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予測符号化理論で読み解く文化進化:なぜ文化によって世界の見え方が違うのか

はじめに

同じ光景を見ても、育った文化によって異なる解釈をすることがあります。西洋人が個々の対象に注目する一方で、東アジア人は背景や文脈まで含めて認識する傾向があることは、文化心理学の研究で繰り返し示されてきました。このような認知の違いはなぜ生まれるのでしょうか。

近年、脳の情報処理メカニズムを説明する「予測符号化理論」と文化進化の研究が結びつき、文化的多様性の起源を新たな視点から理解する試みが進んでいます。本記事では、予測符号化理論の基本的な枠組みから、文化が私たちの「世界モデル」をどのように形作るのか、そして文化的な認知バイアスがなぜ適応的に進化してきたのかを掘り下げていきます。

予測符号化理論とは:脳が作る「世界モデル」

予測符号化理論(Predictive Coding)は、脳が外界の情報をどのように処理しているかを説明する神経科学の枠組みです。この理論によれば、脳は受動的に感覚情報を受け取るのではなく、常に「次に何が起こるか」を予測する生成モデル(世界モデル)を内部に構築しています。

具体的には、脳は階層的に組織されたネットワークを通じて、上位レベルから下位レベルへと予測信号を送り出します。一方、感覚器官から入ってくる実際の入力と予測との間にズレ(予測誤差)が生じると、その誤差情報だけが上位へと伝えられます。この予測誤差を最小化するように脳内のモデルが更新されることで、私たちは環境に適応した認知を実現しているのです。

重要なのは、十分に大きく信頼できる予測誤差が得られない限り、脳はモデルを大きく変更しない傾向があるということです。つまり、私たちは自らの内部モデルに沿って世界を「見てしまう」傾向があり、期待と合致する情報はスムーズに処理される一方、予想外の情報は無視されたり歪められたりすることがあります。

この予測符号化のメカニズムは、単なる知覚レベルだけでなく、思考や意思決定にまで及ぶ統一的な情報処理原理として注目されています。そして、この世界モデルの形成に大きな影響を与えるのが「文化」なのです。

文化によって異なる認知バイアスの実例

ムラー=リヤー錯視に見る文化差

文化が認知に影響を与える最も有名な例の一つが、ムラー=リヤー錯視です。これは同じ長さの線分の両端に異なる向きの矢羽を付けた図形で、西洋の工業化社会で育った人々は、この錯視によって線分の長さを大きく誤認する傾向があります。

ところが、伝統的な狩猟採集社会(たとえばカラハリ砂漠のブッシュマン)で育った人々は、この錯視にほとんど影響されないことが報告されています。この違いは、生物学的な視覚メカニズムの差ではなく、生活環境における経験の違いから生まれます。

西洋の都市環境では、建物の直角や平行線といった「大工仕事的(carpentered)環境」が日常に溢れています。このような環境で繰り返し経験を積むことで、脳は奥行き手がかりとして直線的なパターンを重視する予測モデルを形成します。一方、自然の不規則な環境で育った場合、そのような視覚的先入観が形成されないため、錯視の影響を受けにくいのです。

予測符号化理論の研究者ホーウィーは、この文化差を「事前分布(prior)の相違」として説明できると述べています。つまり、各文化圏で繰り返し得られる感覚パターンが異なるため、脳内に形成される世界の確率的予測モデル(何を「当たり前」とみなすか)が異なり、それが知覚の違いとして現れるのです。

分析的思考 vs 全体論的思考

知覚レベルだけでなく、思考様式にも文化的な違いが見られます。西洋文化圏では対象を分類・分析し、普遍的ルールを重視する「分析的思考」が強調される一方、東アジア文化圏では全体の調和や文脈を重視する「全体論的思考」が発達してきたとされています。

実験的にも、この違いは確認されています。たとえば、魚が泳ぐアニメ動画を見せる研究では、アメリカ人は泳いでいる焦点の魚に注意を向けて記憶するのに対し、日本人は水草や背景の要素まで含めて記憶する傾向が示されました。

この差異は、「世界は独立したオブジェクトの集合で本質は変わらない」というモデルと、「世界は相互に関連し合う要素からなり絶えず変化する」というモデルの違いとして理解できます。それぞれの文化圏で育つ中で、どのような情報に注意を向けることが有益かという経験が蓄積され、異なる予測モデルが形成されるのです。

文化進化と予測モデルの適応

農耕様式が生んだ認知スタイルの違い

こうした思考様式の分化は、各文化圏の社会環境への適応として進化してきた可能性があります。進化心理学の視点から見ると、予測モデルを用いて環境の事象を先読みし、予測誤差(驚き)を減らすことは、生存や繁殖に有利な適応です。

興味深い研究として、中国国内での稲作地域と小麦農耕地域の比較があります。稲作は集団協調的な灌漑システムを必要とし、人々の相互依存度が高い社会を形成してきました。このような環境では、他者や状況の変化に敏感な全体論的認知が適応的だったと考えられます。

一方、小麦農耕は個人労働が中心で、個人が主導して計画・実行する活動が多くなります。このような環境では、対象を分析し因果関係を見極める分析的思考が有利だった可能性があります。実際、稲作地域出身者の方が小麦農耕地域出身者よりも集団主義的で全体論的な認知傾向が強いことが報告されており、歴史的な生業パターンが現代人の認知スタイルに影響を与えている文化進化の証拠とされています。

このように、文化は一種の「認知的ニッチ(生態位)」として機能し、人間が直面する環境の統計構造を変化させることで、脳の予測モデルをチューニングしてきました。文化的環境への適応としての認知変異は、遺伝的進化だけでは到達できない多様な環境への柔軟な適応を可能にしてきたのです。

社会的学習が世界モデルを形成する

イデオロギーと予測誤差の最小化

人間の文化的多様性を支えるもう一つの重要な要素が、社会的学習能力です。人類は他者から知識や価値観を学習する能力に極めて長けており、これにより膨大な情報を累積的に世代間で伝達してきました。この「累積文化」は、人類が遺伝的進化だけでは適応できない多様な環境に柔軟に対応する原動力となっています。

予測符号化理論の観点から見ると、社会的学習によって伝えられる文化的な世界モデルは、個人の内部モデルの初期設定(プライア)そのものに影響を与えます。生まれ落ちた文化で共有される信念・価値・知識は、個人の脳がどのような予測を立てるかの指針となり、各人の知覚や行動のバイアスを形成するのです。

特に注目されるのが、イデオロギーや世界観の役割です。予測符号化の枠組みでは、これらは「階層の最上位をなす生成モデル」とみなすことができます。人間は本来、異なる目的や動機を持つ他者同士で協力して大集団を作るという難しい課題に直面しています。

しかし、共通の世界観や規範(宗教的教義や社会規範など)を共有することで、「何が正しく期待される行動か」という予測の基盤が揃い、メンバー同士がお互いの行動を予測しやすくなります。これは集団内で予測誤差をみんなで減らし合うようなものであり、その結果として社会的な安定性や協力行動が維持しやすくなるのです。

Wheelerらの研究は、イデオロギーを「他者や社会世界に関する予測を成員に共有させることで集団内の行動のばらつきを減らし、社会的な予測誤差(不確実性)を低減する集団的モデル」と定義しています。この理論的枠組みでは、宗教や政治理念といった文化的世界モデルは、長期的に見れば集団生活における予測不一致の最小化に資するため、文化進化の中で選択・維持されてきたと考えられます。

ただし、文化的世界モデルが予測誤差低減に寄与するからといって、それが常に現実に対して正確なモデルであるとは限りません。人は自分の内部モデルに合致しない情報を無視したり歪めたりしがちであり、これは社会的信念の領域でも同様です。異なるイデオロギーや文化的背景を持つ人々が同じ事実を見ても正反対の解釈をすることがあるのは、各自が持つ高次の世界モデルが異なるために、入力情報に対する重み付けや解釈の仕方が体系的に変わってしまうからです。

極端な場合、人は自分の世界観に反する証拠をいくら提示されても、「その情報源は信頼できない」などと判断して無効化し、自らのモデルを維持し続けることがあります。このような確証バイアスやエコーチャンバー現象は、予測符号化にもとづく認知システムが長期的な安定性を重視し、小手先の誤差よりも全体整合性を優先してモデルを維持・微調整する性質から生じると考えられます。

文化的枠組みが予測に与える影響

以上のように、文化は脳の予測処理に深く影響する枠組みとして作用し、人類の多様な認知的特徴の起源を説明する理論的視座を提供します。近年、このテーマは認知科学・文化心理学・神経科学・情報理論などの分野を横断する学際的研究として盛んに議論されています。

文化神経科学の研究は、文化間での脳活動パターンの違いを検証しています。注意、自己認識、感情処理など様々な認知機能で東西文化差に対応した神経応答の違いが報告されており、長年その文化で繰り返し強調される経験(個人主義 vs. 集団主義など)が脳の接続や機能に可塑的変容をもたらし、予測モデルの実装レベルにも差異が現れることが示唆されています。

また情報理論の観点からは、文化とは人間が作り出した「環境の構造化」であり、環境のエントロピー(不確実性)を低減することで認知予測を容易にする仕組みだという指摘もあります。HutchinsやClarkといった研究者は「人間は文化的実践を通じて、自らの認知ニッチを予測しやすい形に構築してきた」と述べ、分散認知と予測処理を統合する理論枠組みを提案しています。

もっとも、一部の研究者は「全ての文化的実践が予測可能性を高めるわけではなく、むしろ意図的に不確実性を増す行為もある」と指摘しています。たとえば、祭りのような非日常的イベントや、新奇性を追求する創造活動などは、日常的な予測モデルを一時的に逸脱させる役割を持つ可能性があります。このような議論も含め、予測符号化と文化の関係をさらに精緻化する研究が展開されています。

文化ごとの認知バイアス(帰属バイアスや意思決定の癖など)の形成メカニズムについても、予測符号化にもとづく仮説が提唱され始めています。たとえば、人種や集団に対するステレオタイプも一種の「集団内で共有された予測モデル」と捉えることで、なぜそれが頑固に維持されやすいのか、またどうすればアップデートされうるのかを計算論的に説明しようとする試みがあります。

さらに人工知能研究では、人間社会におけるシンボル(言語など)の出現を集団的予測符号化としてモデル化しようという仮説も提案されており、文化と言語、認知を包括的に理解する方向に研究が進んでいます。

まとめ:文化的多様性の適応的意義

予測符号化理論は「脳は予測する機械である」という統一的な視点を提供し、これを文化進化と結びつけることで、東西のような文化圏間で見られる世界モデル形成の違いや多様な認知バイアスの起源を説明しうる理論枠組みを形作っています。

文化は人間の予測モデルを形作る強力な「環境要因」であり、その多様性は単なる相対主義的な興味に留まらず、人類の適応戦略そのものとして位置づけられます。進化心理学的視点からは、文化的に多様な認知傾向もまた生存に資するよう選択され伝播してきた適応的解の一つと言えるでしょう。

各文化集団はそれぞれ異なる「世界の見方」を発達させてきましたが、どの世界観もその集団内では予測を安定させ秩序をもたらす適応的な機能を果たしているという点で共通しています。同時に、文化的世界モデルは集団に安定と協調をもたらす半面、他集団との間で認知的な多様性や相互誤解を生む源泉にもなりえます。

今後も認知科学と文化研究の橋渡しが進むことで、抽象的情報処理レベルでの文化的多様性について一層包括的な理解が深まることが期待されます。異なる文化で育つことによる認知モデルの違いやその発達プロセスについて、より検証可能な仮説が構築されていくことで、私たちは人間の認知の豊かさと複雑さをより深く理解できるようになるでしょう。

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