AI研究

サイバネティクスにおける「意味」の理論的変遷:情報から意味生成システムへのパラダイムシフト

はじめに:なぜサイバネティクスで「意味」が重要なのか

サイバネティクスは1940年代に情報と制御の学問として誕生しましたが、その後70年以上にわたり「意味(セマンティクス)」に対する考え方が劇的に変化してきました。当初は意味を排除した純粋な情報伝達理論として出発したサイバネティクスが、観測者の導入を経て、最終的には意味そのものを社会システムの核心に据えるまでに至った過程は、現代の情報社会を理解する上で極めて示唆的です。

本記事では、ニクラス・ルーマンの社会システム理論を軸に、第1世代から第2世代、オートポイエーシス理論、そしてネオ・サイバネティクスに至る理論的系譜を辿ります。情報技術が社会の隅々まで浸透した現代において、「意味とは何か」「誰が意味を決定するのか」という問いは、AIやSNSといった新しいコミュニケーション環境を考察する際の基盤となるでしょう。

第1世代サイバネティクス:意味なき情報理論の時代

シャノンの情報理論と意味の排除

1940~50年代に確立した第1世代サイバネティクスは、ノーバート・ウィーナーやクロード・シャノンによる情報理論・制御理論が基盤でした。この時期の最大の特徴は、通信工学的な問題解決に焦点を当て、メッセージの「意味」を明示的に排除した点にあります。

クロード・シャノンとウォーレン・ウィーバーが構築した情報理論では、通信は符号化・伝送・復号という工学的プロセスとして定義され、メッセージの内容が受信者にとって何を意味するかは対象外とされました。シャノン自身が「通信の意味的側面は工学的問題に無関係である」と明言したように、情報は送信側で選ばれた記号の選択肢集合における確率的な量として定義され、その内容的価値は無視されたのです。

ブラックボックス化されたコミュニケーション

このアプローチでは、情報は「メッセージに含まれる記号の選択肢の中での選択」と見なされ、ノイズやエラーの制御が重視されました。通信システムを「ブラックボックス化」して信号処理することで安定的伝達を図ることが目的であり、意味や文脈といった要素は形式的枠組みの外に置かれていたのです。

この段階では、情報伝達は送信者から受信者への一方向的な「運搬」として理解され、受信者がどのようにメッセージを解釈するかという問題意識は希薄でした。純粋に技術的な効率性を追求する姿勢は、当時の通信工学の課題には適合していましたが、人間のコミュニケーションや社会システムを理解する枠組みとしては不十分だったと言えます。

第2世代サイバネティクス:観測者の登場と意味の復権

フォン・フォースターとベイトソンの貢献

1960年代後半から1970年代にかけて登場した第2世代サイバネティクス(第二次サイバネティクス)は、システムを「観測するシステム」として捉え直し、従来無視されていた意味や文脈を理論に組み込みました。ハインツ・フォン・フォースター、ゴードン・パスク、グレゴリー・ベイトソンらがこの流れを代表します。

このパラダイムの核心は、観測者がフィードバック・循環の一部となり、「誰にとって情報が意味を持つのか」が問題にされた点にあります。グレゴリー・ベイトソンは情報を「差異が生み出す差異」と定義し、「ある差異が、受け手にとって何らかの差異を生み出す時、それが情報である」という有名な表現で示しました。これは単なる物理的信号ではなく、受け手側で意味を持つ変化こそが情報であるという視点の転換を意味します。

コミュニケーションの意味は誰が決めるのか

ハインツ・フォン・フォースターは「コミュニケーションの意味は送信者ではなく受信者が決定する」と述べ、メッセージの理解や解釈は受け手の内部で生成されることを強調しました。第1世代で暗黙に前提とされていた「情報=送信者から受信者への意味の受け渡し」という図式は、ここで大きく転換され、意味は相互作用や観測の過程で構築されるものと見なされるようになります。

この文脈で重要なのは、観測者の主観や文脈、自己言及がフィードバックループに組み込まれた点です。システムは外部から客観的な情報を受け取るのではなく、自らの観測行為を通じて環境との区別を創出し、その区別こそが情報となるという循環的理解が生まれました。これにより、意味生成そのものが研究対象となり、サイバネティクスは単なる制御理論から、認知や社会を説明する理論へと進化していったのです。

オートポイエーシス理論:意味を自己創出するシステム

マトゥラーナとヴァレラの革新

1970年代、認知生物学者のウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・ヴァレラは、オートポイエーシス(自己産出)概念を提唱しました。オートポイエーシス・システムでは、システムは自らの構成要素を再生産し続けることで自己を維持し、外界から独立した操作的閉鎖を保ちます。

この理論の画期的な点は、環境から情報やエネルギーが直接「流入」してシステムを制御するという考えを否定したことです。環境は**摂動(perturbation)**を与えるだけで、システム内部の構造変化はあくまでシステム自身の構造により決定されます。この考え方は、従来の入力—出力モデルを根本から覆し、システム自身が意味の世界を立ち上げるという見方につながりました。

言語は情報伝達ではない

マトゥラーナとヴァレラは、情報伝達の送り手・受け手モデルを批判し、「言語とは情報を送信者から受信者へと伝達することではなく、観察者によって意味が創発される過程である」と述べています。マトゥラーナは「我々が誰かに何かを伝えたと思っても、相手の心の中ではまったく異なる意味が作り出されているかもしれない」と指摘し、コミュニケーションは相手の内面における意味創出の誘発(trigger)に過ぎないと考えました。

彼らは「構造カップリング」と呼ばれる概念で、生物と環境の相互適応を説明しましたが、そこでは情報のやり取りではなく相互の構造変化の調和が強調されます。人間同士の言語コミュニケーションも、双方の脳神経系が共通の構造的文脈の中で相互にトリガーしあい、結果的に意味の共有された世界(コンセンサス領域)が生まれると説明されました。

ルーマンの社会システム理論:意味を中核に据えた反人間中心主義

コミュニケーションこそが社会の基本要素

ニクラス・ルーマン(1927–1998)は、第2世代サイバネティクスとマトゥラーナ=ヴァレラのオートポイエーシス理論から強い影響を受けつつ、独自の社会システム理論を構築しました。ルーマンは人間個人ではなくコミュニケーションそのものを分析単位とし、社会をコミュニケーションの自己言及的なネットワークと捉えました。

その際、「意味(Sinn)」の概念が理論の核に据えられています。ルーマンにとって社会とは意味を媒介としてコミュニケーションが連接し続けるシステムであり、社会システムは「意味を構成するシステム」に他なりません。

意味とは「現実と可能性の差異の統一」

ではルーマンの言う「意味」とは何でしょうか。彼は現象学者フッサールの議論に依拠しつつ、ジョージ・スペンサー=ブラウンの形式論理を援用して「意味」を定式化しました。ルーマンによれば、**意味とは「現実化されたものと他の可能性との差異の統一」**です。

平易に言えば、いま目の前で実現している事柄が、同時に「それとは異なる無数の可能性」を背景に持つという構造こそが意味経験の本質だということです。例えば、あるコミュニケーション内容を理解するとは、それが「他にあり得た様々な情報」の中から選ばれたものであると把握することに等しく、常に「他に起こり得たこと」の参照枠を伴います。

コミュニケーションの三つの選択

ルーマンの社会システム理論では、コミュニケーションは単一のアクションではなく、情報の選択、伝達(表明)の選択、理解の選択という三つの選択の合成として定義されました。発信者が「何を伝えるか(情報内容)」を選び、「いかに伝えるか(伝達の仕方=例えば冗談か本気か)」を選び、受信者が「それをどう理解(あるいは誤解)するか」を選択して初めてひとつのコミュニケーションが成立します。

ここでも鍵となるのは、受信側の理解(=意味付与)が不可欠だという点です。「理解」が成立しなければそれは単なる知覚に留まり、コミュニケーションにはならないとルーマンは言います。このようにコミュニケーションの連鎖が自己言及的に展開していくプロセスこそ社会システムの動態であり、その連鎖を可能にしているのが意味という普遍的媒体なのです。

人間は社会の環境である

ルーマンは、心理システム(意識)も社会システムもともに意味を操作するオートポイエーシス・システムだと位置づけました。意識は思考(観念)のオートポイエーシスであり、社会はコミュニケーションのオートポイエーシスです。人間個体や脳ではなく、「意識」と「コミュニケーション」という二つの意味システムがお互いを環境として構成しあう構図となります。

その結果、人間は社会の構成要素ではなく環境に位置づけ直されます。ルーマンの有名な言葉に「人間はコミュニケーションできない。コミュニケーションできるのはコミュニケーションだけである」というものがあります。一見奇妙ですが、これは「人間の意識はコミュニケーションとは別のシステムであり、コミュニケーション体系の中に直接入ることはない(ただし互いに構造的にカップルする)」という意味です。

この「急進的な反人間中心主義」により、社会学の伝統的主題だった「行為者」や「主体間関係」といった語彙は登場せず、もっぱらシステム、コード、コミュニケーション、観察、意味といった概念が用いられるようになりました。

ネオ・サイバネティクスの展開:デジタル時代の意味論

ディルク・ベッカー:コンピュータ社会の意味形式

ルーマン門下の社会学者ディルク・ベッカーは、ルーマン理論を情報社会・デジタル社会に応用する試みを行っています。彼はルーマンの社会理論そのものが「中心的な術語(概念)の脱構築」であると評し、システムと環境、真と偽などの二項図式を再帰的に捉え直す点に特徴があると指摘しました。

ベッカーは、コンピュータ技術の登場が印刷術に匹敵する社会変革をもたらしつつあると論じ、「コンピュータ社会」に適合した新たな意味の枠組(theory form)の必要性を示唆しています。近代社会は印刷メディアによって「自己言及的な落ち着き(デカルト的な再帰)」という文化的セマンティクスを得たが、コンピュータ時代の社会はそれに代わる理論形式を模索している段階にあるというのです。

エレナ・エスポジト:時間と未来の意味論

エレナ・エスポジトはルーマンの直弟子で、記憶や貨幣、金融市場などのトピックにシステム理論を応用している社会学者です。彼女は時間と意味の問題に特に関心を寄せ、現代社会の未来予測やリスク評価における二階の観察の役割を分析しています。

エスポジトによれば、ルーマン体系では意味(Sinn)が社会分析の中核概念であり、意味には社会的次元・物質的(事実的)次元・時間的次元という三つの側面があるとされます。現代の高度に分化した社会では、様々なサブシステム(経済、政治、科学など)がそれぞれ独自の時間のセマンティクスを発達させており、相互に調整不可能な複数の未来予測が並存する状態にあるといいます。

また彼女は、社会のデジタル化がもたらすコミュニケーション形態の変化にも注目しています。デジタルメディアは既存の機能分化を横断する新たなコミュニケーションの場を提供しつつあり、従来の社会システム論の枠組みに再考を促していると指摘します。

キャリー・ウルフ:ポストヒューマニズムとの接続

キャリー・ウルフは英米の批評理論・動物研究・ポストヒューマニズムの論者であり、第二次サイバネティクスの思想を人文領域に導入したことで知られます。彼は著書『What is Posthumanism?』で、ルーマンやマトゥラーナ=ヴァレラの理論を評価しつつ、人間中心主義を超克する哲学的議論を展開しました。

ウルフによれば、ルーマンのシステム理論はデリダの脱構築になぞらえ「解体の再構成(reconstruction of deconstruction)」とも言うべき試みであり、近代的主体に依存しないポストヒューマン的理論枠組を提供しているということです。実際ルーマンは、人間を社会システムの外部環境へと追いやり、社会の自己記述から人間主体を消去しました。これは人間以外(例えばテクノロジー、メディア、動物など)の作用をも含めて社会過程を説明する道を開くものです。

ウルフはまた、ルーマンの意味概念がデリダの差延(différance)の思想と響き合うことを指摘します。中心(原点)なき差異の連鎖として世界を捉える脱構築の視座と、決定不可能性と偶発性を内包する意味の自己創出として社会を捉えるルーマンの視座は、本質的に親和的だというのです。

理論的系譜の比較:意味論的側面の整理

以下の表は、各理論における「意味(セマンティクス)」の扱いの違いを比較したものです。

時期・理論主な提唱者「意味」の扱い・特徴
第1世代サイバネティクス
(1940~50年代)
ノーバート・ウィーナー
クロード・シャノン
通信の工学的側面(信号の送受)に注目し、意味内容は考慮外。シャノン情報理論では「メッセージの意味的側面は工学的問題に無関係」とされ、情報量は選択肢の確率的性質で定義。意味よりも信号伝達の正確さ・効率が重視された。
第2世代サイバネティクス
(1960~70年代)
ハインツ・フォン・フォースター
グレゴリー・ベイトソン
観測者を含む循環的システムへの転換。情報は客観的実体ではなく観測者にとっての区別として再定義。ベイトソンは「差異が差異を生む時、それが情報」と述べ、フォースターは「コミュニケーションの意味は受信者が決定する」と強調。文脈・主観・自己言及が組み込まれ、意味生成が研究対象に。
オートポイエーシス理論
(1970年代)
ウンベルト・マトゥラーナ
フランシスコ・ヴァレラ
生物システムの自己創出的閉鎖に注目。外界から「意味(情報)が入ってくる」のではなく、システム自身が自律的に意味の世界を立ち上げる。「言語は情報伝達ではなく観察者による意味創発」であり、構造カップリングにより相互に協調した意味領域が生成する。
社会システム理論
(1980~90年代)
ニクラス・ルーマン社会をオートポイエーシス・システムとして再定義。社会の基本要素を人間ではなくコミュニケーションとし、意味(Sinn)の媒介によって自己言及的に連鎖するネットワークが社会。意味=現実と可能性の差異の統一という定義を与え、意味を社会システムの最も基本的な作動様式と位置づける。反人間中心的・ポストヒューマン的社会理論。
ネオ・サイバネティクス
(2000年代~現在)
ディルク・ベッカー
エレナ・エスポジト
キャリー・ウルフ
第二次サイバネティクスの理論を情報社会・文化理論へ拡張。ベッカーはデジタル技術時代のコミュニケーション様式を分析。エスポジトは記憶や未来予測の社会的意味を研究し、意味の三次元的構造(社会・物質・時間)を強調。ウルフはポストヒューマニズム思想と結びつけ、差異の連鎖として意味をとらえる視点を提供。

まとめ:制御から意味生成へのパラダイムシフト

サイバネティクスにおける意味論的側面の変遷を振り返ると、それは**「制御のための情報」から「システムが構成する意味」へのパラダイムシフト**であったと言えます。

第1世代のサイバネティクスでは意味は捨象され、情報は客観的な伝達量として扱われました。しかし第2世代になると観測者の視点が導入され、情報やコミュニケーションは意味を生み出す過程として再定義されました。ベイトソンやフォースターの洞察は、情報の有意味性は受け手・文脈次第であり、システムは自らの内部に意味世界を構築することを示しています。

オートポイエーシス理論はこの考えを発展させ、あらゆる生物・認知システムを自己完結的な意味創出機構とみなし、入力-output図式を超克しました。ルーマンはそれを社会に適用し、意味を軸とした包括的なシステム理論を打ち立てます。その理論は現代社会の複雑性に対応し得る強力な分析ツールを提供し、後続の研究者によってさらに発展・応用されています。

デジタル革命やグローバル化に伴い、我々を取り巻くコミュニケーション環境は今後も変貌を続けるでしょう。しかしここで見たように、「意味」に着目するサイバネティクス的視座は、変化する世界においても社会やシステムを理解する指針となり続けるはずです。その系譜は、情報社会・ポストヒューマン時代における新たな知的挑戦への確かな土台を築いていると言えるでしょう。

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