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予測符号化理論と急進的具現化認知の理論的関係:4E認知における位置づけと統合可能性

はじめに:認知科学における二つのパラダイム

認知科学・神経科学において、予測符号化理論急進的具現化認知は近年注目される二つの理論的立場です。前者は脳が環境の内部モデルを構築し予測誤差を最小化するという計算論的アプローチであり、後者は認知を身体と環境の動的相互作用として捉え心的表象を否定する立場です。一見すると真逆の方向性を持つこれらの理論ですが、現代の認知研究において両者の対話は避けて通れません。

本記事では、予測符号化理論と急進的具現化認知の基本概念を整理し、特に内部モデル(表象)の扱いをめぐる理論的整合性と対立点を検討します。さらに4E認知(Embodied, Embedded, Enactive, Extended cognition)の観点から両理論を評価し、内在主義と外在主義という哲学的立場でどのように位置づけられるかを明らかにします。


予測符号化理論:脳は予測する階層的システム

予測誤差最小化としての知覚

予測符号化理論の核心は、脳が環境の内部モデルを生成・更新し、感覚入力を予測するという仮説にあります。具体的には、脳内に外界の原因を表現する階層的な生成モデルが構築され、各時点で感覚情報を予測し、実際の入力との差(予測誤差)を計算します。予測が外れれば内部モデルを更新し、予測が当たればモデルは維持されます。

Karl Fristonらはこの枠組みを自由エネルギー原理として一般化しました。脳は予測誤差に対応する自由エネルギーを最小化するように内部状態を変化させることで知覚や認識を行うとされます。このモデルでは、知覚とは内部モデルを逆推論して感覚データの原因を推定する過程として説明されます。

階層的予測処理の神経基盤

予測符号化モデルでは、大脳皮質の階層各レベルが「ローカルモデル」として内部表象を保持します。上位レベルから下位レベルへは予測信号が送られ、逆に下位から上位へは予測誤差信号が伝達されます。この双方向の情報伝達により、脳全体が外界の状態を推測・修正していきます。

この階層構造は、低次視覚野の受容野特性から高次知覚まで統一的に説明できるという強みがあります。例えば視覚野における文脈効果や端抑制も予測符号化モデルで再現可能であることが示されています。予測が正確な場合、下位レベルの活動は上位予測によってキャンセルされ、誤差が生じなければ内的表象は更新されません。

アクティブ・インフェレンス:行動への拡張

予測符号化は知覚だけでなく運動制御にも適用されています。アクティブ・インフェレンス(能動的推論)の枠組みでは、運動指令も「期待される感覚結果の予測」として扱われます。脳は目標に対応する感覚入力を予測し、実際の感覚をその予測に近づけるよう身体を動かします。

この見方では古典的な運動指令は存在せず、運動も知覚と同じ予測誤差最小化原理で実現されます。Andy Clarkはこれを「行為指向型の予測処理」と呼び、知覚から行動までを一貫して説明しうる統合的理論として位置づけています。身体に根差した単純な反応と内的モデルに基づく高度な予測を、課題や状況に応じてシームレスに統合できるという点が予測符号化理論の強みです。


急進的具現化認知:表象なき認知への挑戦

非表象論的アプローチの基盤

急進的具現化認知は、認知を心内の計算や表象によってではなく、エージェントと環境の動的相互作用として記述すべきだと主張します。Anthony Chemeroが提唱した「ラディカル身体化認知科学」は、知覚・行為・認知を内部表象ではなくエージェントと環境のダイナミクスで説明する非表象論的アプローチの代表例です。

この立場の核心は、基本的な心的過程には表象的内容など存在しないという主張にあります。Daniel HuttoとErik Myinは『表象なき基本心性』において、生物の基礎的認知は世界についての表象的内容を伴わずとも成立しうると論じました。認知が常に内容を伴うという定説に真っ向から反対し、意図性や現象的意識でさえ内容なしに成立しうるとしています。

アフォーダンスと動的システム理論

急進的具現化認知が目指すのは、脳内に記号やモデルを構築しなくとも、身体を介した環境との相互作用そのものが認知を実現していることを示すモデルです。J.J.ギブソンのアフォーダンス理論では、エージェントは環境中の行為可能性を直接知覚するとされます。心内に詳細な表象を作らずとも、環境が提供する手がかりをダイレクトに捉えて行動できるという考えです。

またロボティクスや動的システムの研究でも、内部状態を最小限にしてセンサー・モーターループのダイナミクスだけで知的行動を実現する試みがあります。こうした「世界をモデル化しない知能」の成功例は、急進的具現化認知の実証的支えとなっています。

知覚は推論ではなく習慣

Huttoらの急進的エナクティブ認知モデルでは、知覚ですら推論的な過程ではなく、習慣的な身体-環境パターンとして理解されます。彼らは知覚錯覚(ミュラー=リヤー錯視など)の頑強さを例に、予測符号化的説明では高次知識があっても錯覚を訂正できない問題が残ると批判しました。

代わりに彼らは、**基本的な知覚様式は内容のない非推論的な「習慣」**であり、それが内容的知覚判断より先立つと提案しています。頭では錯視のトリックを知っていても知覚像が修正されないのは、知覚がそもそも理論的推論ではなく身体に染みついた感覚運動パターンとして成立しているためだというわけです。


表象概念をめぐる理論的対立

内部モデル vs. 非表象主義

予測符号化理論と急進的具現化認知は、認知における「表象」の扱いについて真っ向から対立しています。予測符号化では、脳は環境の内部モデル(=表象)を構築しそれを絶えず更新すると仮定します。各階層のニューロンが感覚データ中の統計的規則を学習し表現するとされ、この「内部表現」は理論の中心的役割を果たします。

一方、急進的具現化認知ではそのような内部表象に説明的実在性を与えること自体が否定されます。認知を説明するのに「脳内で環境の記号モデルを作っている」と仮定するのは不必要どころか有害であり、実際には身体と環境に埋め込まれたプロセスが認知の本態なのだから、内部表象という虚構を捨て去るべきだというわけです。

Andy Clarkの和平提案とその限界

Andy Clarkは長年、身体性や拡張された心の重要性を訴えつつも内部表象の概念も用いるというスタンスでした。予測符号化理論の興隆に際し、Clarkは**「予測処理の枠組みによって旧来の内部表象をめぐる論争は無意味化し、和平が成立するかもしれない」**と論じています。

彼の見解では、予測符号化における内部状態は古典的な「記号的表象」とは異なり、むしろ生体のアクティブな寄与の一部として理解すべきものです。知覚内容は外界の事実を受動的に描写するのではなく、生体の過去の経験や目的に相対化された「オーガニズム相対的」なものだと指摘します。

しかし、Jakob Hohwyは、Clarkが唱える「具現化・拡張された予測処理」のビジョンに対して批判的です。Hohwyによれば、適切に機能する予測処理モデルにはどうしても豊かな事前知識に基づく内部表象が必要であり、新たな感覚入力と論理的に統合されなければなりません。予測処理は従来の具現化アプローチを支えるどころか、古典的認知主義(内在主義)と具現化アプローチの新たな統合を必要とすると指摘しています。

急進派からの批判

HuttoやChemeroら急進派から見ると、Clarkがいかに「アクション指向の予測処理」と言葉を飾ろうとも、内部モデルという考えを温存する限りラディカルさが足りないと映ります。HuttoとHipólitoは近年の論文で、Clarkによる「ラディカルな予測処理」も結局は**「せいぜい準ラディカル(semi-radical)」に過ぎない**と評しています。

Huttoは予測符号化理論に対し、「それは推測ゲームに生体を引きずり込む考え方だが、生体は本来そんなブートストラップ地獄にはまっていない」と批判しています。脳内で推論が繰り広げられているという比喩そのものに急進派は懐疑的なのです。


4E認知の観点からの評価

内在主義か外在主義か

4E認知は、心の働きを身体性(Embodied)環境への埋め込み(Embedded)生体による現成(Enactive)、**環境への延長(Extended)という観点から捉えるアプローチです。4E的な視点では、認知は脳内だけで閉じた計算ではなく、身体や環境との相互作用に本質的に依存すると考えます。したがって4Eは一般に外在主義(externalism)**の立場に立ち、心的過程の境界を頭蓋内に限定しません。

予測符号化理論の内在主義的傾向

予測符号化理論は基本的に内在主義的と捉えられがちです。Jakob Hohwyは予測処理モデルにおいて**「マルコフの毛布(Markov blanket)」**という概念を用い、エージェント(脳と身体)は統計的境界によって環境から閉ざされており、その内部で自己のセンサデータの原因を推測していると論じました。

この見立てでは、脳=心は頭蓋骨という境界の内側で、自らの感覚入力に対して仮説を検証する存在となります。環境はあくまでデータの供給源であり、心的過程そのものは内部(脳内表象の変換過程)に局在します。何も手を加えなければ予測符号化理論は**極めて「頭蓋内に閉じた心(skull-bound mind)」**の図式に収まりかねません。

4E的解釈の可能性

しかし予測符号化理論そのものは、工夫次第で4E的解釈と両立し得るとも考えられています。Clarkは、予測符号化フレームワークは従来の身体化・延長された心の議論と矛盾しないと主張しています。

例えば、予測誤差を低減するために我々は環境を積極的に構造化します(道路脇に白線を引いて運転を補助するなど)。それによって問題解決の負荷が内部モデルから外部環境へ分散します。予測する脳はむしろ「予測しやすい環境」を自ら作り出し利用するのであり、脳・身体・環境を一体で考える方が理にかなう場面も多いのです。

内在的に解釈すれば「脳内モデルが全てを担う」という像になりますが、外在的に解釈すれば「予測エラー低減という目標のために脳-身体-環境の統合システムが形成される」という像にもなりえます。予測符号化理論は内在主義にも外在主義にも解釈しうるグレーな立場にあると言えるでしょう。

急進的具現化認知の徹底した外在主義

対照的に、急進的具現化認知は一貫して外在主義的です。認知過程は頭蓋内では完結せず、常に身体と環境に分散していると捉えます。したがって4EのうちEmbodied、Embedded、Enactiveの各要素は急進的具現化認知の前提に含まれています。

「知覚=環境との相互耦合(カップリング)」という見方はEnactiveアプローチそのものであり、身体を介したエージェント-環境システムを分析単位にする点でEmbeddedな視座です。さらにExtended(延長)についても、急進派は道具や文化的環境が認知の一部になることを認めています。

Huttoらは「文化的にスキャフォールドされた心(scaffolded mind)」という概念を用い、言語や社会的実践が人間の認知内容を形成する重要な外部資源だと論じます。Chemeroも、脳・身体・環境が一体となった「統一的アニマル–環境システム」こそ心の担い手だと主張しています。


統合への試みと今後の展望

折衷モデルの模索

現在の研究動向としては、両者の折衷や相補的関係が模索されています。Paweł Gładziejewskiは予測処理について「保守的解釈」と「4E寄り解釈」の両極がありうると整理しています。彼によれば、それぞれについて4E(身体性・環境埋込・延長・現成)アプローチと融和的な再定式化が可能だと論じています。

例えば「内部表象」といってもそれは行為指向的で一時的なものであり、厳密な記号符号ではない、といった捉え方です。Clark自身も、予測処理における内部状態は古典的表象とは異なると強調しています。

4E版予測処理モデル

Gallagherらは錯覚問題への検討を通じて「4E版の予測誤差最小化」とも言うべきアプローチを提案しています。それは脳内の通信だけでなく物質的・文化的環境との相互作用まで含めて予測誤差の振る舞いを説明するものです。

逆に、急進派の理論家も予測符号化から得られる数理的・神経科学的知見を無視しているわけではなく、一部の現象については自らの理論に取り入れる動きもあります。ただ、両者の統合には**「表象をどこまで認めるか」**という根本的な哲学的問題が横たわっているため、完全な和解にはなお議論が必要でしょう。


まとめ:対立から対話へ

予測符号化理論と急進的具現化認知は、脳内モデルによる予測身体・環境に開かれた認知という対照的なビジョンを提示しています。前者は神経科学的実証性が高く多くの現象を統一的に説明する力があり、後者は人間の実生活に即した柔軟な知能像を提供し、人工知能やロボット工学への示唆も含めて魅力的です。

実際の認知は、おそらく脳内表現と身体的相互作用の双方を巧みに利用しているのでしょう。今後の研究は、予測符号化理論の枠内でどこまで表象概念を「現象学的身体性」に沿って再解釈できるか、あるいは急進的具現化認知の主張を満たしつつ数理モデル化・神経実装原理を組み込めるか、といった点に向けられるでしょう。

異なるパラダイム同士の対話を通じて、**「身体で世界を予測する心」**という成熟した理論像が現れることが期待されます。予測符号化と具現化認知の融合は容易ではありませんが、両者の緊張関係そのものが認知の本質解明に向けた建設的議論を生み出しています。

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