AI研究

生成AI時代のSECIモデル:知識創造プロセスの変革と人間とAIの共創

はじめに:生成AIが問い直す知識創造の本質

野中郁次郎が提唱したSECIモデルは、組織における知識創造のメカニズムを説明する理論として、長年にわたり実務と研究の両面で重要な役割を果たしてきました。共同化・表出化・連結化・内面化という4つのプロセスを通じて、暗黙知と形式知が相互に変換され、組織の知的資産が蓄積されていくという考え方です。

しかし、生成AIの急速な進化は、この知識創造プロセスに根本的な問いを投げかけています。膨大なデータから新たなコンテンツを生成し、人間の言語や思考パターンを学習するAIは、知識の創造・共有・活用の在り方をどのように変えるのか。本記事では、SECIモデルの各プロセスにおける生成AIの影響を分析し、暗黙知と形式知のバランス、組織・社会における知識創造の変化について考察します。

SECIモデルの4つのプロセスと生成AIの関係

共同化(Socialization):AIは暗黙知の共有を代替できるのか

共同化は、人と人が直接対話や共同作業を通じて暗黙知を共有するプロセスです。対面での経験共有、観察、実地訓練など、身体性を伴う「場」が重要とされてきました。

ここで重要な問いは、AIが暗黙知の共有に関与できるかという点です。現状では、AIは身体を持たず、感情移入や共感といった人間特有の能力を欠いているため、暗黙知の源泉である直接経験に基づく洞察には関与できません。野中氏自身も「共同化は少なくとも現時点ではAIでは代替できない」と述べており、暗黙知の共有には人間同士の直接的な交流が不可欠だという慎重な見方があります。

一方で、生成AIは共同化を間接的に支援するツールとしての可能性を持っています。社内の熟練者の経験談やノウハウをテキストデータとして蓄積し、AIがそれらを学習することで、新人教育に活用できる可能性があります。生成AIエージェントがベテラン技術者の判断パターンを再現し、新人にフィードバックを提供することで、暗黙知の共有を加速できるという提案もあります。

またAIチャットボットを活用すれば、遠隔地にいる社員同士が疑似的に対話し知識交換する場を提供したり、個々の文脈に応じたアドバイスを即座に提示することで、共同化を補完できます。つまり、生成AIは人間同士の暗黙知共有そのものを代替するのではなく、知識共有のための情報基盤や対話支援ツールとして機能する可能性があります。

表出化(Externalization):暗黙知の言語化を加速する力

表出化は、暗黙知を言語や図表などの形式知に変換するプロセスです。ここで生成AIは強力な支援者となり得ます。

熟練者が頭の中に持つノウハウや直感を、対話型AIに語りかけることで文章化・図解化してもらうという活用が考えられます。生成AIは対話やデータ分析を通じて個人の暗黙知を言語化・可視化できるという指摘があり、実際に会議での議論内容をAIが自動で議事録に起こし、意思決定の根拠や経緯を整理して共有資料にまとめることが可能になっています。

これにより、属人的な暗黙知だったノウハウが組織全体で参照可能な形式知に転換されます。クリエイティブ分野でも、デザインや製品開発の暗黙の勘所をAIが分析し、「なぜそれが効果的か」を説明させる試みも進んでいます。生成AIは暗黙知の捕捉とコード化を支援し、知識の表出化を自動化する可能性を持っています。

しかし留意すべきは、真に斬新な概念やアイデアの創出には、人間の身体感覚に根ざした直観が不可欠だという点です。AIが文章化してくれるのはあくまで既存の知識や経験に基づく内容であり、まったく新しい概念を生み出すには限界があります。野中氏も「直接経験から生まれる暗黙知が新たな形式知の源泉となる。その身体性と結びついた内発的な直観が無ければ、本質的に新しいコンセプト創造は難しい」と述べています。

つまり、生成AIは表出化を機械的に助けるものの、その素材となる暗黙知自体を豊かにし独創的な概念を生むためには、人間の深い体験と思索が依然として要となるのです。

連結化(Combination):形式知の統合における圧倒的優位性

連結化は、既存の形式知同士を組み合わせ、新たな形式知を創造するプロセスです。これは生成AIが最も得意とする領域の一つと考えられます。

大規模言語モデルは、インターネットや社内データベース上の膨大なテキストを横断的に参照し、それらを統合した新しい文章や分析結果を生成できます。社内の技術レポートと最新の市場動向データをクロス分析して「今後の製品開発の方向性」に関する洞察をAIが提案するといったことも可能です。

生成AIエージェントは異なる情報ソースを組み合わせ業界トレンドの洞察を提供したり、経営戦略の立案を支援したりする役割を果たし始めています。AIは、人間では処理しきれない量の情報を統合してパターンや関連性を見出し、新たな知見を引き出す点で連結化を飛躍的に強化します。生成AIは知識の統合・組み合わせを自動化し、必要な情報を迅速に抽出して意思決定に活かせることが報告されています。

もっとも、AIによる連結化にも人間の関与が重要です。AIは既存データからパターンを抽出するため、組み合わせの結果生まれる知識は元データに依存します。過去のデータに偏った分析や既知の範囲内での組み合わせでは、イノベーティブな知識は限定的かもしれません。

また生成AIはしばしば誤った関連付けや見かけ上もっともらしい誤情報を生み出す場合もあるため、人間が結果を精査し批判的思考で補完する必要があります。吟味されたAI利用を行うことで、AIの連結化能力と人間の創造的判断力を組み合わせ、質の高い新知識を創出することが求められます。生成AIは連結化プロセスを加速・拡張する強力なエンジンですが、人間の洞察と監督を組み合わせてこそ有用な知識創造につながるのです。

内面化(Internalization):学習プロセスの個別最適化

内面化は、形式知を実践を通じて個人の暗黙知に変換するプロセスです。文書化されたベストプラクティスを実際に試し、体得することで自分の経験知とするような活動を指します。

生成AIはこの内面化を支援するツールとしても活用できます。AIが作成した教材やシミュレーションを使ってトレーニングを行えば、短時間で多様なケースを疑似体験でき、実地経験を補完できる可能性があります。AIが生成したトレーニングデータやシナリオを用いて社員が新スキルを習得し実務で活用することで、新たな暗黙知が生まれるといった応用例も考えられています。

対話型の生成AIは個々人の理解度に合わせて説明やヒントを出すインタラクティブな教師役を担うこともでき、学習者は自分のペースで知識を吸収しやすくなります。このように生成AIは知識の習得プロセスをパーソナライズし、形式知の内面化を効率化する可能性があります。

とはいえ、内面化の本質は行動を通じた経験の蓄積であり、AIが代わりに経験してあげることはできません。人間が実際に行動し失敗や成功から学ぶことでしか得られない暗黙知がある点に注意が必要です。生成AIによって知識習得の教材やガイドは容易に手に入りますが、それを使ってどれだけ主体的に経験学習を積むかは最終的に個人や組織の姿勢次第です。

過度にAIに頼り指示どおり動くだけでは、深い暗黙知の蓄積が進まず表面的な知識に留まる恐れもあります。したがって、生成AIは内面化プロセスを補助する存在であって、人間自らが経験から暗黙知を培う姿勢を置き換えるものではないと認識すべきでしょう。

暗黙知と形式知のバランスへの影響

形式知偏重のリスクと暗黙知の希少性

生成AI時代においては、暗黙知と形式知のバランスの再考が重要課題となります。従来のナレッジマネジメントは文書やデータベースによる形式知の共有に偏りがちで、暗黙知の深化がおろそかになっていたという指摘があります。多くの企業はITツールを用いた情報共有に注力する一方で、暗黙知そのものを豊かにする取組み(現場での経験学習や対話の促進)が不十分だったという反省があります。

生成AIはその傾向をさらに強める可能性があります。形式知の利活用が格段に容易になるあまり、人間が自ら体験し考えることによる暗黙知の醸成が軽視されるリスクです。専門家からは「AIが人間の熟練に必要なプロセスを肩代わりすると、経験に裏打ちされた暗黙知が集団から失われていく」との懸念も出ています。組織としても、人材が経験から学ぶ前にAIが答えを提示してしまうと、属人的な知恵が育たなくなる恐れがあります。

一方で、生成AIの活用によって形式知の活用価値が極限まで高まるため、相対的に暗黙知の希少性・重要性が増すとも考えられます。誰もがAI経由で一般的な知識・情報にアクセスできる時代には、競争優位は模倣困難な暗黙知(熟練者の洞察や組織固有の文化的知)にこそ宿るからです。

人間とAIの協調による新たなバランス

最新の知識経営研究でも「高度なAI生成の形式知に依存しすぎると人間由来の暗黙知が軽視されがちになるが、むしろそのバランスを取ることが重要」という指摘があります。生成AIがもたらす大量の形式知アウトプットを人間の暗黙知でどう評価し活用するか、その調和がこれまで以上に問われるのです。

例えば、AIが提示した分析結果を最終的に採用するかどうかは現場の判断(経験知)が鍵を握るでしょうし、新規事業のアイデア出しではAIが過去事例を提示する一方で、そこにない発想は現場の洞察から出てくるでしょう。形式知の洪水を取捨選択し価値あるものに昇華させる暗黙知の働きが今後ますます重要になります。

企業はこのバランスを踏まえ、単にAI任せで知識を生成・取得するのでなく、人間ならではの経験や直観を磨く仕組み作りに力を入れる必要があります。定期的に現場社員が集まって対話し経験を共有する「Ba(場)」の創出や、ジョブローテーションで多様な経験を積ませるなど、意図的に暗黙知を涵養する施策が求められます。

生成AI時代だからこそ、「人間にしかできない学習」への投資が組織の知的基盤を強化すると言えるでしょう。野中氏も、データやAIに頼るだけでなく「五感をフルに使った共感や体験」を重視せよと強調しており、暗黙知を源泉とする知の重要性は不変だと示唆しています。

組織における知識創造の変化と実践

知識管理の方法論の刷新

生成AIの普及は、組織内部での知識管理の方法論を刷新しつつあります。社内ナレッジベースへのAI導入で必要知識へ瞬時にアクセスできるようになると、従業員同士が情報を探して質問し合う手間が減ります。その結果、従来は担当者個人に蓄積されがちだったノウハウがより広く共有され、組織内の知識フローが滑らかになるメリットがあります。

さらに、生成AIが日常業務のナレッジ支援を担うことで、専門知識の有無に関わらず誰もが一定レベルの情報にアクセスできる「知の民主化」が進みます。新入社員や若手でもAIを活用して高度な情報分析や企画立案ができるようになれば、組織のボトムアップからイノベーションが生まれる可能性もあります。

実際、アディダス社では社内知識ベースに生成AIを組み込み、エンジニアが対話形式で汎用的な質問から極めて専門的な問い合わせまで迅速に回答を得られるようにした結果、情報検索やデータ管理に費やす時間が大幅に削減されました。このような活用により、人々はルーティン的な情報収集に煩わされず創造的なタスクにより多くの時間を割けるようになります。

組織構造と人材育成の再設計

一方で、若手が最初からAI頼みで業務をこなすことで現場経験を積めず、新人育成やナレッジ継承の方法を再考せねばならない場面も出てくるでしょう。OJTにおいても、まずAIに聞かせる前に自分で考えさせる、対面でのメンタリングとAI学習を組み合わせる、といった教育設計が必要になるかもしれません。

組織文化としても、「わからなければまずAIに質問」ではなく「自ら考え、それでも不足ならAIも活用」のように、安易なAI依存に陥らない知的風土を醸成することが重要です。

ナレッジマネジメントの自動化が進めば、従来のヒエラルキー型組織からフラットでアジャイルな組織への移行が促進されるとも言われます。意思決定の際に上層部だけが情報を独占するのではなく、AI経由で現場にも情報が行き渡ることで、現場の判断で迅速に対応できる自律分散型の組織運営が可能になるからです。

社会全体への波及効果

社内外の境界も知識面では薄れ、社外の知見をAIが取り込み社内提案に活かす、逆に社内ナレッジをAIを介して発信しエコシステムを築く、といったオープンイノベーション的な動きも活発化するでしょう。コミュニティや業界を超えた知識共創が加速すれば、社会全体としても知識創造のダイナミズムが増します。

生成AIはオンライン上のコミュニティ形成やナレッジ共有を後押しすることが報告されています。共通の関心を持つ人々をAIがマッチングしたり、自動でQ&A支援することで、知識コミュニティの活動が活発化する例も出てきています。このように、生成AIは組織内外の知識ネットワークを広げ、社会全体での知の連携を深める方向に寄与しています。

生成AI活用における課題とガバナンス

リスクと制約の認識

生成AIの導入は新たな知識管理上の課題も突き付けています。まず、AIに依存しすぎることで人間同士の対話や共同体験の機会が減少し、暗黙知を培う場が失われる恐れがあります。実務の中で先輩から学んだり周囲と議論しながら問題解決する経験が、AIによる即時回答で代替されてしまうと、特に若手社員が現場で学ぶ機会が減り「経験知の蓄積」が阻害される可能性が指摘されています。

また、生成AIは過去データに基づくため既存知にない未来の変化やコンテクストには対応できないという限界もあります。未知の状況で価値を創造するためには、やはり人間が自ら現場で感じ取り試行錯誤することが不可欠です。

さらに、生成AIにはバイアスや誤情報の混入リスク、機密情報の流出リスクなども伴います。社内の知識管理に安易にパブリックな生成AIサービスを使えば、秘密情報が学習データとして流出する懸念もありますし、AIの提案を鵜呑みにして誤った意思決定を行う危険もあります。

効果的な活用のための指針

知識創造プロセスの変革は諸刃の剣であり、AI活用の恩恵を享受しつつリスクを抑えるガバナンスが求められます。生成AIを使いこなすリテラシー教育や、AIが出力した内容を批判的に検証する「二人三脚」の運用が欠かせないでしょう。

成功している企業は同時にガバナンスにも注力しています。AIが提案した内容を人間の専門家が必ず検証するフローを入れたり、AIに学習させるデータを厳選しバイアス排除に努めたりといった取り組みです。加えて、従業員に対しても「AIを鵜呑みにせず批判的視点を持つこと」「現場の経験知との擦り合わせを行うこと」を研修で周知するケースもあります。

このように人間とAIの役割分担・協調を明確に定義した上でAIを知識管理に統合することが、企業事例の成功要因として共通しているのです。技術面だけでなく制度面・文化面での整備が、生成AIによる知識創造力強化には不可欠だと言えるでしょう。

まとめ:人間とAIの共創による知識創造の未来

生成AI時代におけるSECIモデルの適用可能性を考察してきました。生成AIは共同化・表出化・連結化・内面化の各プロセスで有効な支援ツールとなり得て、知識創造のスピードと範囲を拡大する大きな可能性を持っています。特に形式知の統合・共有において顕著な効果を発揮し、組織の明示的な知識資産をフル活用することで新たな知見を創出できます。

一方で、暗黙知の重要性は依然として色褪せず、むしろAIには代替できない人間固有の経験知こそが新規価値創造の源泉であることが再認識されました。生成AIにより形式知偏重に陥るリスクも指摘される中で、人間の五感や直感にもとづく暗黙知をいかに育み活かすかがこれまで以上に問われています。

効果的な知識創造には生成AIの能力と人間の洞察を調和させる「バランスの取れたアプローチ」が必要です。AIの力を最大限活用しつつも、そのアウトプットを人間が批判的に検討し、現場の経験と照合して意味づけするという協働が欠かせません。野中郁次郎氏が強調するように、知識創造の本質は人間の暗黙知に根差す部分にあり、生成AIはそれを補助・拡張する存在です。

今後、組織や社会が取るべき道は、生成AIを上手に組み込みつつ人間の創造性・学習力をさらに伸ばすこと――すなわち「AIと人間の共創」による知識創造体系の構築と言えるでしょう。このバランスを追求することで、生成AI時代においても持続的なイノベーションを生み出す真の「知識創造」が実現できると期待されます。

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