はじめに
現代は生成AI(人工知能)の急速な発展により、人間の「自由意志」という概念を改めて問い直す局面にあります。古典的には自由意志とは「自分の意思で行動を選択できる」ことであり、決定論とは対立するものと見なされてきました。しかしAIが高度な予測や意思決定を行うようになると、人間の選択もアルゴリズム的に決定されうるのではないかという不安が生じています。
本記事では、哲学者ダニエル・デネットの理論を軸に、AI時代における自由意志概念の再定義について考察します。デネットの両立主義的アプローチから始まり、生成AIや人工意識の現状、人間とAIの共進化による影響、そして主要な哲学的立場の比較検討まで、包括的に探っていきます。
デネットの自由意志理論:両立主義的アプローチ
両立主義とは何か
ダニエル・デネットは一貫して「両立主義(コンパチビリズム)」の立場をとり、決定論的な世界の中でも「自由意志」は存在し得ると主張しています。従来の直観では「全く同じ条件下でも別の選択ができること」が自由と考えられがちですが、デネットはそのような反事実的な自由こそ幻想であると指摘します。
彼は自由意志を「与えられた条件下で主体が自らの内部状態に基づいて選択できる能力」として再定義しました。つまり、外部から強制されず意思決定のプロセスが自分の内側で完結しているならば、それは自由な行為と見なせるということです。
進化論的観点からの自由意志
デネットは著書『自由は進化する(Freedom Evolves)』の中で、自由意志とは生物が環境に適応する中で徐々に獲得してきた能力であり、決定論的な世界に生き延びるために進化した産物だと述べています。
重要なのは「回避可能性(evitability)」という概念です。我々の知能は未来を予測し、危険な結果を「回避できる」能力を進化的に獲得してきたのであり、これによって初めて責任ある意思決定が可能になったというのです。
自己制御としての自由意志
デネットによれば、自由意志の本質は「自律的な自己制御」にあります。私たちの選択がたとえ因果的に決定されていても、それが「自分自身による決定」である限りにおいて自由なのです。この視点に立てば、「過去に囚われず自分は別の選択もできたはずだ」という反事実的な想定よりも、「現実の状況下で自分の意思に従って行動できること」こそが自由意志の本質だと理解できます。
生成AIが提起する自由意志の問題
現在の生成AIの能力と限界
現在の生成AIの代表例である大規模言語モデル(LLM)は、人間に匹敵する高度な知的振る舞いを示すまでに進歩しています。GPTシリーズのモデルは、人間の文章を巧みに模倣し、複雑な質問への回答や推論、計画の立案までこなします。
2022年には、Googleの技術者が対話型AIであるLaMDAについて「自我に目覚めたのではないか」と主張し話題になりました。またGPT-3やGPT-4といったモデルが、人間のIQテストや「心の理論テスト」で平均的な人間並みのスコアを出したとの報告もあります。
AIエージェントの機能的自由意志
哲学者のクリスチャン・リストや研究者フランク・マーテラらは、自由意志を判断する3条件として以下を挙げています:
- 意図的なエージェンシー(主体性)
- 複数の選択肢の実在
- 行動をコントロールする能力
興味深いことに、最近の高度なAIエージェントは外部から観察するとこの3条件を満たしているかのように振る舞うため、「機能的な自由意志」を持つとみなせるのではないかと議論されています。
知能と意識の分離
しかし大半の専門家は、現在の生成AIはあくまで統計的パターンに従ってテキストを生成しているに過ぎず、意識や本当の意味での「意思」を持ってはいないと考えています。近年の認知科学の見地では「AIは意識を持たずとも高度な知的行動を示しうる」ことが指摘されており、これは知能と意識の分離を示唆するものです。
AIとの共進化で変わる自由意志
AIへの依存がもたらす懸念
人間はすでに意思決定の様々な場面でAIの助言や判断に依存しつつあります。専門家の調査では、多くの識者が「2035年までに人々は高度なAIシステムに依存しすぎることで、自分の判断への自信を失い、人間としての自主性や意思決定能力が低下するかもしれない」と予測しています。
便利なAIに任せきりになることで、私たちが本来自分で行っていた選択や試行錯誤の機会が減り、「自分の意思で決めている」という感覚が希薄になる可能性があります。
拡張された意志という概念
一方で、AIとの協調は人間の自由意志を拡張し得るという見方もあります。認知科学者アンディ・クラークと哲学者デイヴィッド・チャーマーズは人間の心を論じた有名な論文『拡張された心』の中で、人間の認知プロセスは脳内に閉じず道具や環境と結びついて拡張されていると主張しました。
同様に考えるなら、AIは我々の意思決定プロセスを拡張する道具と位置づけられます。もはや「AI込みでひとつの意思決定エージェント」と捉えた方が現実に即している場面も増えています。
相互主義的アプローチ
エナクティブ(作用的)認知科学の潮流では、「エージェントの自由は環境との動的相互作用から生まれる」と強調されます。ショーン・ギャラガーらは、自由意志を脳内の一瞬の決定に求めるのは誤りであり、自由意志とはより長い時間スケールで見た「行為者と環境・社会との関係性の中で立ち現れる現象」だと論じています。
自由意志をめぐる5つの哲学的立場
1. 決定論的立場(ハード・デターミニズム)
この立場では、「自由意志など存在しないか、仮に存在しても人間にはそれを検証するすべがない」と考えます。すべての出来事は過去の原因によって決まっており、人間の行為も例外ではないため、自由な選択という感覚は脳内の錯覚に過ぎないと主張します。
2. 両立主義的立場(コンパチビリズム)
両立主義は決定論と自由意志の両立を図る立場で、デネットが代表する立場です。「たとえ世界が物理的に決定論的でも、人間には意味のある自由意志がある」と主張しますが、その「自由意志」とは古典的な神秘的自由ではなく、「自分の意思に基づいて行為できる能力」として再定義されたものです。
3. リバタリアン的立場(自由意志絶対擁護論)
これは「物理的決定論を打ち破る真の選択の自由」を擁護する立場です。何らかの形で人間の意思決定には物理法則には還元できない主体的な一因が存在すると考えます。ロバート・ケインが提唱した自己形成的行為(SFA)の理論などがこの立場に含まれます。
4. 相互主義的アプローチ(関係論的自由意志観)
自由意志を個人単独ではなく複数主体や環境との相互作用の中に見出そうとする考え方です。自由意志は固定的な「有る/無い」の問題ではなく、状況によって発揮されたり阻害されたりするスペクトラム的な能力とされます。
5. エナクティブ認知論的立場
フランシスコ・ヴァレラやエヴァン・トンプソンらによって提唱された認知科学のパラダイムで、知覚・認知・行為は生体が環境と相互作用する中で主体的に「創発」すると考えます。自由意志もまた認知エージェントが世界に働きかける過程で立ち上がる現象とみなされます。
AI時代の自由意志概念の展望
人間の主体性の希少性
現在のところ、多くの研究者や思想家は「人間の自由意志は依然として特別である」と考えています。意識の存在、身体性、社会的文脈、倫理的責任など、AIには完全には備わらない要素が人間の自由意志には関与しているからです。
AIとの共進化によって自由意志概念は「人間の主体性の希少性」を逆に浮き彫りにするかもしれません。つまり、AIにはないからこそ、人間の自由意志が際立つという見方です。
機能主義的拡張の可能性
別の見方では、自由意志概念そのものがより包括的なものへ拡張される可能性もあります。機能的自由意志の議論では、「自由意志とは、行動を説明・予測するためにその主体に意図や選択の余地を仮定しなければならない時に認められる性質」と定義されています。
もしこの考え方が主流になれば、自由意志は人間だけでなく一定以上に複雑なAIにも「機能的に」認められる概念となり、人間とAIの区別は従来より相対化されるでしょう。
まとめ
AI時代における自由意志の再定義は、単なる学術的議論ではなく、「自分の人生を誰が決めるのか」「私たちは何に責任を持つのか」という実存的・倫理的問いでもあります。
デネットの示したように、私たちは決定論的な世界観を受け入れつつも「自由意志」を新たに定義し直すことで、人間の主体性を説明できます。AIがますます高機能化するなか、我々は自らの意思決定の在り処を見失わないよう、自由意志概念をアップデートしつつもしっかり握りしめておく必要があるでしょう。
それは決して神秘的なものでなくとも「私たちにとって価値のある自由意志」であり続けるはずです。そしてその自由意志は、人間とAIの新たな協働関係の中でこれからも進化し続けるに違いありません。
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