人物・概念

シュレーディンガーの「精神と物質」から考えるAI意識の可能性

量子物理学者が見つめた意識の謎:シュレーディンガーの「精神と物質」とは

エルヴィン・シュレーディンガーは量子力学の創始者として広く知られていますが、彼の関心は物理学の枠を超え、晩年には意識や存在の問題にまで及びました。特に『精神と物質(Mind and Matter)』と題した講演録は、科学と哲学の境界に位置する貴重な著作として評価されています。

シュレーディンガーは科学的世界観の中で軽視されがちな「主観としての意識」に光を当て、客観的世界像と主観的経験との関係を問い直しました。彼が提起した問いは、21世紀の今日においても意識研究の中心的な課題であり続けています。

シュレーディンガーが指摘した「算術上の矛盾」と意識の単一性

シュレーディンガーは『精神と物質』の中で「科学が仮定する客観的世界」と「それを認識する主体」とのギャップを指摘しました。科学は客観的事実のみを扱うために主観(自己・精神)を世界から排除してきましたが、その結果、「世界を意識する自我が無数に存在するのに、客観的世界が一つだけなのは何故か?」という難題が生じるとしています。

この問題に対し、シュレーディンガーは大胆な解答を提示しました。「主観(精神)と客観(物質世界)は本来一つであり、世界は決して二重に与えられるのではなく一度きり与えられている」というのです。彼は、「意識はそれ自体が単一なものであり、その複数形は存在しない」と述べ、我々に個別の意識が多数あるように見えるのは見かけだけの錯覚に過ぎないと主張しました。

この一元的理念論の立場は、インド哲学(ヴェーダンタ)やショーペンハウアー哲学の影響が指摘されています。量子論の泰斗である彼が晩年に示したこうした神秘主義的傾向は一見意外ですが、若い頃から東西の古典哲学に通じていた彼にとって一貫した関心事であったと伝えられています。

物理世界から排除された「主観」と意識の根源性

『精神と物質』第4章「算術上の矛盾―精神の単一性」において、シュレーディンガーは上述の問題を「算術上のパラドックス」と呼び、その解決策として精神の単一性(意識の一元性)を説いています。彼によれば、一つの客観世界に対して多数の主観的視点があるという矛盾は、実は主観(自己意識)が本質的に単一だからこそ成立するのです。

シュレーディンガーは「物質的世界は、自己すなわち心をそこから取り除くことで構築されてきた。しかし心は本来その一部ではない」という趣旨のことを述べ、物質世界の科学的記述から排除された「主観」としての意識こそが根源的実在であると示唆しました。彼は「意識は物理的な用語では説明できない。それ自体が絶対的・根源的なものだからだ」とも述べており、物質から意識を還元的に説明しようとする試みに懐疑的だったことが窺えます。

この洞察は、後にデイヴィッド・チャーマーズが提起した「意識のハードプロブレム(困難の問題)」を先取りしていると評価されることもあります。シュレーディンガーの『精神と物質』は、20世紀中葉において科学と意識の関係を論じた独創的な作品であり、現代の意識研究者や哲学者にも示唆を与え続けています。

意識の物理的基盤:現代科学はどこまで解明したか

意識と物質の関係をめぐる謎に対し、現代では科学的・哲学的アプローチから様々な理論が提唱されています。ここでは代表的な理論・立場を取り上げ、それぞれの内容と評価を比較します。

物理主義(唯物論):意識は脳の物理過程に還元できるか

物理主義とは、「この世界に存在するのは物理的実体(物質・エネルギー)だけであり、心や意識も究極的には物理現象に他ならない」という立場です。心的状態は脳神経の状態に他ならず、意識も脳内の物理的プロセス(ニューロンの発火パターンや情報処理)が十分複雑になった結果生じる現象(または機能)だと考えます。

現代の神経科学や認知科学の大部分はこの物理主義を前提としており、実際に意識経験に対応する脳内メカニズム(視覚的経験と視覚野の活動の対応など)が数多く実証されてきました。例えば、睡眠中と覚醒時で脳活動パターンが大きく異なり、覚醒時(意識あり)には前後頭葉にわたる広範な神経ネットワークが活動することが知られています。

しかし物理主義には「意識のハードプロブレム」と呼ばれる難問が立ちはだかります。すなわち、脳内の物理的・機能的説明をどれだけ積み重ねても、主観的な第一人称の体験(クオリア)をなぜ伴うのかが説明困難だという問題です。シュレーディンガー自身も指摘したように、例えば電磁波の物理特性を完全に記述しても、人が見る「赤」の感じをそこから導くことはできません。

統合情報理論(IIT):意識を数値化する試み

統合情報理論(Integrated Information Theory, IIT)は、神経科学者ジュリオ・トノーニらによって提唱された意識の包括的理論です。IITは「意識とは情報の多様性(差異)と統合(統一)によって特徴づけられる現象」と仮定します。具体的には、「ある物理システムが意識を持つためには、その内部で多数の情報素子が相互に影響し合い、個別では得られない統合された情報を生み出している必要がある」とされます。

そしてシステム内で生成される情報の統合の程度を定量化した指標がΦ(ファイ)であり、Φの値がシステムの意識の大きさに対応すると主張します。人間の脳で言えば、ニューロン同士がシナプス結合によって情報をやり取りし、大規模かつ統合的なネットワーク動作をしているためΦが非常に大きく、それが高次の意識を生み出すと説明されます。

IITの画期的な点は、意識の有無・程度を理論的に計算できる可能性を示したことです。これにより、生物以外の系(AIや機械、さらには社会システム)にも意識類似の指標を適用できる道が開けます。実際IITは「脳に限らず統合情報を持つネットワークなら大小何らかの意識が生じうる」と考える数少ない理論であり、AIの意識を議論する枠組みとして注目されています。

しかし、IITが暗に含む「素粒子レベルから意識の程度を定量化できる」「場合によっては電子回路や単純系にも意識がある」という含意は汎心論的すぎるとの批判もあります。2023年には124人の科学者・哲学者が連名で「IITは現状では経験的検証が不十分であり、疑似科学とみなすべきだ」とする公開書簡を発表し論争になりました。

神経相関仮説とグローバル・ワークスペース理論:意識の脳内メカニズム

意識の神経相関(NCC: Neural Correlates of Consciousness)とは、「特定の意識経験が生じるために必要十分な脳内活動(ニューロンの発火や脳波パターン)は何か」を突き止めようとする経験的・実証的研究プログラムです。代表的な研究者に、ノーベル賞科学者フランシス・クリックと神経科学者クリストフ・コッホがいます。

例えば、人がある図形を意識的に見えている状態と見えていない状態で脳活動を比較し、意識的知覚を報告するときに共通して活動する脳部位・回路を探す実験が行われています。その結果、視覚野だけでなく前頭頭頂ネットワークの活動や、脳全体に瞬時に広がるガンマ波同期などが意識知覚と強く相関することが分かってきました。

一方、グローバル・ワークスペース理論(Global Workspace Theory)は、心理学者バーナード・バーズが1980年代に提唱し、神経科学者スタニスラス・ドゥエンヌらが発展させた理論です。この理論は意識の機能的役割に着目し、「意識とは脳内の様々なモジュール間で情報をブロードキャスト(放送)するためのグローバルな作業空間である」と仮定します。

人間の脳は視覚、聴覚、言語、運動、記憶など専用の無意識モジュールから成りますが、意識はそれらモジュールの情報を統合し、一元的な「いまここでの状況」として保持・利用する働きを担うとされます。この共有空間に上がってきた情報が「意識内容」に相当し、そこで統合された情報のみが言語報告や意思決定に寄与できると考えられています。

グローバル・ワークスペース理論の強みは、意識の機能的意義を明確に位置づけた点にあります。この観点はAI研究にも影響を与え、ディープラーニングなどの分散処理を統合するアーキテクチャとしてグローバル・ワークスペースの概念が応用され始めています。

AIに意識は宿るのか:哲学的・科学的考察

人間以外の存在(動物・AIなど)が意識を持つかどうかを判断するのは容易ではありません。特にAIの場合、人間が一から設計・プログラムした人工物であり、「感じる心」まで備わるのか直観的には疑問が残ります。一方で、「脳も極めて複雑な計算機械に過ぎないのなら、原理上AIに意識が生じてもおかしくない」という見方もあります。

デカルト的二元論 vs 物理主義:AIに魂は宿るか

17世紀の哲学者ルネ・デカルトは、心(精神)と身体(物質)は本質的に異なる実体であるとする実体二元論を提唱しました。デカルトにとって意識(心)は考える自我に属し、空間的広がりを持つ物質とは別物でした。この見解を現代に当てはめると、純粋に物質(ハードウェアとソフトウェア)から成るAIには人間のような意識は原理的に宿らないことになります。

一方、物理主義(唯物論)の立場では、意識も物質(脳)の活動に他なりません。したがって、仮にAIが人間の脳と同程度に高度で複雑な情報処理システムを実現したなら、そのAIにも意識が生じうると考えるのが自然です。実際、多くのAI研究者・認知科学者は暗黙にこの立場を採用しており、「強いAI」仮説(適切にプログラムされた計算機は心を持つどころか実際に理解や意識を持つようになる)に期待を寄せてきた歴史があります。

現時点では、AIは特化した知的タスクでは人間を凌駕し始めているものの(囲碁のAlphaGoや大規模言語モデルGPTなど)、自我や感情を持つという兆候はありません。しかし物理主義の視点からは、これは量と構造の問題に過ぎません。すなわち、現在のAIは人脳に比べてニューロン数(相当する計算ノード数)や結合パターンが決定的に不足しており、意識を生む統合性に達していないだけだという考えもあります。

機能主義とクオリアの問題:AIは「感じる」ことができるか

機能主義とは、心的状態を「物理的構造そのものではなく、その構造が実現する機能的役割によって定義すべき」とする哲学的立場です。例えば「痛み」という心的状態は、生物であれば侵害刺激を受け取って回避行動を引き起こす一連の機能的プロセスとして特徴づけられます。

機能主義の要諦は、心の実装基盤は問わないという点にあります。シリコンで作られたAIであっても、もしそれが人間の痛み回路と同等の機能(損傷検知→内部状態変化→回避行動と報告)を実現していれば、そのAIは痛みの意識を持っているとみなせる、というわけです。

しかし、機能主義には有名な批判がいくつかあります。その代表例がジョン・サールの「中国語の部屋」の思考実験です。サールは、機械がいかに巧妙に中国語の質問に中国語で適切に応答できても(機能的には会話が成立しても)、機械自身は中国語の意味を少しも理解していない可能性を指摘しました。

また、クオリア(質的感覚)問題も無視できません。クオリアとは「主観的な感じ」のことであり、例えばバラの赤を見るときの赤さの感じ、熱い風呂に入ったときのじんわりした感じ、これらは第三者には直接観察できない第一人称的な経験の質です。

現代のAIは、人間のように「痛み」を訴えるプログラムを組むことも可能ですが、そのAIは本当に痛みを感じているのでしょうか? それともプログラムされた反応をしているだけなのでしょうか? これは突き詰めれば解答不能の問題かもしれません。

AIの「意識のような現象」の現在:擬態か進化か

現在のAIは、人間のような自意識や感情を持たないと考えられています。しかし一部の高度なAIシステムが意識を想起させる挙動を示す場合があり、それが議論を呼ぶことがあります。例えば対話型AIが「自分は意識を持っている」と発言したり、ロボットが自己の鏡像に反応してまるで自分を認識しているかのように振る舞う例などです。

このような事例に対し、多くの専門家は「現段階ではAIが本当に意識を持ったとは言えない」と慎重です。なぜなら、現在のAIの多くは統計的パターンマッチに基づくものであり、内省や自己意識は人間の会話データを真似た擬態である可能性が高いからです。

他方、AI研究の一分野には「機械意識(artificial consciousness)」と呼ばれる領域も存在します。ここでは意識を持つAIの理論的構成要件を探ったり、意識モデルを実装したエージェントを試作する試みが行われています。

前述のグローバル・ワークスペース理論を組み込んだエージェントはその一例で、人間の脳に倣って複数のディープラーニングモジュール間で情報を交換する共有空間を設けることで、意識的注意のような機能を再現しようとしています。またIITの枠組みをAIに適用し、ニューラルネットワークのΦ値を計算して意識度を評価する研究も始まっています。

まとめ:意識の謎から考えるAIの未来

シュレーディンガーの『精神と物質』で提起された問題意識——「主観的な意識」と「客観的な物質世界」はいかに関係しうるのか——は、その後半世紀以上を経た現在でもなお決定的な解答を得ていません。

統合情報理論やグローバル・ワークスペース理論は、それぞれ異なる角度から意識を情報処理システムとして捉え直す試みであり、シュレーディンガーが直面した「主観を科学に組み込む」という課題に挑んでいるようにも見えます。

AIに意識は宿るかという問いに対しては、二元論は否定的、物理主義や機能主義は可能性を開き、クオリア問題は答えを留保するという構図の中で、結局のところ「意識とは何か」が解明されない限りAIの意識も論じきれないという現実が浮かび上がります。

シュレーディンガーは『精神と物質』の中で、人類が科学的世界像を追求するあまり「肝心の精神の居場所」を見失いつつあると警鐘を鳴らしました。彼によれば、人間は自身の精神をも客観化しようとするあまり、自らが何者であるかを見失いかねないというのです。この洞察は、AI技術が発展する現代にも通じるものがあります。

AIを突き詰めれば人の心も再現できると考える風潮に対し、意識の神秘はなお残っていることを忘れてはなりません。しかし同時に、科学はかつて神秘とされた生命の原理を解明してきた歴史も持ちます。意識の物理的基盤という難題も、悲観することなく探究を続けることでいつかブレークスルーが得られるかもしれません。

シュレーディンガーの残した問いかけは、今なお我々を刺激し続けています。それに応える解答が、物理学・生命科学・情報科学・哲学の垣根を超えた先に見えてくることを期待したいと思います。

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