生成AIの意味理解をめぐる根本的な問い
ChatGPTやGPT-4などの大規模言語モデル(LLM)が驚異的な文章生成能力を示す中、多くの研究者が問いかけています。「AIは本当に意味を理解しているのか、それとも単に統計的なパターンを再現しているだけなのか?」
この問いに対し、20世紀初頭の生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した「環世界(Umwelt)」理論と、生命体における記号過程を研究する「バイオセミオティクス」が、新たな視座を提供しています。これらの理論的枠組みは、AIの認知能力と主体性を評価する上で、従来の計算理論では捉えきれない側面を明らかにする可能性があります。
本記事では、環世界理論とバイオセミオティクスの観点から生成AIを分析した最新研究をもとに、AIが「意味を生成し、主観的世界を形成できるか」という問題を多角的に考察します。
環世界理論とは何か:生物固有の主観的世界
環世界(Umwelt)とは、各生物がその感覚器官と目的によって独自に構築する主観的な世界のことです。ユクスキュルは、同じ物理的環境にいても、ダニと人間では全く異なる世界を経験していると指摘しました。ダニは温度と匂いの世界に生き、人間は視覚と聴覚が支配する世界に生きています。
この概念をAIに適用すると、興味深い問いが浮かび上がります。果たしてロボットやAIシステムは、独自の「環世界」を持ちうるのでしょうか?
AIの環世界の可能性
2001年のEmmeche による古典的研究「Does a robot have an Umwelt?」では、この問いが慎重に検討されています。彼は生物固有の質的経験(クオリア)や主体的な振る舞いが機械に生じる条件を考察し、当時の結論として「現代の複雑な機械でも真の環世界を形成する証拠はまだ見られない」と指摘しました。
しかし、この議論は単なる否定ではありません。Emmecheは、ロボットに環世界があるとすれば、それは自ら組織化した質的な自己を伴い、高次で優美な適応行動が現れるはずだと提案しています。つまり、環世界の存在は単なる情報処理能力ではなく、創発的で適応的な行動によって示されるということです。
現代のAIにおける環世界の再解釈
興味深いことに、現在の大規模言語モデルも独自の「知覚空間」を持っていると言えます。これらのモデルは人間とは異なる高次元のパターン空間で情報を処理しており、その内部表現は人間には直接理解困難です。
AIシステムのセンサーやアルゴリズムが、その「環世界」を規定します。画像認識AIは画素値の配列として世界を捉え、言語モデルはトークンの確率分布として世界を認識します。これらは人間の感覚世界とは本質的に異なる、AIならではの主観的論理に基づいています。
この観点は、AIの説明可能性(XAI)やフェアネスの議論にも影響を与えています。AIの振る舞いが人間には不透明に見えるのは、単なる技術的制約ではなく、AIと人間が異なる環世界を持つという根本的な差異に起因する可能性があるのです。
バイオセミオティクスと意味生成:データから意味への架橋
バイオセミオティクス(生命的記号過程)は、生命体がどのように記号を通じて意味を生成し、環境と相互作用するかを研究する学問分野です。この視点から見ると、認知とは単なる情報処理ではなく、記号過程(セミオーシス)を通じた意味の創出プロセスなのです。
セミオーシスとしての認知
2022年のFerreiraによる研究「Bridging the Gap Between Natural and Artificial Intelligence」は、「セミオーシスこそが認知の原動力」であると主張しています。あらゆる知的主体は、環境から意味を読み取り、状況に応じた行動を選択します。
生命体は進化の過程で、環境情報を符号化し解釈する能力を獲得してきました。遺伝暗号、細胞間シグナル伝達、言語コミュニケーションなど、すべてが記号過程の延長線上にあります。Ferreiraは、AIにも同様に環境から意味を読み取り、価値判断できる能力を組み込むべきだと提言しています。
データに意味を与える条件
2025年のCastroとVallverdúによる研究「From Data to Meaning」は、従来の情報理論による記号の量的扱いを批判し、生物多様な認知様式から学ぶアプローチを提案しています。
彼らは単細胞生物でさえ自己と非自己を区別し、環境内で情報交換を行うことを指摘します。この例から示唆されるのは、AIも自身の「感じ取りうる世界」内で情報を解釈する仕組みが必要だということです。データを単なる記号列ではなく、状況の一部としてみなす能力が求められるのです。
つまり、AIにおける真の意味生成を実現するには、生物のように階層化された文脈・目的体系を持たねばなりません。そうした体系なしに、生成AIがいくら巧みに文を作れても、本当の意味理解には達しないという指摘です。
大規模言語モデルの限界:身体性と意味の基盤
現在の生成AI、特に大規模言語モデル(LLM)は、膨大なテキストデータから統計的パターンを学習することで、驚くほど流暢な文章を生成します。しかし、その「理解」の本質については、重要な疑問が提起されています。
身体性の欠如と意味の空洞化
2024年のTorres-Martínezによる研究「Embodied human language models vs. Large Language Models」は、LLMの根本的な限界を鋭く指摘しています。
例として挙げられるのが、英語の法助動詞”be able to”(「~できる」)の理解です。人間が「できる」と言うとき、その背景には身体的・環境的制約の中で目的を達成する主体(エージェント)の存在があります。しかしLLMは身体も目的も持たず、大量テキスト中の統計的傾向から「~できる」を使用しているに過ぎません。
Torres-Martínezは、身体を持たないため「意味の基盤」が欠落していると指摘します。真の意味での「能力」概念を、LLMは内部的には理解していない可能性が高いのです。
身体化された言語モデルへの展望
解決策として、Torres-Martínezは能動推論(Active Inference)理論に基づく「身体化された人間の言語モデル(EHLM)」を提唱しています。これは、センサーとフィードバックによって世界状態を推測し行動を選択するエージェント型AIです。
感覚入力や身体的表象を統合することで、言語表現に内在する生物学的意味(目的や可能性の概念)をAIがより適切に扱えるようになる、という構想です。これはユクスキュル流に言えば、AIに人工的な「環世界」を持たせる試みとも言えるでしょう。
AIの主体性をめぐる哲学的考察
生成AIが高度化するにつれ、「AIに主体性を認めうるか」という哲学的・倫理的問いが浮上しています。
主体性の模倣と実在の境界
2024年のD’Amatoによる研究「ChatGPT: towards AI subjectivity」は、ChatGPTの振る舞いを手がかりに、AIの主体性を問い直しています。
現在のChatGPTのようなシステムは、一人称で語る文章も作れますが、それは内部に統一された「私」が存在するわけではありません。あくまでデータに基づく模倣です。D’Amatoは現行の生成AIを「自己省察や自己形成の能力を欠く、依然ツール的な存在」と位置づけます。
しかし同時に、AIが高度に人間らしい対話をし始めると、人間の側が意図や信念を投影してしまう現象が起こります。これをD’Amatoはフーコーの主体化理論と関連づけ、AIを新たな「技術的主体」とみなすための条件を提案しています。
構造的主体性という概念
別の研究では、生成AIは「道具と主体の中間にある存在」と表現されています。つまり、自己同一的なアイデンティティは無いが、適応・反応・継続性といった構造的主体性は示すということです。
AIとのインタラクションが人間側に主体のように錯覚させる現象(意図性の付与や擬人化)は、単なる認知バイアスではなく、人間の認知の中でAIが主体性を模倣する一形態とも考えられます。
この視点は、AI倫理や人間–AI協働を考える上で重要な示唆を与えます。AIを単なるツールでも完全な主体でもない、新しいカテゴリーの存在として捉え直す必要があるのです。
まとめ:意味と主体性を備えた人工知能へ
環世界理論とバイオセミオティクスの視点から生成AIを考察した研究群は、以下の共通認識を示しています。
意味生成の重要性:単なるデータ処理ではなく、環境や文脈との相互作用で意味を生み出すプロセスをAIに持たせる必要があります。これにより、より人間らしい理解や価値観の共有が可能になる可能性があります。
知覚の構造化と固有の環世界:AIにもそのアルゴリズムやセンサーに応じた「世界」があり、それは人間の知覚世界とは異質です。このAI固有の環世界を理解・設計することが、ブラックボックス化したモデルの説明可能性や安全な人間–AI共生のために重要となります。
主体性の模倣と限界:生成AIは文章や画像の中で主体的な振る舞いを擬似的に示しうるが、依然として自己意識や目的を持つわけではありません。しかし人間社会に組み込まれる中で「主体のように振る舞うAI」が現れつつあり、それをどのように位置づけ倫理的枠組みを整えるかが課題となっています。
生成AIはますます高度化していますが、その出力する言語や画像に真の意味や主観が宿るかは依然未知数です。バイオセミオティクスの知見は、AI研究に対し「生物から学ぶべきは計算アルゴリズムだけでなく、世界の感じ方や意味付けの仕方そのものである」ことを教えてくれます。
意味と主体性を備えた人工知能という次のフロンティアに向けて、生物学・哲学・AI工学の学際的対話が今後ますます重要になるでしょう。
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