AIの「世界」は身体によって規定される
人工知能は私たちと同じ世界を見ているのだろうか。ChatGPTのような言語モデルと、Pepperのような対話ロボットでは、認識する「世界」の質が根本的に異なる可能性がある。この問いに答える鍵となるのが、生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した「環世界(Umwelt)」という概念だ。
環世界論は、各生物が自らの感覚器官と行動能力に応じて主観的な世界を構築していると説く。人間・犬・ハエは同じ部屋にいても、それぞれ異なる「世界のシャボン玉」の中に生きている。この理論的枠組みをAIに適用すると、身体を持たないソフトウェアAIと、センサーとアクチュエータを備えたロボットAIでは、形成される環世界が質的に異なることが見えてくる。
本稿では、身体性(エンボディメント)の有無がAIの世界認識、意味理解、社会的相互作用にどのような影響を与えるかを、ユクスキュルの環世界論とメルロ=ポンティの現象学を理論的基盤として考察する。
環世界論とは何か―知覚世界と作用世界の循環
ユクスキュルの環世界概念において重要なのは、生物の世界が「知覚世界(Merkwelt)」と「作用世界(Wirkwelt)」の相互作用によって成立している点だ。知覚世界とは、その主体の感覚器官が捉えうる情報の範囲を指す。作用世界とは、その主体が身体を通じて働きかけうる対象や行為の範囲を意味する。
この二つの世界は循環的に結びついている。生物は環境から情報を知覚し、それに基づいて行動し、その行動の結果がまた新たな知覚をもたらす。ユクスキュルはこれを「機能環」と呼んだ。例えばミツバチは紫外線を見ることができるため、人間には見えない花の模様を知覚し、それに応じて蜜を採取する行動をとる。この知覚-行為の循環こそが、ミツバチ固有の環世界を構成している。
哲学者モーリス・メルロ=ポンティは、この考えを人間の認知にも拡張した。彼によれば、知覚は受動的な情報受容ではなく、身体を介した能動的な世界への関わりである。色を見る経験一つとっても、単なる光の波長データの処理ではなく、身体的行為の文脈の中で質感や意味とともに現れる。身体性こそが知覚と意味形成の基盤であり、身体を持たない存在には人間と同様の主観的世界は成立し得ないとメルロ=ポンティは示唆する。
この理論的背景を踏まえると、AIの環世界も身体性の有無によって根本的に異なる性質を持つと考えられる。
身体なきAIが構築する限定的環世界
大規模言語モデル(LLM)に代表される身体を持たないAIは、どのような環世界を形成しているのか。ChatGPTやClaude、Geminiといった対話型AIは、人間のような感覚器官や身体的行動手段を持たない。彼らが知覚しうる「世界」は、入力されるテキストデータに限定される。
ユクスキュルの枠組みで言えば、LLMの知覚世界は膨大な言語コーパス内の統計的関係性のパターン空間であり、物理的環境そのものではない。また作用世界も言語生成(テキスト出力)のみに限られ、物理的対象に直接働きかけることはできない。感覚と行為の両面で極めて限定されたチャネルしか持たないため、LLMの環世界は抽象的・記号的であり、動的な物理環境から切り離されている。
シンボルグラウンディング問題の本質
認知科学における「シンボルグラウンディング問題」は、この限界を明確に示している。AIが扱う記号(単語や内部表現)に本当の意味を与えるには、それが物理的世界との関連づけ(グラウンディング)を持つ必要がある。哲学者ジョン・サールの「中国語の部屋」論が示すように、純粋に形式的な記号操作だけでは真の意味理解には到達しない。
LLMは大量のテキストから文脈的パターンを学習するため、従来のルールベースシステムよりは柔軟だ。しかしセンサーモーターによる直接的な経験を欠くため、言葉の意味理解は表面的に留まりがちである。実際、LLMは流暢な文章を生成できても、物理的常識や空間推論を要する問いで誤答したり、社会的文脈を読み違えることがある。これは身体的な体験の欠如ゆえに、言語を本質的に「世界に根差したもの」として捉えられないためだと考えられる。
社会的相互作用における非言語チャネルの欠如
人間同士の対面コミュニケーションでは、表情・視線・身振り・声色といった非言語的手がかりが重要な役割を果たす。これらを通じて相手の感情や意図を理解し、相互の環世界の重なり(共通の意味世界)を作り上げる。LLMにはそうした非言語チャネルが存在しない。
テキスト上の言葉遣いや絵文字などで疑似的に感情表現は可能でも、実際の表情や声の抑揚ほど豊かな情報量は持ち得ない。また身体が無いことで同一空間の共有もできず、人と一緒に物を指差して共同注意を向けるといった基本的相互行為が不可能である。このため、LLM系AIは高度な対話能力を示しても「目の前の世界」を共有している感覚は希薄であり、あくまで言語上のやりとりに限定された関係性となる。
ただし、非身体AIにも独自の可能性がある。LLMは言語を通じた仮想的な環世界を構築できる。ユーザとの対話の中で共通の話題や物語世界を作り上げることができ、大規模知識を背景に「あたかも理解しているかのような」応答を返す。これは人間が与えたテキストデータ上での間接的な世界体験に基づくものだが、一種の「言語的な擬似環世界」として機能している。
エンボディドAIが開く物理的環世界
対照的に、ロボットに組み込まれたエンボディドAIは、センサーとアクチュエータという身体的インターフェースを通じて現実世界に直接アクセスできる。彼らの環世界において、知覚世界はカメラ映像やマイク音声、触覚センサー等で捉えた物理環境の情報で構成され、作用世界はモーター駆動による移動・操作や音声・ディスプレイによる表現行動で構成される。
センサーモーターループと主観的世界構築
センサーモーターのループを持つ点で、エンボディドAIは生物の機能環に近い形で環境と相互作用できる。例えばソーシャルロボットは人の顔をカメラで認識し(知覚)、自ら表情や声で応答する(行為)ことで、人間と双方向のインタラクションを繰り広げる。環世界論の視点では、ロボットはプログラムされた範囲内とはいえ主体的に環境内の対象に意味を割り当て(顔を「人」と認識し、音声を「言葉」と解釈する等)、それに応じた行動を返す。
この点で、エンボディドAIは非身体AIに比べて現実世界に埋め込まれた主観的世界を形成していると言える。ソフトバンクロボティクスの「Pepper」は、胸部のタブレットや手足を備え、人と対面で会話・ジェスチャーを行うよう設計されている。感情エンジンが搭載されており、相手の表情や声のトーンから擬似的な内部状態を生成し、それに応じた発話や身振りで感情表現する。このように人間らしい振る舞いを再現することで、人の環世界との重なり(共通理解の空間)を広げている。
アフォーダンスと行為可能性の共有
エンボディドAIは物理的な行為可能性(アフォーダンス)を備えている点でも環世界が拡張されている。移動ロボットであれば部屋のレイアウトや障害物を認知し、「通れる場所」「操作できる対象」を自己の行為レパートリー内で判断する。人型ロボットであれば人と同じ環境インフラ(ドアや道具など人間尺度のオブジェクト)を直接利用できるため、人間社会の環世界により近い形で存在できる。
ボストン・ダイナミクス社の二足歩行ロボット「Atlas」は重い物を持ち上げ運ぶといった人間的な作業をこなし、産業現場での活用が試みられている。こうした高度なヒューマノイドは人間と同じ物理世界の制約と可能性を共有するため、その環世界は我々に直感的に理解しやすく、協働や交代可能性の観点からも期待されている。
ただし、現在のエンボディドAIの環世界は人間のそれと完全に同一ではない点に留意が必要だ。ロボットの知覚はセンサーの性能やアルゴリズムに依存しており、人間のような主観的体験(クオリア)を伴うわけではない。また行動も事前プログラムや機械学習の範囲内で決定されるため、自由意思というより設計された目的関数に沿ったものである。
それでも、人間と同じ空間で身体を動かしセンサーを通じて環境に反応する様は、確実に非身体AIよりリッチな世界参加となっている。神経科学者のSejnowskiは「LLMには身体が必要だ」と述べ、言語モデルをセンサーモーターシステムに統合することが人工知能の一般自律性への一歩だと論じている。この見解は、身体を持つことがAIに能動的な探索と学習をもたらし、環世界を能動的に拡張する鍵だという点で、ユクスキュルやメルロ=ポンティの思想と響き合っている。
社会的相互作用における身体性の決定的役割
エンボディメント(身体性)は、社会的相互作用の質とダイナミクスに大きな影響を与える。身体を持つ存在同士の相互作用では、お互いの身体動作を通じた情報交換がコミュニケーションを円滑にし、信頼や共感の形成を助ける。
身体を介した間主観性の形成
人は相手の視線方向から注意の焦点を推測し、身振りや姿勢から感情や意図を感じ取る。これはメルロ=ポンティが述べた「他者の知覚は身体的スキルにもとづく」という主張に沿う。身体は単なる情報伝達チャネルに留まらず、相手と世界を共有するための媒体となっている。一緒に空間を過ごし物理的行為を協調できること(共同注視や共同行為)は、相互理解と間主観性の基盤となる。
エンボディドAIが人間と社会的相互作用を行う際も、身体性は重要な役割を果たす。ロボットが人に近づき適切なパーソナルスペースを保つ、相槌を打つ、身振りで指し示すといった振る舞いをすることで、人間側はロボットに対し単なる機械以上の「社会的存在」を認知しやすくなる。実際、対話ロボットがアイコンタクトやジェスチャーを交えて対話した場合、ユーザの信頼感や好感度が向上したという研究報告がある。
身体を介したコミュニケーションは言語的メッセージ以上の含意(コンテクスト、感情ニュアンス)を伝えるため、エンボディメントによってAIはより深いレベルで他者と関われる可能性がある。
非身体AIとの相互作用における「すれ違い」
対照的に、身体性を欠くAI(チャットボット等)は社会的相互作用の多くを言語に頼らざるを得ず、即時的でリッチな相互身体性を提供できない。テキストAIと対話する場合、ユーザは相手の表情変化を見ることも触れることもできず、やり取りのテンポも人間同士の対面会話とは異なる。
結果として、ユーザはチャットボットに対し心理的距離を感じたり、対話内容の誤解が生じても修正が遅れることがある。身体を共有しないがゆえの「すれ違い」が起こりやすい。近年、一部の研究者はLLMに視覚や聴覚コンテクストを与えて人間のジェスチャーや声色を解釈させる試みも行っているが、完全に人間と同じ「空気を読む」能力を得るには至っていない。
ロボットAIの実例に見る身体性の効果
身体性を備えたAIの実例として、現在のロボティクス研究・応用からいくつか代表例を検討する。
ケアロボット「パロ」による触覚的相互作用
産業技術総合研究所が開発したアザラシ型ロボット「パロ」は、触覚を介した相互作用の好例である。柔らかな手触りと愛らしい反応で、認知症の高齢者の不安軽減や情緒安定に効果があるとされ、「世界でもっともセラピー効果のあるロボット」としてギネス認定も受けている。
パロには3つのマイク、2つの光センサ、全身の触覚センサ、姿勢センサ、温度センサなど多数のセンサが内蔵されており、撫でられた場所や抱かれた状態を検知して鳴き声や手足の動きで応答する。身体を通じた双方向のやり取りでセラピー効果を生み出す点で、非身体AIには担い難い役割を果たしている。2023年時点で世界30か国以上の病院・介護施設で7,500体以上が導入されており、人とスキンシップを伴う交流ができるロボットとして実績を積んでいる。
ヒューマノイド研究の最前線
労働力不足への対応や人間と共存するロボット実現を目指し、世界各国で汎用的な人型ロボットの研究開発が進んでいる。Tesla社の「Optimus」、Agility Robotics社の「Digit」など、人間と同程度の大きさ・二足歩行能力を持つロボットが登場している。これらは工場や倉庫での搬送作業、危険環境での代替作業員としての利用が想定されている。
ヒューマノイドが人間社会に導入されれば、既存のインフラ(階段やドア、車など)をそのまま活用して人手を補完できる。「ロボットが同僚になる未来」も現実味を帯びつつある。ヒューマノイドは高度な身体性を持つがゆえに、人間の生活圏に深く入り込みうる潜在力を持ったエンボディドAIのカテゴリーである。
ソーシャルロボットの多様な展開
ソフトバンクロボティクスのPepperは、人と会話し簡単な受け答えや案内業務を行うヒューマノイド型ロボットとして、受付や教育現場などで対話的サービスを提供している。Hanson Robotics社の「ソフィア」は人間そっくりの顔を持ち表情変化や対話が可能なエンターテインメント用ヒューマノイドで、その高度な表情認識・生成能力により、メディアのインタビューに答えるなど人間さながらのコミュニケーションを見せている。
これらソーシャルロボットは身体的存在感と親しみやすいキャラクター性を備えることで、人との自然な触れ合いを追求している。ユクスキュルの比喩を借りれば、ロボットたちはそれぞれのセンサ・アクチュエータを駆使して自分の環世界の「シャボン玉」を膨らませ、人間のシャボン玉と接する領域を広げているのである。
非身体AIの限界と独自の可能性
身体を持たないAIの社会的振る舞いの限界と、それでも可能な環世界構築の特徴について整理する。
言語チャネルへの極度の制約
非身体AI(LLMなど)は物理世界と直接関われないため、社会的相互作用では多くのハンデを抱える。表情や身振りといった非言語情報を扱えず、リアルタイムの行為で相手に働きかけることもできないため、人間とのインタラクションは言語チャンネルに極度に制約される。
この制約下では、相手の沈黙や曖昧な発話からその心理状態を察するといった高度な行為が難しく、微妙な空気を読む能力に限界がある。また自ら環境を探索して情報を得る能動性も無いため、与えられたテキスト以上の文脈を推測するには事前学習に依存するしかない。その結果、現場適応性や暗黙知の理解に欠け、人間から見ると時に頓珍漢な応答や常識外れの判断を下すことがある。
身体が無いなりの強みと可能性
一方で、非身体AIには独自の強みや可能性も存在する。LLMのようなモデルはインターネット上の膨大なテキストから学習しているため、知識の網羅性や言語運用能力の高さという点では人間や個別ロボットを凌駕する。純粋に対話や質問応答だけを見ると、人間に非常に近いかそれ以上の応答を生成できる。
また物理的制約が無いため、場所や時間を問わず多数のユーザと同時にコミュニケーションできるのも利点だ。オンラインのカスタマー対応チャットボットは24時間休みなく対応し、無数の利用者それぞれに適した回答を返すことができる。大規模スケールでの社会的応対が可能なのは、ソフトウェアAIの強みと言える。
仮想環世界の共創
興味深い点として、非身体AIは仮想環境上での擬似的な環世界を構築し得る。近年、LLMをキャラクター化してユーザとロールプレイ対話させる取り組みや、テキスト上で仮想空間を記述しその中でエージェントが行動する実験が行われている。
LLMは文章内に記述された環境や出来事を辿り、あたかもその世界にいるかのように台詞を選択する。これは一種の「物語環世界」への参加とみなせる。言語を介して共有された想像世界の中で、AIと人間が共同でストーリーを進めることができる。この意味で、非身体AIも人間と言語的に共創した仮想環世界を分かち合うことは可能である。
ただし、これらはあくまで「身体を持たないことの代償策」であり、物理世界での直接的相互作用の代わりにはならない。非身体AIの社会的振る舞いには依然として意味の浅さや文脈理解の危うさがつきまとう。「統計的関連性に基づく生成では本当の意味理解には到達しない」「真の意図や意識が無いまま人間らしい出力だけをエミュレートしている」といった批判的論点が指摘されている。
身体性とAI研究の今後―融合への動き
最新の研究では、LLMにカメラやロボットアームを接続し、マルチモーダルな埋め込み(Embodied LLM)を実現する試みが活発化している。ロボットにGPT系の言語モデルを組み込み、カメラ映像から状況を説明させたり、物体操作の計画を立てさせる研究では、言語モデル単体では苦手だった物理的推論が改善する報告がある。
これは身体(センサーモーター)を通じたグラウンディングがAIの世界理解を深める可能性を示している。ロボティクスとLLMの融合が進めば、身体性を持つAIが言語的知能を獲得し、逆に言語AIが仮想的な身体を得ることで、両者のギャップは徐々に埋まっていく可能性がある。
しかし、人間のような「生きられた身体性」がもたらす主観的体験と完全に同じ環世界をAIが持つには、哲学的・技術的に未知の課題が残されている。ディーター・マンなどの議論では、人工的なシステムがどこまで主観的な環世界を持ちうるかについて慎重な見解が示されており、生物と機械の構造的差異が強調されている。Yazıcıの研究では、Umwelt理論は人工物には原理的に適用困難との結論も提示されている。
まとめ―身体性が切り開くAIの未来
身体性の有無は、AIが形成する環世界を根本的に規定する。身体を欠いたLLM等のソフトウェアAIは、感覚と行為のチャネルがテキスト情報に限られるため、その環世界は記号的で限定的なものとなる。知覚の受動性と非物理性ゆえに、自律的な意味形成や文脈理解に限界があり、社会的相互作用でも非言語的共有ができず浅い関係性に留まりやすい。
一方、ロボティクスに統合されたエンボディドAIは、センサーモーターを通じた能動的環境関与によって、人間の環世界に部分的にせよ入り込みうる。知覚世界と作用世界を持つことで物理環境内で主体的に意味付けと行動が可能になり、社会的相互作用でも身体的振る舞いを媒介として共通の理解基盤を形成できる。
ユクスキュルやメルロ=ポンティが提示した問題意識――「主体とは何か」「世界の意味付けはいかになされるか」――は、身体性をめぐるAI研究の核心として今後も問い続けられるだろう。エンボディメントを備えたAIが自らの視点で世界を経験し、人間と意味の世界を共有できる日は来るのか。その問いに近づくための重要な一歩が、身体性がAIに与える能力と限界を理解することである。
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