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ショーン・ギャラガーの拡張認知論|現象学と4E認知科学の統合による心の理解

はじめに

認知は脳内だけで完結する現象なのか、それとも身体や環境へと拡張していくものなのか――この問いは現代の認知科学と哲学における中心的な議論の一つです。ショーン・ギャラガーは、認知を脳内プロセスに還元せず、身体性や環境との相互作用を重視する「拡張認知論」の代表的論者として知られています。本記事では、ギャラガーの理論的主張の核心である現象学的身体観、予測処理理論との関係性、道具使用による認知拡張のメカニズム、そして他の拡張認知論者との比較を通じて、彼の独自の理論的貢献を明らかにします。

ギャラガーの拡張認知論における現象学的基盤

メルロ=ポンティの身体図式概念の継承

ギャラガーの拡張認知論の理論的基盤には、メルロ=ポンティの現象学的身体観が深く根ざしています。特に重要なのが身体図式(body schema)という概念です。ギャラガーは1980年代から身体図式と身体像(body image)の明確な区別を提唱してきました。身体図式とは「無意識下で機能する感覚運動的な能力の体系」であり、私たちが意識することなく身体を動かし、環境と関わる際の基盤となります。一方、身体像は「自己の身体に関する知覚・信念・態度の体系」として、より反省的・意識的なレベルで機能します。

この区別が重要なのは、認知プロセスが必ずしも意識的な表象を必要としないことを示すからです。メルロ=ポンティが『知覚の現象学』(1945)で示した盲人の杖の例は、この点を象徴的に表しています。熟達した盲人にとって、杖は単なる道具ではなく身体の延長となり、杖の先端で世界を感じ取ることができます。これは杖が身体図式に組み込まれた結果であり、認知能力が実質的に拡張された状態だとギャラガーは解釈します。

生きられた身体という視座

ギャラガーの現象学的アプローチが他の拡張認知論と一線を画すのは、「生きられた身体(lived body)」という視点を導入している点です。これは単に機能的な説明を超えて、主観的経験の構造そのものを考察対象とする姿勢を意味します。心的プロセスは脳内に閉じた計算ではなく、身体と環境の相互作用の中に現象学的に現れるものとして捉えられます。

この立場は、認知を情報処理として理解する伝統的な認知科学とは根本的に異なります。ギャラガーにとって、認知は世界の中での具体的な行為を通じて成立するものであり、抽象的な記号操作に還元できません。身体の習慣化(habitualization)やスキルの獲得が認知プロセスを形作るという主張は、まさにこの現象学的視座から導かれています。

予測処理理論との対話と批判

クラークとフリストンのPP理論の概要

近年の認知科学において注目を集めているのが、予測処理(Predictive Processing: PP)理論です。アンディ・クラークやカール・フリストンによって展開されたこの理論は、脳を感覚入力に対して予測誤差を最小化する装置として描写します。フリストンのフリーエネルギー原理(2010)は、脳が内部モデルによって世界を推論し、予測と実際の感覚入力との差異を低減しようとする数理的枠組みを提示しました。

クラーク自身は予測処理理論と4E認知(身体性・埋め込み性・エナクティブ性・拡張性を重視する認知観)を統合しようと試みており、『Surfing Uncertainty』(2015)ではPPが身体的認知とどのように結びつくかを論じています。これは拡張認知論の「第三の波」として位置づけられる試みです。

エナクティヴィズムからの批判

しかし、ギャラガーはエナクティヴィズム(enactivism)の立場から、PP理論に対して慎重な批判を加えています。エナクティヴィズムとは、認知を受動的な情報処理ではなく、環境との能動的な相互作用を通じた意味生成のプロセスとして捉える立場です。

ギャラガーが指摘するPP理論の問題点は、その標準的モデルが「脳は外界そのものに直接アクセスできない」という前提に立つため、心的過程を頭蓋内に閉じ込める傾向があることです。一部のPP理論の解釈では、「心は推論的に世界から隔離されており、身体化・延長されたものというより神経中心的に頭蓋内に閉じこもっている」とさえ述べられています。これはまさにギャラガーが批判する内在主義的な認知観の復活に他なりません。

即興的創発という反例

ギャラガーは2022年の論文「Surprise! Why Enactivism and Predictive Processing Are Parting Ways」において、PP理論では説明困難な現象として即興的創発を取り上げています。ジャズ演奏や即興ダンスでは、演者は予測不能な驚き(サプライズ)をむしろ積極的に追求し、習慣的パターンを敢えて破ることで新奇性を生み出します。

ところがPP理論の基本原理は「驚きを最小化せよ」というものです。脳が常に予測誤差を低減するよう作動するのであれば、創造的即興という現象をどう説明できるのでしょうか。ギャラガーは「驚きを避けよ」という原理に忠実なままでは即興の説明は不可能であり、むしろ「脳‐身体‐環境」を一体のシステムとみなすエナクティブなアプローチの方が適切だと論じています。

この批判は、PP理論とエナクティブ認知の統合には根本的な齟齬があることを示唆しています。ギャラガーにとって、認知を「脳+身体+環境(社会文化的要因を含む)」の相互作用系としてみなす立場こそが、認知科学の進むべき道なのです。

道具使用と身体図式の拡張メカニズム

身体図式の可塑性と透明化

ギャラガーの拡張認知論において中心的なテーマの一つが、道具やテクノロジーの使用による認知的・身体的能力の拡張です。これは現象学における身体図式の可塑性として理解されます。

前述した盲人の杖の例が示すように、熟達した道具使用によって身体図式が変容し、行為可能な世界が拡大します。この現象は経験的研究によっても支持されており、日常的なコンピュータ・マウスの使用が使用者の近接空間(手元の空間)表象を拡張することが報告されています。

重要なのは、熟練した道具使用では道具が「透明化」するという点です。つまり、道具そのものに注意を向けるのではなく、道具を通じて世界に直接関わることができるようになります。これはまさに身体図式に外部物品が組み込まれた状態であり、認知システム全体の機能的範囲が広がったことを意味します。

精神的諸制度という概念

ギャラガーとクリサフィによる「精神的諸制度(mental institutions)」の概念(2009)は、身体図式の拡張を社会的スケールで捉えた試みとして注目に値します。彼らは、私たちが用いる道具や技術のみならず、言語・制度・文化的実践といった社会的構造もまた認知の延長を可能にする道具だと論じました。

例えば、博物館は集合的記憶を保存・継承する制度として機能し、法律システムは複雑な意思決定プロセスを可能にします。これらの社会制度なしには成立し得ないタイプの認知プロセスが存在するのです。この視点は、個人の認知を社会文化的文脈から切り離して考えることの限界を示しています。

テクノロジーとの共生的関係

ギャラガーは、道具・技術・制度との共生によって人間の認知が歴史的に形作られてきたと考えています。身体図式の拡張はテクノロジーとの相互構成的な関係の中で進行するものであり、一方向的な影響関係ではありません。

哲学的に見れば、これは人間の「身体=心」が環境に適応しつつその境界を乗り越えるプロセスであり、主観と客観の固定的な二元論を超える視座を提供します。スマートフォンのような現代のテクノロジーから筆記や計算用紙に至るまで、人間は認知的道具を身体経験の中に取り込み(incorporation)、自己拡張的に認知能力を高めているのです。

他の拡張認知論者との理論的差異

アンディ・クラークとの比較

ギャラガーの拡張認知論は、他の主要な拡張認知論者との比較によってその独自性が明確になります。まずアンディ・クラークとの関係を見てみましょう。

クラークとチャーマーズが1998年に提唱した拡張心脳論(Extended Mind)は、「パリティ原則」に基づいていました。これは、外部のノートや電子機器が脳内プロセスと同等の機能を果たす場合にそれを認知の一部と見なすという機能主義的な立場です。有名な例が、アルツハイマー患者オットーが手帳を外部記憶として用いるケースです。

これに対しギャラガーは、自身の立場を「よりリベラルな解釈」と呼び、外部との相互作用を機能的同等性だけでなくエナクティブ(作用的)なプロセスとして捉えることで拡張認知を擁護できるとします。クラークらの議論が個人的・技術的な面(ノートブックやスマホなど)に焦点を当てがちなのに対し、ギャラガーは社会的相互作用や制度的文脈にまで視野を広げています。

ギャラガーが2013年に論じた「社会的に拡張された心(socially extended mind)」の概念は、単なる機能的な拡張ではなく、他者との相互作用や文化的実践が認知能力を構成・拡張することを主張しています。これは社会的アフォーダンスのエナクティブな活用として理解されるべきものです。

リチャード・メナリーとの比較

リチャード・メナリーは2010年に「認知的統合(cognitive integration)」の枠組みを提示し、拡張認知の第二の波(Second Wave)として知られる議論を展開しました。メナリーはパリティ原則に頼らず、人間が文化的環境の中で道具や記号体系を取り込み認知能力を変容・発達させる事実そのものに着目しました。

読み書きや数学的表記法といった文化的道具が私たちの認知様式を変え、内部と外部が一体となった統合的システムを形成するというメナリーの主張は、ギャラガーの立場とも親和的です。実際、脳-身体-環境の相互作用全体を統合的に考える点では両者は共通しています。

しかし、ギャラガーはさらに現象学的な洞察を統合し、主観的体験や身体性の質感まで考慮に入れる点でメナリーと一線を画します。メナリーが拡張認知を分析哲学や認知科学の文脈で議論するのに対し、ギャラガーはフッサールやメルロ=ポンティの哲学を援用して、認知における行為主体性や経験の構造を重視します。

また、ギャラガーはメナリーが主張する文化的環境との統合のみならず、社会制度や他者との相互主観性までをも心的過程の一部とみなす点で、拡張の射程をさらに広げています。

拡張認知論の三つの波

ギャラガーは2018年の論文「The Extended Mind: State of the Question」において、拡張認知論の発展を三段階に整理しています。

第一波はクラークとチャーマーズのパリティ原則に基づく議論です。第二波はメナリーの補完原則・認知的統合の枠組みであり、内部と外部の相補的な関係性を重視します。そして第三波は、予測処理理論とエナクティヴィズムの統合を模索する現在進行形の試みです。

ギャラガーはこの第三波について慎重な姿勢を示しており、前述したように予測処理理論の内在主義的傾向を批判しています。彼にとって、クラークの機能主義的拡張を超えてエナクティブかつ社会的な拡張を唱え、メナリーの統合論を包含しつつ現象学的次元を付け加えた独自の立場こそが、拡張認知論の目指すべき方向性なのです。

まとめ:拡張認知論の意義と展望

ショーン・ギャラガーの拡張認知論は、現象学的伝統と4E認知科学(Embodied, Embedded, Enactive, Extended)の知見を融合させた独自の理論的立場として、現代の心の哲学と認知科学に重要な貢献をしています。

彼の理論の核心は、認知を個人の頭蓋内に閉じ込めず、身体的・社会的世界との共創的なプロセスとして捉え直した点にあります。メルロ=ポンティの身体図式概念を継承しつつ、道具使用による認知拡張、社会制度との関係、予測処理理論への批判的検討を通じて、ギャラガーは拡張認知論に現象学的深みを与えました。

クラークやメナリーといった他の拡張認知論者との比較からも明らかなように、ギャラガーの立場は機能主義的な説明を超えて、生きられた経験の構造や行為主体性の問題にまで踏み込んでいます。予測処理理論との対話においては、即興的創発という具体例を通じて、脳中心主義への回帰を鋭く批判しています。

今後の認知科学と哲学において、ギャラガーの拡張認知論は、人間の心を理解するための重要な理論的資源であり続けるでしょう。特に、AIやロボティクス、VR/AR技術といった新たなテクノロジーとの共生が進む現代において、身体図式の拡張や認知の社会的次元という視点は、ますます重要性を増していくと考えられます。

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