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子どもの学びに「曖昧さ」が必要な理由とは?量子認知モデルが示す新しい教育アプローチ

はじめに

「答えは一つではない」「正解がわからない」――そんな曖昧な状況に、子どもたちはどう向き合うべきでしょうか。従来の教育では、曖昧さは排除すべきものとされ、明確な答えを導くことが重視されてきました。しかし近年、認知科学の新しい枠組みである量子認知モデルは、この常識に疑問を投げかけています。

量子認知モデルとは、量子力学由来の数学的枠組みを用いて人間の認知過程を説明する理論です。この理論が示唆するのは、曖昧さや不確実性は欠陥ではなく、むしろ創造的で適応的な思考の源泉であるということ。本記事では、この革新的な視点が初等教育にどのような示唆を与えるのかを探ります。


量子認知モデルとは:従来の認知理論との違い

古典的認知理論の前提

従来の認知理論では、人間は基本的に論理的一貫性を保ち、確率的にも古典確率論(コルモゴロフの公理系)に従う「合理的」存在と仮定されてきました。つまり、文脈や質問の順序に依存せず、判断結果は常に一意に定まると考えられていたのです。

しかし実際の人間の思考は、こうした想定とは異なります。質問の順序によって答えが変わったり、論理的には説明困難な選好を示すことが数多く報告されています。例えば、アンケートで「この人は誠実か?」と尋ねてから「この人は有能か?」と聞く場合と、逆の順序で聞く場合では、回答傾向が変化することがあります。

量子認知モデルの核心的な考え方

量子認知モデルは、こうした「非合理」に見える現象を、別の種類の合理性として捉え直します。量子確率論(ヒルベルト空間上の確率モデル)を用いることで、文脈依存性や**順序効果(非可換性)**を自然に表現できるのです。

具体的には、以下のような特徴があります:

  • 重ね合わせ状態:複数の可能性が同時に共存する心理状態を表現
  • 観測による状態変化:質問や意思決定の瞬間に、曖昧な状態が特定の答えへと「収束(コラプス)」する
  • 干渉効果:複数の可能性が相互作用し、状況に適合しない選択肢の確率が抑制され、適合する選択肢が強調される

例えば、子どもが選択肢AとBのどちらにしようか迷っている場合、古典モデルなら「Aを選ぶ確率x%、Bを選ぶ確率(100-x)%」と表します。しかし量子モデルでは、「AでもBでもあり得る」という重ね合わせ状態で捉え、意思決定の瞬間にその状態が確率的に一つに収束すると説明します。

質問順序効果の実例

有名な例として、10代の若者への調査があります。「どれくらい幸せか?」と尋ねると多くは「とても幸せ」と答えますが、先に「最近デートしたのはいつ?」と質問すると幸福度の自己評価が下がる傾向が見られました。

古典モデルではこの変化を説明することが困難ですが、量子モデルなら「最初の質問による心的状態の変化(量子的測定の非可換性)」として理解できます。つまり、質問という行為自体が「観測」として機能し、心の状態を特定の方向へ変化させるのです。


なぜ「曖昧さ」が学びに重要なのか

曖昧さをポジティブに評価する量子的視点

量子認知モデルにおいて特に重要なのが、曖昧さや不確実性の捉え方です。古典的視点では、曖昧さは可能な限り取り除くべきノイズや誤りと見做される傾向がありました。

しかし量子的視点では、曖昧さは心の自然な状態であり、創造的・適応的思考の源泉と捉えます。Jerome Busemeyerらの説明によれば、波(不定)状態が人の葛藤・曖昧さ・混乱・不確実性といった心理経験を捉え、粒子(確定)状態が葛藤解消・決定・確信を捉えるとされます。

戦略的リソースとしての曖昧さ

量子認知モデルの解釈では、人間は意図的に曖昧な状態(結論を保留した重ね合わせ)を維持することで、状況に応じ柔軟に対処しようとするとされています。この合目的的なあいまいさは、認知状態を特定の方向に固定せず必要に応じて干渉させることで、最終的により良い選択肢を浮上させる可能性があります。

例えば、他者が協力するか裏切るか分からない状況では、心の中で他者は「協力状態と非協力状態の両方の可能性を持った重ね合わせ」として存在します。人は不確実な局面でしばしば直観に頼ったり「状況次第で決めよう」と考えたりしますが、これは量子的には心が情報不足の中で複数の仮説を重ね合わせて保持している状態だと解釈できるのです。

不確実性が学習意欲を高める

教育や認知発達の観点からも、曖昧さ・不確実性は必ずしも避けるべきものではなく「学習者を目覚めさせ、探究へと駆り立てる良性の刺激」であることが指摘されています。

ジャーナリストのMaggie Jacksonは著書で「不確実でいることには多くの利点がある。確信を手放し好奇心を持ち続けることで、より良い解決策に辿り着ける」と述べています。実験研究でも、適度な不確実性は好奇心を喚起し学習意欲を高めることや、あいまいさへの耐性が高い学習者ほど新奇な課題に積極的に取り組めることが報告されています。

認知心理学者のDeweyは早くも1910年に「思考は問題や困難(≒不確定な状況)に直面したときに始まる」と指摘しており、曖昧さは熟考と探究を引き起こす火種だと位置づけられます。


初等教育での実践:「構造化された曖昧さ」の活用

探究学習における曖昧さの役割

初等教育の現場でも、曖昧さや未知の状態をうまく活用した指導法が注目されています。その代表が**探究学習(Inquiry-Based Learning)**です。

探究学習では、問題に対する単一の正解や予め決まった手順が存在しない、いわば一定の曖昧さを孕んだ課題に子どもたちが主体的に取り組みます。教師から知識を一方的に教え込むのではなく、子ども自身が問いを立て、試行錯誤し、発見するプロセスを重視します。

このようなオープンエンドな課題設定では、学習の入口で多少の混乱や迷いが生じます。しかし実はそれこそが狙いなのです。探究型の教室では、生徒たちは未知の現象に対峙し質問しながら、実験や調査を通じて原理を自分で見出していきます。

「構造化された曖昧さ」の重要性

重要なのは、この曖昧さが完全なカオスではなく**教師によって「構造化された曖昧さ(structured ambiguity)」である点です。すなわち子どもたちが自力で探索できる範囲と支援のバランスを取り、行き詰まらないような環境設定が求められます。

適切にデザインされた曖昧さは学習者の適応的な学びの姿勢を育て、主体性とレジリエンス(困難に粘り強く取り組む力)を引き出すとされています。一方で支援が不十分すぎると徒労感や混乱が大きくなりすぎるため、「仮説検証の道筋は示すが答えは教えない」という絶妙な支援が教員には求められます。

実際にIBL型授業を導入したクラスでは、生徒たちが曖昧な状況にもめげず試行錯誤を重ねる中でリスクテイキング(失敗を恐れず挑戦する姿勢)やエンゲージメント(学習への積極的関与)が高まったとの研究報告もあります。

概念理解における意味の揺らぎ

「意味のゆらぎ」という観点でも、量子認知的アプローチは初等教育に示唆を与えます。子どもは新しい概念と言葉を学ぶ際、意味理解が揺れ動く曖昧な段階を経ます。

例えば「生物」と「動物」という概念を学ぶとき、大人にとって典型的でない例(コウモリは鳥か?イルカは魚か?など)に子どもは迷うかもしれません。この概念の境界の曖昧さは、古典的には誤概念として修正すべきものとされがちでした。

しかし量子モデルでは、概念同士の組み合わせで新たな意味が文脈依存的に生じうることが示されています。GaboraとAertsの研究では、「ペット」と「魚」という概念を組み合わせると典型的なペットでも典型的な魚でもない「金魚」が思い浮かぶという現象を、量子的重ね合わせで説明しました。

初等教育でも、子どもが持つ素朴概念の揺らぎや文脈依存の解釈を頭から誤りと決めつけず、それを出発点に新たな理解へ収束させていく(重ね合わせ状態から意味の確定へ導く)ような指導が望ましいでしょう。

構成主義的アプローチとの整合性

構成主義的アプローチでは、学習過程は一様でなく学習者ごとに異なりうることが強調されています。構成主義の教室ではオープンエンドな課題や問題解決学習が推奨され、学習の方法や結果に一定の多様性や曖昧さが存在することを許容します。

これはまさに量子的な「一意に解釈を定めず曖昧さを保つ選択も許容する」論理と通底しており、学習者一人ひとりの内部で知識が再構成されるプロセスを大切にします。

例えばピアジェの認知発達理論では、新たな情報に直面して生じる**認知的不協和や揺らぎ(ディスソナンス)**こそが既有のスキーマを再編成し、より高次の理解へと成長する契機だとされました。教師は適度な課題設定と支援を通じ、子どもに「わかった!」という収束の瞬間(いわば認知状態のコラプス)を自ら導かせるよう促すのが理想です。


量子認知研究の現在地と教育への応用可能性

主要な研究者と文献

量子認知モデルは2000年代以降急速に発展してきた分野であり、心理学・認知科学の領域で数多くの研究者が活躍しています。

先駆者の一人がインディアナ大学のJerome Busemeyerで、彼はPeter Bruzaとの共著書『Quantum Models of Cognition and Decision』(2012年)で量子認知の包括的な理論体系を提示しました。Busemeyerらは人間の非合理的選好や意思決定のパラドックスを量子モデルで説明し、従来の確率論モデルとの差異を明らかにしています。

Emmanuel Pothosも主要な研究者で、選択肢のディスジャンクション効果(不確実な状況で賭けを回避する現象)を量子モデルで再現し、古典確率では説明不能な振る舞いを干渉効果の結果として示しました。

概念理解と言語の分野ではLiane GaboraとDiederik Aertsによる研究が著名です。彼らは概念結合による意味の揺らぎを分析し、量子モデルが新しい複合概念の意味生成をうまく表現できることを示しました。この一連の研究は「人間の創造的連想やユーモアの理解などにも量子形式が応用できるのではないか」という関心へと発展しています。

教育分野での知見の蓄積

教育・学習科学の領域では、量子認知そのものを直接扱った研究は新しいものの、不確実性や曖昧さに関する知見は古くから蓄積されています。

哲学者・教育学者のジョン・デューイは著書『思考とは何か』(1910)において、「思考は何らかの当惑、混乱、疑念(=不確かな状況)から始まる」と述べました。これは探究学習の理論的基盤にもなっており、問題解決学習やプロジェクト学習を支える理念です。

心理学では曖昧さ耐性(Tolerance for Ambiguity)という概念が提唱され、曖昧さへの耐性が高いほど未知の課題に積極的に取り組み学習成果も向上することが報告されています。

現代の教育論では、VUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)の時代に対応する力として曖昧さに耐え主体的に考えるスキルが重視されています。例えばManu Kapurの**プロダクティブ・フェイリア(生産的失敗)**理論では、学習の初期にあえて構造化された失敗や混乱を経験させることで、後続の知識定着や深い理解が促進されると示されています。


まとめ:「わからない」を大事にする教育へ

量子認知モデルが初等教育に示唆するのは、学習過程に内在する曖昧さ・不確実性をネガティブなものではなくポジティブな学習資源と捉え直すことです。

人間の認知を伝統的な直線型・決定論ではなく非線形・文脈依存的なプロセスとして記述する量子認知モデルは、曖昧さを含む状態こそが適応的思考の本質であることを示唆しました。この視点に立てば、初等教育で日々生じる子どもたちの迷いや勘違い、予想外の発想も含めて、学習の重要なプロセスとして尊重されます。

理論的には、量子認知モデルが提示するスーパーポジション(多様な仮説の併存)から観測(相互作用)によるコラプス(理解の確定)までの過程は、探究学習や構成主義的学習観と深く整合します。

教育実践では、あえて答えを与えすぎず、子ども自身に揺らぎの中から答えを見出させる場面を設けることが重要です。ただしそれには、量子モデルが示唆するように**的確なタイミングでの「観測」(フィードバックやヒント提示)**も不可欠でしょう。

不確実な未来を生きる子どもたちに、確かな知識だけでなく”不確かさと向き合う力”をも育むために、量子認知モデルが提供する豊かな洞察を教育の場に取り入れていく意義は大きいと言えます。初等教育でこそ、この**「わからない」を大事にする姿勢**を育むことが、未来の学びに主体的な探究者を育てる鍵となるでしょう。

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