ハイパースキャニングとは何か——複数の脳を同時に測る新しい神経科学
人が誰かと会話したり、一緒に作業したりするとき、私たちの脳の中では何が起きているのか。この問いに答えようとする研究アプローチが「ハイパースキャニング(hyperscanning)」だ。従来の神経科学実験は一人の被験者の脳を計測することがほとんどだったが、ハイパースキャニングでは相互作用している二者以上の脳活動を同時に計測し、その間で生じる神経信号の時間的な一致——脳間同期(inter-brain synchrony:IBS)——を推定する。
この手法の原型は2002年、Read Montagueらが二台のMRI装置を同期させて欺瞞ゲームを行うペアの脳を同時計測した研究にさかのぼる。当時は「Hyperscan」と呼ばれたその構想は、主として方法論的な貢献として位置づけられたが、その後20年でfNIRS(機能的近赤外分光法)やモバイルEEGの普及とともに研究は急速に広がった。今日では、対話・教育・集団討議・共同演奏など「その場でリアルタイムに影響し合う」状況での計測が多数実施されている。
ハイパースキャニングが従来の社会神経科学と一線を画すのは、その「第二人称的」な視点にある。他者の表情や行動を「見ている一人の脳」を測るのではなく、相互作用そのものを単位として扱うことで、会話や協力の中でどのように二者の神経活動が動的に連動するかを探ることができる。

脳間同期(IBS)の計測指標——EEG・fNIRS・fMRIの特性と使い分け
ハイパースキャニング研究で用いられるモダリティはいくつかあり、それぞれに計測特性と制約がある。
EEGによる位相同期
脳波(EEG)は時間分解能に優れ、ミリ秒単位の神経活動の変化を追える。ハイパースキャニングでは、二者の脳波信号の位相のそろい具合を表すPLV(phase locking value)やwPLIといった指標が広く使われる。これらは0から1の値をとり、値が高いほど二者間で位相が一致していることを示す。
ただし注意すべき点がある。位相の一貫性は、必ずしも二つの脳が「情報を交換している」ことを意味しない。また、頭皮上で計測するEEGには「体積伝導(volume conduction)」の問題——空間的に離れた電極間でも同一の電流源が反映されてしまうこと——があり、特にwPLIのように位相遅れに着目する指標を用いることで頑健性を高める工夫がなされている。
さらに近年、同一データでも前処理や帯域選択、参照電極の選び方、エポック化の方法によってIBSの推定値が大きく変わり得ることが体系的に示されており、方法選択の恣意性が再現性リスクを生んでいる点は見過ごせない。
fNIRSによるWTC解析
機能的近赤外分光法(fNIRS)は、脳の血流変化(血行動態)を光で計測する手法で、EEGに比べ動作に対する制約が少なく、自然な会話や対面相互作用の計測に向いている。大規模レビューによれば、ハイパースキャニング研究の過半数をfNIRS研究が占め、そのなかでも**WTC(wavelet transform coherence)**が代表的な同期指標として使われている。WTCは時間と周波数の両次元で局所的なコヒーレンスを推定でき、相互作用の中で生じる時間局所的な同期を捉えやすい。
ただしfNIRSには、呼吸・心拍・Mayer波などの生理ノイズが混入しやすい問題がある。短距離チャネルを用いた表層成分の回帰や、疑似ペア(相互作用しないペア)との比較統制が不可欠とされる。
fMRIの高空間分解能と制約
fMRIは前頭前野(PFC)、側頭頭頂接合部(TPJ)、下前頭回(IFG)など特定領域への関与を精度よく特定できる一方、装置が大型でリアルタイムの自然な相互作用を記録しにくい。日本人研究者・Saito らの研究では、ペアに特異的な「内因性同期」を抽出するためにタスク成分を取り除くイノベーション残差アプローチが試みられており、共通入力を除いた純粋な相互作用由来の同期に迫る工夫がみられる。
協力・コミュニケーション・共同注意でIBSはどう変化するか——主要研究のレビュー
ハイパースキャニング研究の蓄積は、相互協調場面でのIBS増大という一定のパターンを示している。
Xu Cuiらの2012年の研究は、協力ゲームと競争ゲームを比較し、協力条件で右上前頭部のコヒーレンスが増加し、かつ課題成績とも関連することを示した——協力特異的なIBSを示す古典的証拠として頻繁に引用される。
Jing Jiangらは対面対話・背中合わせ対話・独話を比較し、対面対話で左IFGの同期が増えることを疑似ペア比較とあわせて示した。これは単なる共通刺激への反応ではなく、マルチモーダルな相互作用(ターンテイキング、表情、視線)が関与する可能性を示す。
教育場面では、Suzanne Dikkerらが教室という自然環境でモバイルEEGを用いて生徒12名を同時計測し、生徒間の脳コヒーレンスが授業へのエンゲージメントや社会ダイナミクスと関連することを示した。生態学的妥当性の高いこの研究は、ハイパースキャニングが実験室を超えて日常的な学習環境に適用できる可能性を示唆した。
一方、2026年のFornariらの研究は興味深い結果を報告している。「親密化会話(closeness-generating conversation)」を行ったペアは主観的な親密さが有意に上昇したが、IBSには有意な変化がなかった。むしろ、相互作用そのものの有無(非相互作用条件と比較して)がデルタ帯IBSと運動同期を増やした。この結果は、IBSが「感情的な絆の深まり」ではなく「相互調整が成立しているかどうか」により敏感な指標である可能性を示唆している。
定量メタ分析も実施されており、fNIRSハイパースキャニングの協力研究13本・約890名のデータを統合した分析では、協力中のIBSが前頭・TPJ領域で有意であり、特にPFCは全研究で一貫してIBS増大が観察されたと報告されている。ただしこれらのメタ分析は、指標や前処理の多様性、疑似ペア統制の有無が研究によって異なる点を限界として明示している。
参加的意味形成(PSM)とは——エナクティブ認知科学からの問いかけ
脳間同期の研究と接続しうる理論枠組みとして、近年注目されているのが**参加的意味形成(participatory sense-making:PSM)**だ。これはHanne De JaegherとEzequiel Di Paoloが提唱したエナクティブな社会的認知理論で、「共に意味をつくるとはどういうことか」を問う。
PSMの核心は二つの要素の結合にある。一つは、個体が世界との関わりのなかで「自分にとって何が重要か」を能動的に生成するsense-making。もう一つは、二者が相互作用するなかで、その相互作用過程そのものが一時的に自律的な秩序——単なる個体の行動の足し算には還元できない構造——をもつという主張だ。
PSMは認知を「刺激を受け取って処理し表象を構築するシステム」としてではなく、「世界と能動的に関わりながら意味を生成するプロセス」として捉えるエナクティブ認知科学の延長にある。そして社会的理解は、他者の「心的状態を読む」ことではなく、相互作用に参加することによって生じるとされる。
Di PaoloとDe Jaegherが提唱したインタラクティブ・ブレイン仮説(IBH)は、社会的理解の神経機構が相互作用経験・技能によって発達的・機能的に可能化されるという立場をとる。ここで重要とされるのは「平均的にIBSが増えたか」ではなく、「同期と脱同期の切り替え」「役割交代」「修復局面」といった協調状態間の遷移である。この理論的要請は、IBS研究に新たな問いを投げかける。
IBSとPSMはどこでつながり、どこで乖離するか——統合と課題
「整列」と「探索」のトレードオフ
PSMの観点から見たとき、IBS研究には重大な含意をもつ発見がある。2024年のPickらによる集団ブレインストーミング研究では、IFGの脳間結合が創造性を負に予測し、DLPFCの結合が正に予測するという「符号の違い」が見出された。IFGは模倣・同調(herding)と結びつくとされ、この結果は「脳間同期の増大が常に良い意味形成を支えるわけではない」ことを示唆している。
PSMが強調するのは、協調(整列)と探索(多様化)の二面性だ。相互作用が「ただ同調する」ことではなく、その過程での「破綻と修復」「参加様式の遷移」が意味形成の質を左右する。過剰な同調は、かえって創造的な意味交渉の空間を閉じてしまう可能性がある。
脱同期(IBD)の重要性
近年、irruption theoryと呼ばれる理論的整理(Kurihara・Osu・Froese、2025)が注目されている。この枠組みは、能動的関与が高いほど神経・生理のエントロピーが増加し、IBSの増大だけでなく**脱同期(inter-brain desynchrony:IBD)**も重要な現象として現れると主張する。PSMが含む「破綻・修復・役割交代」は、IBS一方向での増大としてではなく、IBS↔IBDの時間的切替として捉えられる可能性がある。ただし現時点ではこれは理論的提案にとどまり、実証的な検証が課題として残っている。
因果の方向性という難問
IBS研究が長らく「相関的推定」にとどまってきたことは多くのレビューが指摘している。脳間同期が協調を生むのか、協調が脳間同期を生むのか——あるいは両者が循環的に影響し合っているのか——を判定することは容易ではない。Atias ら(2026)の初対面会話研究では、会話の進行にともなってIBSが漸増し、終盤の特定の脳領域間結合が運動同期を予測するという時間局所的関係が報告された。これは「IBSを静的な平均指標として扱う限界」を示す重要な発見である。
Ivana Marton-Alperらの研究では、意図的に運動同期を行う条件でbetween-brain結合が行動同期を予測し、自由運動条件ではwithin-brain結合の寄与が大きかった。「意図性」が神経結合のパターンを変える可能性を示唆しており、「ただ同じ動きをした」以上の相互予期の構造が関与していると解釈されている。
因果推論への最も直接的なアプローチとして、dyadic neurofeedback(二者の脳間同期そのものをフィードバックして意図的に強化する介入)や、Granger因果性・構造方程式モデリング(SEM)を用いた方向性推定が提案されている。fNIRSを使った実験では、情報理論的因果分解で役割の方向推定が一定の精度で可能であることが示されているが、自然会話のような高自由度の相互作用に一般化できるかは今後の検証を要する。
研究の限界と再現性——方法論的課題を正直に見る
ハイパースキャニング研究には、解釈上の構造的リスクがある。最も大きな問題の一つは共通入力問題だ。二者が同じ刺激・同じ課題を同時に経験すれば、相互作用なしでも似た神経反応が生じ、見かけ上のIBSが観察される可能性がある。この問題に対処するために疑似ペア(pseudo-pair)設計——同じ課題を行ったが実際には相互作用しない組み合わせ——との比較が推奨されているが、すべての研究が実施しているわけではない。
また、同一データでも前処理・帯域選択・同期指標の選び方によって結論が大きく変わり得ることが体系的に示されており、「解析自由度」が再現性リスクを生んでいる。この問題への対策として、事前登録(pre-registration)、多重指標の感度分析、報告の透明性確保が強く求められている。
さらに、IBS推定値をそのまま「相互理解」「共有意味」「社会的絆」の神経基盤と断定することには慎重であるべきだ。計測量が何を「表象するか」は課題構造と統計モデルに依存しており、IBSはPSMの「整合的な候補指標」にはなり得るが、単独では不十分だというのが現在の研究コンセンサスに最も近い立場と言えるだろう。
まとめ——「脳がそろう」ことの意味と、これからの研究へ
ハイパースキャニングは、協力・対話・共同注意・教育・集団討議といった相互協調場面で脳間同期(IBS)が前頭前野・TPJ・IFGなどで観察されやすいことを示してきた。定量メタ分析はPFCを中心に一定の頑健性を支持するが、指標と前処理の多様性による再現性リスクは依然として残る。
参加的意味形成(PSM)の理論は、IBSを「共有意味」の直接指標として単純化せず、同期の二面性(整列の恩恵と過剰同調の弊害)、および同期—脱同期の時間的切替をむしろ重要な現象として位置づける方向性を与える。近年の集団創造性研究やirruption theoryに基づく議論は、この接続可能性を具体化し始めている。
今後の優先課題は、PSMが要請する「規範性・修復・参加様式の遷移」を行動レベルで操作化し、IBSや状態遷移指標と同一時間スケールで結びつける、理論駆動かつ因果志向の実験設計を確立することにある。疑似ペア統制、多指標・感度分析、前登録、そして必要に応じた介入(dyadic neurofeedback)を統合した研究プログラムが、この分野の次のステップとなるだろう。
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