AI研究

ブライアントとラトゥールの「翻訳」概念を比較|対象指向存在論とアクター・ネットワーク理論はどうつながるか

導入:なぜ今「翻訳」概念の比較が重要なのか

AI、センサー、データ基盤が社会の意思決定に深く入り込むなかで、「情報はそのまま伝わるのか、それとも途中で変形されるのか」という問いの重みが増しています。この問いに哲学と社会学の両側から答えてきたのが、レヴィ・R・ブライアントの対象指向存在論と、ミシェル・カロン/ブルーノ・ラトゥールのアクター・ネットワーク理論(ANT)です。どちらも「翻訳(translation / traduction)」という同じ語を鍵概念にしています。

本記事では、まず両者の翻訳概念をそれぞれ原典に沿って確認します。次に共通点と相違点を整理し、最後に両者を接続する分析モデルと、実証研究への応用可能性を検討します。


ブライアントの「すべての対象は互いを翻訳する」とは

対象指向存在論(onticology)における翻訳の位置づけ

ブライアントは自らの立場を onticology と呼びます。主著『対象の民主主義(The Democracy of Objects, 2011)』では、グレアム・ハーマンの「対象の退隠」、ニクラス・ルーマンの「作動的閉鎖」、そしてラトゥールのアクター論を組み合わせて、対象の自律性を論じています。

この本の中心にある命題が「すべての対象は互いを翻訳する(all objects translate one another)」です。ある対象が別の対象から作用を受けるとき、その作用はそのまま複写されるわけではありません。受け手は自分固有の構造に従って、作用を選択し、変形します。ブライアントは2009年の時点で、すでに翻訳を onticology の最重要原理と位置づけていました。

認識論から存在論への「水平化」

この命題の要点は、カント以来「主体が対象をどう媒介するか」として語られてきた問題を、対象と対象のあいだの関係一般へと広げたことにあります。人間の知覚だけが世界を翻訳するのではありません。光学センサーも、細胞も、石も、関係する限りは相手の作用を自分なりに翻訳します。

ブライアントは科学的探究も翻訳の一形態だと述べています。実験は対象を鏡のように写し取るのではなく、装置や測定、概念を通して、何かを失い、何かを付け加えながら対象を現れさせる営みだ、という考え方です。

ただし、これは石に意図や言語能力を認める擬人論ではありません。対象の種類が違えば、翻訳の仕方も違うとされています。

「存在者は翻訳に還元できない」という限定

もう一つ見落とせないのが、ブライアントが対象を「翻訳された現れ」に解消しない点です。彼は、存在者はその翻訳に還元できないとはっきり述べています。翻訳とは完全なアクセスの名前ではなく、直接アクセスが不可能であることを積極的に言い表した名前だといえます。この限定が、後で見るANTとの最大の分岐点になります。


カロン/ラトゥールのANTにおける「翻訳」とは

権力と代表をめぐる翻訳:「巨大なリヴァイアサン」論

ANTの翻訳概念は、1980年代初頭の「権力はどのように形成されるのか」という問いと結びついています。カロンとラトゥールは1981年の共著論文で、ホッブズの社会契約論を読み替えました。巨大な「マクロ・アクター」は最初から巨大なのではありません。交渉、策略、計算、説得、強制を通じて多くの他者を代表して語れるようになることで、大きくなっていくのです。

つまり初期ANTの翻訳には、変形、利害の再定義、同盟形成、代表という複数の次元が重なっています。

ホタテ貝研究と「翻訳の四つの契機」

カロンのホタテ貝論文(初出は1984年の The Sociological Review。1986年版はジョン・ロー編の論集への再録)は、このモデルを具体的な事例で示しました。サン=ブリユー湾の研究者、漁師、ホタテ貝、科学者共同体の関係が、次の四つの契機として分析されています。

  • 問題化(problematisation):各アクターの問題を定義し、研究者自身を「必須の通過点」にする
  • 関心付け(interessement):競合する関係を切り離し、役割を固定する
  • 取り込み(enrolment):役割を交渉し、受け入れさせる
  • 動員(mobilisation):少数の代弁者が多数を代表できる状態をつくる

カロンは「翻訳するとは、移動させることである」と述べ、翻訳を結果ではなく過程として捉えました。ホタテ貝が想定通りに定着しなければネットワークは崩れます。この意味で、非人間も受け身の対象ではありません。

ラトゥールにおける「媒介」と存在論化

ラトゥールは、権力を社会にあらかじめ蓄えられた実体とは見なしません。多くのアクターを取り込むことで「いま・ここで」組み立てられるものとして再構成しました。さらに、意味をそのまま運ぶ intermediary(仲介物)と、意味を変形する mediator(媒介者) を区別しています。後年には、ANTは社会学であるのと同じ程度に存在論でもあると明言しました。そのため、「ブライアント=存在論、ANT=方法論」という単純な二分は正確ではありません。


ブライアントとANTの共通点と相違点

共通点:透明な伝達の否定と人間/非人間の対称性

両者に最も深く共通しているのは、「AからBへ何かが移っても、Bの中にAがそのまま複製されるわけではない」という 反・透明伝達原理 です。関係を「輸送」としてではなく「変形」として捉える点で、両者は同じ理論空間に属しています。

もう一つの共通点は、人間の意味作用を特別扱いしないことです。ブライアントは知覚や科学を、対象一般に起きる翻訳の特殊な形として捉え直しました。ANTは記号論で培った媒介と代表の分析を、ホタテ貝や装置、インフラにまで広げました。出発点は逆ですが、どちらも「人間だけが媒介し、自然物はただ媒介される」という図式を崩しています。

決定的な違い①:翻訳以前の存在者をどう扱うか

ブライアントにとって、対象はどの翻訳にも尽くされない余剰をもちます。一方ラトゥールのANTでは、アクターが「何であるか」を、試練や連関から切り離してあらかじめ決めないことが方法上の原則です。前者は「関係の外に余る対象」を守ろうとし、後者は「関係を離れて本質を決めつけない」ことを求めます。似て見えますが、警戒している方向は逆です。

決定的な違い②:政治性とスケール

ANTの翻訳は、「誰が誰を代表する権利を得るか」をめぐる争いであり、権力論そのものです。ブライアントのいう雨粒と石、センサーと光の翻訳には、代弁者の形成は必ずしも含まれません。また、ブライアントの命題は二つの対象の出会いにも成り立ちますが、ANTの翻訳は通常、文書、装置、資金、自然物が連鎖する多項的な過程を指します。同じ語だからといって同一視すると、カテゴリーの取り違えになるおそれがあります。


両者を接続する「二層モデル」

両者は、役割を分けることで生産的に接続できる可能性があります。

層担う理論問い
存在論的ミクロ層ブライアント各接点で、受け手は入力をどう選択し、変形するか
ネットワーク過程層カロン/ラトゥール変形された出力がどう連鎖し、取り込みと代表を通じて権力や知識を形づくるか

たとえば「センサーが海水の状態を電気信号に変える」ことは、ブライアント的な翻訳です。「そのセンサー値が論文や漁業規制に組み込まれ、誰かが海を代表して語る権威を得る」ことは、ANT的な翻訳です。二つの層を区別しておけば、「すべてが翻訳」という語が差異を飲み込んで説明力を失う事態を避けられます。

なお、ANTの関係主義とブライアントの「退隠」を同じものとして扱わないことが前提です。退隠は「隠された真の性質のリスト」として使うのではありません。「現在のどの翻訳も存在者を完全には代表していない」という反還元的な制約として、限定的に使うのが整合的だと考えられます。


実証研究への応用と理論的な注意点

環境モニタリングや医療AIへの応用

ブライアントの翻訳概念は、それ単独では一般的すぎて、何をデータとして集めればよいかが見えにくいところがあります。そこで、研究設計の方向を定める「感受概念」として使い、具体的な追跡はANTの四契機で行うという組み合わせが有望です。

医療AIを例にとると、組織標本、染色、画像、特徴量、モデルスコア、医師の判断という変換を一段ずつ記録します。各段階で何が失われ、何が強調されるかを調べるのがブライアント的な問いです。そのうえで、スコアが患者を「代表して語る」権威をどう獲得するかを追うのがANT的な問いになります。各変換の入力、出力、選択規則、損失、付加、権威効果をまとめた「翻訳台帳(translation ledger)」を作ることも、一つの方法として考えられます。

過剰一般化と擬人論のリスク

ブライアント側には、「翻訳でない関係」が原理的に存在しなくなるという過剰一般化の問題があります。そのため、「翻訳が起きたか」ではなく、「どの規則で何が保存され、何が失われたか」を問う必要があります。また、意図を前提にしないのであれば、なぜ「因果」や「変形」ではなく「翻訳」と呼ぶのかという語彙上の説明責任も残ります。

ANT側には、対象の抵抗を関係の効果として回収しすぎるおそれがあります。この点に、ブライアントの実在論的な留保が補完的に働く余地があります。


まとめ:「同一」ではなく「継承・変形・再スケーリング」

  • ブライアントの「すべての対象は互いを翻訳する」は、ANT、とくにラトゥールの「媒介は変形である」という洞察を、対象の退隠と作動的閉鎖を通じて一般存在論へと普遍化したものと理解できます。
  • 両者は「透明な伝達の否定」と「人間/非人間の対称化」で強く一致します。一方で、「翻訳以前の存在者」の扱いと「権力・代表」の次元では大きく分かれます。
  • 最も生産的なのは、ブライアントを各接点で起きる変形の原理、ANTをその変形が連鎖して秩序をつくる過程の分析として、層を分けて重ねることです。

今後は、「存在論的な翻訳はどの時点で政治的な翻訳になるのか」「非人間の抵抗は退隠と裏切りのどちらでよりよく説明できるのか」といった問いを、具体的な事例で検証していくことが課題になります。

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