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量子もつれと間主観性が示す驚きの共通性:関係性こそが実在の基盤である

量子物理学と現象学が交わる場所:なぜ今、この対話が重要なのか

量子物理学の量子もつれ現象と、哲学における間主観性の理論。これらは一見まったく異なる世界の話に思えます。しかし、21世紀の学際的研究が明らかにしつつあるのは、両者に共通する根本的な構造です。それは「個体や部分よりも、関係性が先立つ」という発想です。

従来の科学は、世界を独立した部分の集合として理解してきました。同様に、近代哲学は孤立した主体(自己)を前提に思考を組み立ててきました。しかし量子もつれは、空間的に離れた粒子が単一の系として振る舞う非局所的相関を示し、現象学は自己と他者が根源的に絡み合って経験が成立することを明らかにしています。

本記事では、メルロ=ポンティの現象学、トンプソンやザハヴィの間主観性理論、そして量子エンタングルメントの理論的意義を検討しながら、「関係性の実在論」とも呼ぶべき新しい世界観の輪郭を描き出します。


メルロ=ポンティの現象学が示す主客未分化の世界

身体を通じた世界との根源的な交わり

20世紀フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティは、著書『知覚の現象学』において、人間の経験を主観と客観の相互関係から捉え直しました。彼の中心的な主張は、身体を持った存在としての主観と世界とのあいだには根源的な交わりがあるというものです。

知覚とは、主体が受動的に客体を写し取る過程ではありません。むしろ主体(身体)と対象(世界)が常に相互に絡み合いながら現象が成立する過程なのです。私たちは世界の中に身体的に存在し、知覚を通じて能動的に世界の意味を構成しています。この主張は、知覚における主客の不可分性を強調するものであり、主観と客観の明確な分離を前提とする従来の見方を根底から覆します。

間主観的世界:他者と共有された現実

メルロ=ポンティによれば、私たちが生きる現実の世界は初めから他者と共有された間主観的な世界です。主体は決して孤立せず、生まれ落ちた時から他者との関係の中で世界を経験します。

特に重要なのは「肉」(la chair)の概念です。後期の未完稿『見えるものと見えないもの』で導入されたこの概念は、主観でも客観でもない中間的な「要素」としての存在を指します。メルロ=ポンティは握手の例を用いて説明します。自分が他者に触れていると同時に他者から触れられてもおり、主体と主体が互いに相手の感覚世界に参与しあっているのです。

ここから導かれるのは、互いに独立した主体AとBが後から関係を結ぶのではなく、関係性(互いに触れ・触れられる構造)の中にこそ主体が現れるという見方です。純粋に個人的な主観や絶対的に客観的な世界は抽象的なフィクションであり、現実の経験は常に間主観的=相互構成的なものだと理解されます。


量子もつれ現象:空間を超えた不思議な相関

「不気味な遠隔作用」の実在

量子エンタングルメント(量子もつれ)は、空間的に離れた複数の粒子の状態が強く結びついて一種の単一の系のように振る舞う現象です。具体的には、一方の粒子を測定すると瞬時に他方の粒子の状態が決定され、その効果がどんな距離を隔てていても現れます。

アインシュタインはこれを「距離に関係なく及ぶ不気味な作用」と呼びました。重要なのは、この効果が情報を光速より速く伝達するわけではないことです。エンタングルした粒子間には測定結果の相関がありますが、それは受動的な相関であって能動的にメッセージを送れるわけではありません。むしろエンタングルした全体系が一体となって振る舞っているため、各粒子があたかも一つの統一的な状態を共有しているように見えるのです。

ベルの定理が証明した非局所性

1960年代にジョン・ベルが提唱したベルの定理によって、この量子もつれの持つ相関が極めて根源的な意味を持つことが明らかになりました。ベルは、エンタングルメントによる相関と局所的実在論に基づく相関を区別する不等式を導出しました。

1980年代のアラン・アスペやジョン・クラウザーらの実験によってベル不等式はことごとく破られ、自然は局所的隠れ変数モデルでは説明できない相関、すなわち量子非局所性を実証しました。2022年にはこの功績に対しノーベル物理学賞が授与され、量子もつれ現象の実在性と重要性が改めて認められています。

情報の非局所的記憶という特性

量子情報科学の観点から見ると、エンタングルメントは情報が局所ではなく非局所的に記録される仕組みを示しています。量子状態に関する情報は個々の粒子の中に分割して入っているのではなく、粒子どうしの関係そのものの中に保存されているのです。

エンタングルした系では、一部分だけを取り出しても元の状態に関する完全な情報は得られず、系全体を見ないとわからない情報が存在します。このエンタングルメントエントロピーは量子多体系の複雑さや量子情報プロセスの容量を測る指標となっています。


トンプソンとザハヴィの間主観性理論:認知科学との対話

ザハヴィによる他我問題の批判的再検討

現代の現象学者ダン・ザハヴィは、著書『自己と他者』などで間主観性の問題を深く探究しています。彼が批判するのは「他人にも心があるとどうやって知りうるのか」という古典的な他我問題の前提そのものです。

ザハヴィによれば、現象学者にとって重要なのは、他者の存在を推論によって知ることではなく、初めから自他が同じ世界を共有し相互に現れ合っているという事実を解明することです。私が何かを認識するとき、その対象は常に「誰にとっても同じ対象」として現れており、その背後には暗黙のうちに他者の視点が織り込まれています。

例えば目の前のコーヒーカップを知覚するとき、私はそのカップを自分だけの主観的幻影としてではなく、「誰か他の人から見ても同じであろう現実の物」として捉えています。カップの背面は今は見えなくとも「後ろ側もちゃんと存在し、他の観察者には見えるだろう」と暗黙に前提しており、この意味で対象は初めから公共性を帯びているのです。

トンプソンのエナクティヴ・アプローチ

エヴァン・トンプソンは認知科学者でもあり、フランシスコ・ヴァレラらと共著した『エンボディード・マインド』は認知科学に現象学的視点を導入した先駆的研究として知られます。トンプソンが発展させたエナクティヴ(enactive)なアプローチでは、心とは脳内に閉じた情報処理装置ではなく、身体を介した環境との相互作用、すなわち「エナクション(創発的な活動)」の中に現れると考えます。

トンプソンもまた他者との相互作用を重視し、社会的認知や相手の意図理解は、観察者が他者を客体化して内部状態を推測するのではなく、共同の活動や文脈の中で共に意味を創り上げるプロセスだと捉えます。彼らによれば、実際の他者との遭遇では「目の前に現れているのは単なる身体でも隠れた心でもなく、それらが一体となった生き生きとした全体である」のです。

表情や身振りといった身体的表現は、単なる内面状態の手がかりではなく他者の主観的体験の直接的な顕現である——この見解はメルロ=ポンティが『知覚の現象学』で展開した「表現としての身体」論に通じるものです。


現象学と量子論を架橋する哲学的枠組み

現象学的自然主義:主観を含む自然の理解

現象学的自然主義とは、現象学(主観の哲学)と自然科学的手法を和解させようとする立場です。このアプローチでは、心的現象を自然の中に位置づけつつ、その主観的特徴を捨て去らない方法論が模索されます。

伝統的な科学的自然主義が意識現象を物理現象に還元しがちなのに対し、現象学的自然主義は逆に「自然そのものを現象学化する」戦略を取ります。具体的には、「自然」を物理量の集合として捉えるのではなく、「経験に現れるプロセスの織りなすもの」として捉え直します。

この流れの具体例として、ヴァレラが提唱した神経現象学やトンプソンらのエナクティヴ認知科学が挙げられます。神経現象学では、一人称的な主観報告と三人称的な脳活動計測を統合し、経験と物理的過程の対応関係を相補的に理解しようとします。このようなアプローチは「主観と客観という異なる次元を一つの枠組みで扱う」という点で、量子測定問題における観測者と系の問題とも通底します。

構成的関係論:関係が実在を作る

構成的関係論とは、「存在者同士の関係こそが当の存在者を成り立たせている」という見解です。形而上学の伝統では、まず個々の実体が先にあって、それらの間に関係が二次的に生じると考えられてきました。これに対し関係論では、初めに関係ありきで実体は関係から後発的に抽出されるものと考えます。

物理学では、リレーショナル量子力学(関係性解釈)が構成的関係論の好例です。カルロ・ロヴェッリらが提唱するこの解釈では、「量子状態は観測者や他の物理系との関係によってのみ定義され、独立した客観的状態というものは存在しない」とされます。異なる観察者には異なる現実がありうるという点で、極めて現象学的な色彩を帯びています。

メルロ=ポンティ自身も「主観と客観という二項対立を越えて、関係そのものを見る」態度を取るべきだと述べており、リレーショナル解釈の立場と響き合うものがあります。近年の科学哲学者カレン・バラドは、エージェンシャル・リアリズムという理論の中で「観察者と観察対象は観測という実践の中で互いに構成しあう(intra-act)のであって、予め分離した主体と客体が相互作用するのではない」と述べています。

エナクティヴィズム:知と存在の協調的創発

エナクティヴィズムは、現象学的自然主義や構成的関係論の思想を特に認知科学と哲学の領域で具体化したアプローチです。その中核にあるテーマは大きく三つあります:生命と心の連続性、主観的・第一次的な経験の正当性、西洋以外の知の伝統の重視です。

エナクティヴィズムのキーワードである「enact(エナクト)」とは「実現する・生み出す」という意味で、知覚や認知は主体が環境との相互作用の中で世界を「創出」していく過程であることを示唆します。心を脳内表象の情報処理装置とみなす見方を退け、身体・環境・他者を含めた広がりの中で心的現象を捉えるのです。

トンプソンらは「科学が示す世界像を受け入れて我々の経験を否定するか、経験を重視して科学を否定するか」という二者択一は誤りであり、その両者を統合する第三の道が必要だと述べています。エナクティヴィズムこそがその第三の道であり、「観察者と観察対象という二項図式に基づかない知の様式」を科学にもたらすことを目指しています。


まとめ:関係性の実在論が開く新しい世界観

量子もつれにおける情報の非局所性と、現象学的経験における間主観性の相互構成という一見無関係なテーマを見比べてきましたが、浮かび上がるのは「関係性の実在論」とも言うべき共通の地平です。

量子物理学は、私たちに自然の基盤に相互依存的で全体論的な構造があることを示唆しました。それは、観測者から独立した客観的実在という近代科学の前提を揺るがし、世界を相互作用のネットワークとして理解する方向へと導きます。一方、現象学とその流れを汲む現代思想は、主観(自己)もまた他者や世界との関係抜きには立ち現れないことを明らかにしました。

もっとも、量子もつれと間主観性の類比があくまでアナロジーであり、直接に同一視できる現象ではないことには留意が必要です。しかし、両者の間に見られた構造的共通性は決して偶然の一致ではなく、近代以降分断されてきた「客観世界」と「主観世界」を改めて接続し直すためのヒントを与えてくれます。

21世紀に入り、学問の細分化を超えて知の再統合を目指す動きが活発化しています。量子もつれ現象とも関連する情報理論的な世界観や、現象学に根ざした経験の第一人称的研究は、その両極から世界の捉え方を刷新しつつあります。両者の対話から生まれる知見は、私たちが「観ることと見られること」「主体であることと客体であること」の関係性を再評価し、人間を含む世界観を拡張する可能性を秘めています。

今後もこのような学際的探究を深化させることで、私たちは意識と物質のあいだの深い謎に一歩ずつ迫り、包括的な理解へと近づいていけるでしょう。

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