例が報告されている。
BatesonのLearning IIIとは何か
論理レベルとしての学習の階層
BatesonはLearning理論を論理的階層として構築した。
- Learning 0:訂正不能な固定反応
- Learning I:選択肢集合の内部での誤り訂正(行動修正)
- Learning II:その選択肢集合や経験の区切り方そのものの変化(文脈の学習)
- Learning III:Learning IIのプロセスの変化、つまり「選択肢の集合の集合」を組織する前提の変化
Learning IIIは、Learning IIの前提からの自由度を高める契機として描かれる一方で、稀で危険であり、自己概念の深い再定義を伴うとBatesonは述べる。理論的背景はRussellの論理階型論、サイバネティクス、コミュニケーション理論、生態学的認識論にある。
double bindとLearning IIIの発動条件
Learning IIIに固定的な段階モデルはない。核にあるのは、**double bind(二重拘束)**という概念である。相矛盾するメッセージに直面しつつ、その矛盾へのメタ・コミュニケーションが封じられる状況として定式化される。この関係的逆説のなかで、Learning IIによって自己妥当化してきた文脈化の習慣が破綻し、前提の組み替えが迫られる。
Learning IIIの産物は必ずしも言語化・制度化されず、むしろ自己の「節づけ(punctuation)」そのものを揺さぶる。Tosey, Visser & Saunders(2012)は、BatesonのLearning IIIは「よりよい組織学習の高度版」ではなく、非道具的・言語を超える・再帰的・破壊的リスクを孕む変容であると整理した。この点は、後続の組織学習論で一般化された「learning how to learn」とは重要に異なる。
triple-loop learningへの展開と概念的注意
Learning IIIはその後、組織学習文献において「triple-loop learning」として援用されてきたが、Toseyらは少なくとも三つの系譜があり、Batesonの原義に相当するのはそのうちの一系譜のみだと指摘する。Kwon, Kang & Nicolaides(2026)のシステマティックレビューでも、23本の経験研究が確認された一方で定義の不一致が依然として大きいとされており、操作化の難しさは現在も継続している。
両理論のプロセス構造を比較する
トリガーの違い:構造的矛盾 vs 関係論的逆説
両理論はいずれも、既存の学習枠組みの「破綻」から変容が始まるという点で共通する。しかしそのトリガーの性格が異なる。
拡張的学習では、活動システム内外に蓄積した構造的・歴史的緊張が矛盾として析出する。これは分析可能であり、歴史的経緯とともに可視化できる。
Learning IIIでは、相互行為のなかで生じる逆説的拘束がトリガーになる。これは関係論的であり、言語化や制度的分析にはなじみにくい次元で作動する。
学習主体の違い:集合的主体 vs 関係・文脈依存
拡張的学習の主体は、複数の活動システムにまたがる集合的主体であり、理論のなかで明示的に概念化されている。誰が学習の担い手なのかは固定されず、プロセスのなかでシフトする。
Learning IIIも単独個人主義ではなく関係・文脈依存だが、「共同体」「分業」「ルール」という分析格子は持たない。
媒介と成果の非対称性
最も顕著な非対称は媒介と成果にある。拡張的学習では、道具・ルール・分業・モデル・Change Laboratoryなど、物質的・制度的媒介が精緻に理論化される。成果は新しい対象、新しい活動様式、制度化された実践として観察可能な形をとる。
Learning IIIでは、明示的な物的媒介の理論化は弱く、成果も前提の柔軟化、自己の脱中心化、文脈の文脈への気づきとして現れる。これは制度として結晶しない場合も多い。
リスク認識の差異
両理論の最大の差異の一つが、変容に伴うリスクの扱いである。拡張的学習では、長期的な努力と失敗の可能性を認めつつも、形成的介入(formative intervention)によって支援可能とされる。
一方Learning IIIは、Bateson自身が「稀で危険、時に病理的」と述べるほど存在論的・心理的リスクを強く含む。Learning IIIは道具主義的に追求できる変容ではない。
哲学的前提の相違点
社会文化的変革 vs 生態学的認識論
エンゲストロームは歴史的・社会的実践の変革を主題化し、知識は個人の頭内表象より歴史的に形成された道具・ルール・分業・共同体・対象のネットワークのうちに分散していると捉える。学習は概念形成と実践再構成の往還として描かれ、「何を共同で創るか」が問いの中心にある。
Batesonは逆説・二重拘束・誤った認識論がいかに自己と関係を拘束するかに関心を置く。Learning IIIは反・道具主義的で、しばしば言語化不能な変容として描かれる。「どのような前提で世界と自己を節づけているか」が問いの中心である。
認知観の違い:モデル構築 vs 前提の再帰的変化
EngeströmとBatesonの差異は認知観にも現れる。拡張的学習では新しいモデルの構築と実装が重視されるため、学習は概念形成と実践再構成の往還として描かれる。BatesonのLearning IIIでは、自己や性格を支える前提の拘束からの解放に向かうため、学習は認識論的習慣の再帰的変化として現れる。
両理論をどう組み合わせるか:実践的示唆
Batesonを深度指標、Engeströmを実装設計論として
教育・医療・組織開発の現場で深い変容学習を論じる際、Batesonだけを使うと変容をどう共同的に支えるかが不明確になりやすい。逆にEngeströmだけを使うと、変容の深層にある認識論的前提や自己の問題が捨象されやすい。
最も生産的な組み合わせは、Batesonを変容の深度指標、Engeströmを変容の実装設計論として位置づけることにある。「前提はいま何によって自己妥当化しているか」をBatesonで点検し、「それをどの活動システム構成要素に埋め戻して再設計するか」をEngeströmで扱う。
この読み方は、変容学習を認識論・共同性・制度設計の三層で捉え直すことを可能にする。
まとめ:Learning IIIは「前提変容」、拡張的学習は「前提変容の社会的持続」
本記事の比較を一文で要約すれば、Learning IIIは「前提の変容」の理論であり、拡張的学習は「前提の変容を活動の再設計として社会的に持続させる」理論である。
両者は連続しているが同一ではない。EngeströmはBatesonのLearning IIIの着想を引き継ぎながらも、それを活動理論の対象論・媒介論・共同体論のなかへ理論的に再構成した。変容の「場」として、Learning IIIは自己と関係の認識論的場で生起し、拡張的学習は活動システムと制度実践の社会文化的場で生起する。
どちらが優れているかではなく、扱う変容の位相に応じて使い分けること、そして両者を補完的に活用することが、深い学習変容の研究と実践設計において最も実りある方向性といえる。
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