なぜ今、過程哲学と神経科学の統合が求められるのか
現代の認知科学や神経科学は、意識のハードプロブレムや生命の起源問題において根本的な壁に直面している。従来の物質中心・実体中心の世界観では、主観的経験の本質や生命システムの自律性を十分に説明できないという限界が明らかになってきた。
こうした状況下で注目されているのが、20世紀の哲学者アルフレッド・N・ホワイトヘッドの過程的汎心論と、神経科学者カル・フリストンによる自由エネルギー原理(Free Energy Principle, FEP)の接点である。一見異なる領域に属するこれら二つの理論は、実は「プロセス」を基盤に置き、システムの自律的活動と内在的目的性を重視する点で深い類似性を持つ。本記事では、両理論の核心概念を比較検討し、その統合可能性と意義について考察する。

ホワイトヘッドの過程的存在論:出来事としての世界
アクチュアル・オケージョンと経験の遍在
ホワイトヘッドは伝統的な「実体」概念を退け、世界を固定的な物質ではなく出来事の連続として捉え直した。彼の哲学における現実の最小単位は「アクチュアル・オケージョン」と呼ばれる経験的な出来事であり、各オケージョンは全宇宙から影響を取り込みながら瞬間的に生成し、独自の新規性を付け加えて次の出来事へと受け渡される。
重要なのは、ホワイトヘッドが物理的世界と心的世界を二元的に分けることを否定した点である。あらゆる出来事は物理的側面と心的(経験的)側面の両面を持つとする「過程的汎心論」の立場から、心は人間や動物に限らず全ての存在に内在すると考えられた。この見解は「パンエクスペリエンシャリズム(汎経験主義)」とも呼ばれ、心的性質を自然の基本的側面として位置づける大胆な提案である。
コンクレッセンスと主観的目的
ホワイトヘッドの宇宙観では、各出来事は「自己を創造する創造的過程」としての性格を持つ。彼は出来事が他から受け取った多様な影響を単なる機械的集積ではなく、一つの審美的な統一へと収斂させる過程を「コンクレッセンス」と名付けた。
この自己統合の過程には常に方向性があり、ホワイトヘッドはそれを各出来事に内在する「主観的目的」と呼んだ。あらゆる出来事は自身を完成した一つの経験へと定立しようとする内的志向性を持つということである。この主観的目的に導かれ、出来事は多様な影響を統合して一つの調和した実体へと自己創造し、結果として新たな事実を宇宙に生み出す。ホワイトヘッドにとって宇宙の根本原理は「創造」であり、絶えず「多から一へ、そして一から新たな多へ」という創造的前進が起きていると考えられた。
自由エネルギー原理:予測処理による生命の統一理論
自由エネルギー最小化という普遍原理
カル・フリストンによって提唱された自由エネルギー原理は、認知システムの振る舞いを統一的に説明する数理モデルである。この原理によれば、自らの境界を維持し環境と動的平衡を保つあらゆる自己組織的システムは、「自由エネルギー」を最小化するという原理に従って行動する。
ここで言う自由エネルギーとは情報理論的な量で、システムの内部モデルによる予測と実際の感覚入力との不一致(予測誤差)を上限づける指標である。生物は環境からの予期せぬ刺激(驚き)を低減させるように行動し、結果として自由エネルギーを下げ続けるというのがFEPの主張である。
予測処理と能動的推論
この原理の神経科学的実装として発展したのが予測処理モデルである。脳を階層的な生成モデルとして捉え、各層が環境状態についての予測を立て、下位層との間で予測誤差の情報をやり取りする構造を仮定する。上位の脳領域ほど抽象的・包括的な予測を行い、下位の感覚領域ほど具体的・詳細な予測を行う。
さらに生物は受動的に予測を更新するだけでなく、「能動的推論」と呼ばれる戦略によって自ら行動し、環境を変化させて予測を現実化させることも行う。喉が渇いたという予測を満たすために水を探して飲む行為のように、行動そのものが予測誤差を低減させる手段となる。この枠組みでは、知覚と行動の両面から予測誤差の最小化が進むため、生物はあたかも将来の驚きを減らすよう目的的に振る舞っているかのように説明できる。
重要なのは、この原理が特定の神経回路だけでなく、原理的にはあらゆる階層・あらゆる時間尺度の自己維持システムに適用可能だとされる点である。
自己創造と自己組織化:二つのプロセス理論の照応
プロセス重視という共通基盤
ホワイトヘッドの過程的存在論とフリストンの自由エネルギー原理は、一見まったく異なる領域の理論だが、「プロセス」を重視する点で深い類似がある。ホワイトヘッドは実体の背後にある生成変化そのものを現実の基盤と見做したが、FEPもまた生物システムの振る舞いを固定的な構造ではなくプロセス(変分原理に沿った確率過程)として捉える立場といえる。
主観的目的とネゲントロピー蓄積
興味深いことに、最新の研究ではホワイトヘッドの哲学的概念とFEPの対応づけが試みられている。Mesut Tezによる研究では、ホワイトヘッドのコンクレッセンスは「量子デコヒーレンス+自由エネルギー最小化」に対応すると指摘されている。
またホワイトヘッドが万物に仮定した「主観的目的」は、遠赤外平衡系が負のエントロピー(ネゲントロピー)を局所的に蓄積しようとする普遍傾向に置き換えられるとも提案されている。生物が秩序を保つため環境からエネルギーや情報を摂取する様子は、シュレーディンガー以来「負エントロピーを食べる」と表現されてきた。FEPによる予測誤差低減はまさに系が外界の不確実性を減らし秩序を増大させる過程であり、この観点からホワイトヘッドの主観的目的をネゲントロピー蓄積の傾向と見做せる可能性がある。
創造性と探索的知識獲得
さらに同研究では、ホワイトヘッドの根本原理である「創造」も物理学的に読み替えられている。それによれば創造は「ネゲントロピー地形におけるカオス的な知識獲得的探索」と解釈できるという。これは、生物がランダムな揺らぎや試行錯誤を通じて環境から有益な情報を得ながら適応を図るプロセスに相当する。
能動的推論における探索的行動(エピステミック・フォーaging)はまさにそれに当たり、環境内の不確実性を積極的に減らすために生物が新奇な試みを行う現象である。ホワイトヘッド哲学の「創造による進化」も、FEPの枠組みで言えばノイズを活用した予測モデルの探索的最適化過程として理解できる可能性がある。
階層性:多層的主観性と予測処理のアーキテクチャ
予測処理の階層構造
予測符号化にもとづく脳モデルでは、知覚・認知の過程は厳密に階層構造を取ると考えられている。低次の感覚野はミリ秒単位で原始的な特徴検出や予測誤差算出を行い、中位の連合野はそれらを統合して知覚的対象や概念的カテゴリを予測し、さらに高次の前頭野などは文脈や自己意識といった抽象レベルで予測を行う。
各層は下位層の出力を入力として受け、内部モデルを更新しつつ上位層へ予測誤差を返すという双方向ループを形成している。この「階層的ベイズ推論アーキテクチャ」は知覚のマルチスケール性を説明するもので、脳科学における有力なモデルとなっている。
ホワイトヘッドの経験の階層
ホワイトヘッドの過程哲学もまた階層的な宇宙観を持つが、その階層は物理的構造というより経験の階層として理解される。彼は単一の出来事は極めて微小な一瞬の経験に過ぎないとしつつ、それらが無数に集まって「社会」と呼ばれる持続的構造を作ると述べた。
一個の電子や原子はそれ自体が一連の過程的出来事からなり、その集団として分子や結晶といった高次の安定構造が形成される。同様に、生物の細胞も多数の分子過程の社会であり、人間のようなマクロな知的主体も膨大な細胞やシナプス活動の社会として成り立つと捉えられる。これは一種の「階層的汎心論」のイメージであり、小さな経験から大きな経験へと階層が連なっているという見取り図である。
入れ子状オブザーバーウィンドウモデル
最近提案された「入れ子状オブザーバーウィンドウ(NOW)モデル」という理論では、脳内に複数の独立した意識の窓が階層的に存在しうると想定されている。各ウィンドウはそれより下位のウィンドウから情報を集約し、一つの統一的な主観的体験を形成するとされる。
重要な点は、各ウィンドウ自体がひとつの「意識的個体」に相当しうるという仮定で、極端に言えば「小さな脳内意識」が多数存在し、それらが階層的に統合されて我々の単一意識を構成している可能性を示唆する。このモデルは汎心論的な階層意識観と整合的であり、予測処理の階層アーキテクチャは物理的階層だけでなく主観的階層としても解釈可能である。
神経現象学・拡張心・エナクティヴィズムとの接点
主観経験を科学に織り込む試み
ホワイトヘッドの影響を受けた近年の認知科学・哲学には、伝統的な心身二元論を超えて心的現象を広く捉えるアプローチがいくつか登場している。フランシスコ・ヴァレラによる神経現象学は、一人称の主観的経験と三人称の神経科学的記述を統合しようという試みである。
神経現象学では主観経験を科学から排除せず正面から扱う点で汎心論に通じる姿勢を持っている。予測処理モデルはまさに脳内状態と現象的世界を結びつける生成モデルと言え、神経現象学的アプローチと親和性がある。生物が自らの環境を能動的に「立ち上げる」というエナクティブなスローガンは、FEPで言えば生物が内部モデルを通じて自らの環境世界を構築することに対応する。
拡張された心とマルコフ毛布
アンディ・クラークとデイヴィッド・チャーマーズの拡張心テーゼは、認知プロセスが脳の外部(身体や道具、環境)にまで拡がりうるとする。FEPの観点から見ると、マルコフ毛布(システムの内部状態と外部環境を分ける統計的境界)によって「システム」の範囲を定義するが、この境界は固定的でなく、システムのカップリング次第で可変である可能性が指摘されている。
クラーク自身も「自分のマルコフ毛布を編み直す」と言い、脳-身体-環境の相互作用の中で主体の境界は動的に再定義され得ると述べている。予測処理は適切な境界設定をすることで拡張心を包含できる理論といえ、ホワイトヘッドの有機体的世界観(全てが繋がり合ったプロセスのネットワーク)を想起させる。
エナクティヴィズムとの対話と緊張
エヴァン・トンプソンやエンリケ・ディ・パオロらによるエナクティヴ・アプローチは、認知を生物の自律的・身体的な活動として理解する。全ての生物過程に内在的目的性を認めるため、エナクティヴィズムはホワイトヘッド的なプロセス思想に近く、広義の汎心論に通じる。
FEPとの関係では、「生命=自由エネルギー最小化システム」という図式自体はエナクティヴな生命観と表面的には調和する。しかし一方で、エナクティヴィズム陣営からFEPへの批判もある。主な論点は、FEPは生物だけでなく非生物にも適用できる一般理論であるため生命特有の性質を捉えきれないのではないか、またFEPは内部モデルという表象主義的な言語で記述されるが、エナクティヴアプローチは非表象を志向するため哲学的スタンスが異なるのではないか、等である。
こうした緊張関係はあるものの、心的原理が宇宙全域で働いているという視点から見れば、ホワイトヘッドの「万物に内在的経験あり」という主張にも一定の科学的裏付けが与えられる可能性がある。
理論的統合の可能性:相互補完的な関係
ホワイトヘッドとFEPの相互補完性
ホワイトヘッドの過程的汎心論とフリストンの自由エネルギー原理との理論的統合は十分に可能性がある。それは単に両者の類似点が多いからというだけではなく、お互いに不足している部分を補完し合える関係にあるからである。
ホワイトヘッド哲学は経験の質的側面や創造性・価値といった側面を包括的に捉える強みがあるが、定量的なモデルや実証との接続が弱いという課題がある。一方、FEPは強力な数学的フレームワークを提供し神経科学データとも整合するが、しばしば還元主義的に解釈されがちで、意識の主観性や本質的創発性を語るにはメタファーを要する状況である。
プロセス形而上学への基盤の転換
Raghuveer & Endresらは、FEPが暗黙に従う従来の「実体メタファー」では学習や発達など「真の新規性」を扱えないと批判し、プロセス形而上学に立脚しなおすべきと提言している。これはFEPをホワイトヘッド流の動的存在論に位置づけ直すことで、システムの発生的変化や創発的創造性を理論内に統合しようという試みである。
具体的な統合戦略としては、プロセス的モデリング(FEPの数理モデルにホワイトヘッド哲学の概念を対応付ける)、多層エージェントシミュレーション(各スケールのサブシステムに主観を割り当てる)、第一人称データとの照合(神経現象学の手法を導入し主観報告と脳活動の対応を調べる)などが考えられる。
心の科学に形而上学的基盤を取り戻す
統合の意義としては、心の科学に形而上学的基盤を取り戻すことが挙げられる。ホワイトヘッド以来「科学の奥底には常に何らかの形而上学が横たわる」とも言われる。FEPは暗に「世界は確率モデルで近似できる」といった存在論を伴っており、それを明示的に議論することで理論の解釈を深められる。
過程的汎心論との対話は、FEPに「経験に開かれた存在論」を与える契機となるだろう。同時に、FEPの数理に支えられたモデルは過程哲学に実証的な裏付けと予測的パワーを提供し、従来哲学的言説に留まっていた汎心論を科学的検証可能な仮説群へ高める助けとなる。
まとめ:心・生命・宇宙を統一的に理解する新たなパラダイム
ホワイトヘッドの過程的汎心論とフリストンの自由エネルギー原理は、プロセスを基盤に置き、システムの自律的活動と内在的目的性を重視する点で深い類似性を持つ。両者の統合は、心と生命と宇宙を一貫したプロセスとして理解する新たなパラダイムとなる可能性がある。
ホワイトヘッドの哲学的洞察は、FEPに形而上学的一貫性と解釈学的深みを与え、意識の主観性や創造性といった側面への理解を深める。一方、FEPの数理的枠組みは、過程哲学に実証的な裏付けと予測的パワーを提供し、科学的検証可能な理論へと高める。
現代の量子論・生物学・情報理論は「世界は物質的な実体というより出来事から成る」という像を提示しつつあり、ホワイトヘッド流の過程的宇宙観が最先端科学の暗黙の前提になりつつあるとの指摘もある。この意味で、両理論の統合は十分に直観に適うものであり、神経科学や認知科学に深い哲学的洞察をもたらすと同時に、哲学に具体的な科学的実践地平を提供するものとなるだろう。
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