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エナクティヴィズムと自由エネルギー原理は非表象主義として整合するか?理論・数理・実証の三層分析

はじめに:「脳は世界を表象しているのか」という根本問題

認知科学の核心にある問い、「脳は世界を内的に表象することで認知を成立させているのか」は、今も活発に議論されている。エナクティヴィズムは、この問いに「否」に近い立場で応答してきた潮流であり、認知を身体化された行為と環境との循環的な相互作用から理解しようとする。

一方、神経科学・計算論的認知科学では、カール・フリストン(Karl J. Friston)が提唱する**自由エネルギー原理(Free Energy Principle:FEP)**が、知覚・行為・学習を統一的に説明する枠組みとして注目を集める。FEPは、生命システムが「驚き(surprise)」を最小化することで非平衡定常状態を維持するという規範的原理であり、そのコロラリとしてのアクティブ・インファレンスは、知覚と行為の循環を数理的に定式化する。

では、両者は整合するのか。より正確に言えば、FEPをエナクティヴィズムと一貫した形で非表象主義として解釈することは可能か。本記事は、この問いを「表象とは何か」の定義的精緻化から始め、理論・数理・実証の三層で検討する。


エナクティヴィズムが批判する「表象」とは何か

表象批判の三つの軸

エナクティヴィズムの表象批判を理解するには、批判の標的を明確にする必要がある。ひとくちに「表象」と言っても、少なくとも三種類の意味が区別できる。

意味論的表象とは、内的状態が「世界がこうである」という内容(content)と真理条件・誤り可能性をもつという強い意味での表象である。エナクティヴィズムが最も激しく批判するのはこの種の表象であり、認知の中核に意味論的内容を備えた内的写像(mental representation)を置く立場への異議申し立てとして展開されてきた。

機能的表象は、内部変数が環境の潜在的因子を追跡し、制御・推定に用いられるという意味での表象である。生成モデルや内部モデルがこれに相当し、エナクティヴィズムとFEPの接合において最も議論の余地がある中間地帯を形成する。

数理的表象は、確率モデルや状態変数が研究者の形式化として「表している」という意味であり、被験者の脳内に同型の内的写像があることまでは含意しない。

エナクティヴィズムの表象批判は主に意味論的表象へ向かうが、FEPの実装語彙(生成モデル・信念・推論)は機能的表象を含意しやすい。この非対称性が、両者の接合の決定点となる。

ラディカル・エナクティヴィズムと感覚運動説

エナクティヴィズム内部にも多様な立場がある。ダニエル・ハット(Daniel D. Hutto)とエリック・マイン(Erik Myin)が提唱するラディカル・エナクティヴィズムは、「基本的心(basic minds)」は内容をもたず、表象操作なしで説明できると主張する。これは意味論的表象の強い否定であり、言語のような高次の能力においてのみ内容が生じるという立場だ。

一方、J・ケヴィン・オリガン(J. Kevin O’Regan)とアルヴァ・ノエ(Alva Noe)による感覚運動随伴性理論は、「見ること」が行為であり、視覚経験は感覚運動随伴性(sensorimotor contingencies)の熟達によって成立すると論じる。内的表象が視覚経験を生成するのではなく、世界そのものが外部記憶として機能しうるという考え方は、意味論的表象への強い批判として読める。

エヴァン・トンプソン(Evan Thompson)が整理するように、マトゥラーナとヴァレラのオートポイエーシス概念は、生命システムを自己生産的な単位として定義し、環境との結合(coupling)を通じた自律性を核に据える。この系譜に立つエナクティヴィズムは、表象を全面否定するというより、説明の単位を「脳内」から「有機体—環境系」へ移すことで、表象中心主義を相対化する傾向をもつ。


自由エネルギー原理の数理的枠組みと表象問題

FEPの階層構造を見落とさない

FEPをエナクティヴィズムと接合する際、最初に押さえるべきはFEPが単一の理論ではなく階層構造をもつという点だ。

第一層は、FEP本体(原理レベル)であり、生命システムが変分自由エネルギーを最小化することで非平衡定常状態を維持するという統計物理・情報理論的な規範原理である。この原理自体は脳に限定されず、自己組織化システム一般に適用可能とされる。

第二層は、アクティブ・インファレンスという計算理論/過程理論であり、FEPを満たすような知覚・行為・学習のアルゴリズムとして定式化される。ここで「信念更新」「生成モデル」「期待自由エネルギー」といった語彙が登場する。

第三層は、予測符号化(predictive coding)などの神経実装候補であり、階層的な予測と予測誤差の交換として脳内回路を説明する。

非表象主義的解釈の可能性は、この三層のどこで評価するかによって大きく異なる。原理レベルのFEPは、生命の自己組織化の規範的記述として非表象主義と整合しやすい。しかし過程理論のレベルでは「信念」「生成モデル」といった語彙が強くなり、表象含意を帯びやすい。

変分自由エネルギーの最小化と生成モデルの位置づけ

アクティブ・インファレンスの核心的な数学的枠組みでは、主体が観測(感覚入力)と隠れ状態をつなぐ生成モデルを保持し、観測に条件づけた事後分布を近似分布で推定する変分推定を行う。変分自由エネルギーは「驚き」の上界として機能し、その最小化が知覚(事後推定)と行為(観測の変更)の両方を統一的に説明する。

ここで問われるのは、この「生成モデル」は表象かという点だ。イェレ・ブルイネベルフ(Jelle Bruineberg)、ジュリアン・キヴァースタイン(Julian Kiverstein)、エリック・リートフェルト(Erik Rietveld)らは、生成モデルを「世界の内的写像」として読む構造表象主義的解釈を退け、有機体—環境系の結合ダイナミクスの記述として再解釈することを提案する。彼らの主張は、FEPがHelmholtz的な「脳内科学者」比喩(無意識的推論)と必然的に結びつくわけではないというものだ。

マックスウェル・ラムステッド(Maxwell J.D. Ramstead)らは、「アクティブ・インファレンスはエナクティヴ・インファレンスである」という主張を展開し、生成モデルや認識密度を「環境の写像としての内的表象」とみなす読みを批判する。しかし、生成モデル概念が残る限り、少なくとも機能的表象(内部状態変数として環境の潜在因子を追跡する)の含意は残存しやすいという指摘も重要だ。

マルコフ・ブランケットは「認識の壁」か「関係の境界」か

FEP議論において、マルコフ・ブランケットは内部状態と外部状態の統計的境界を、感覚状態と能動状態を介して定義する枠組みとして導入される。これを**「認識の壁」として読む内在主義的解釈**は、脳が外界を直接知ることができないという立場と親和的であり、エナクティヴィズムからすれば問題含みとなる。

一方、ブルイネベルフらは、ブランケットを「関係の境界」として読む。この解釈では、ブランケットは有機体と環境を隔てる壁ではなく、感覚・能動状態を通じた統計的結合関係を記述する概念となる。この読解は、エナクティヴィズムが重視する「有機体—環境の循環的結合」と整合的だ。

ただし、ブランケットの形式それ自体はどちらの解釈も許容する多義性をもつため、エナクティヴ読解を主張するには、適用単位の設定(脳ではなく有機体—環境系)と追加的な前提が必要になる。


非表象主義的解釈の四つのタイプと評価

タイプA:生態学的・エナクティヴ読解

最も直接的な非表象主義的読解は、FEPを脳内推論の枠組みではなく、動物—環境系の結合ダイナミクスとして解釈するものだ。この立場はHelmholtz的な「無意識的推論」比喩を退け、知覚と行為の循環を数理的に記述する枠として位置づける。FEPが脳に限定されない規範原理である点を重視し、自律性・ニッチ構築・身体形態の制約を前景化する。

支持としては、FEP原理自体の数学的定式化が脳に固有ではないこと、マルコフ・ブランケットが「関係境界」として解釈可能なことが挙げられる。懸念としては、過程理論の実装語彙(推論・信念)との整合性が依然として問われる点がある。

タイプB:「二つの密度」路線と機能的表象の残存

ラムステッドらの路線は、生成モデルの「構造表象主義的」読みを退けつつも、機能的な内部変数は残存するという立場に相当する。これは「意味論的表象の否定+機能的再解釈」という形で非表象主義を成立させる戦略だが、機能的表象まで否定するラディカルな非表象主義からは距離がある。

タイプC:虚構主義・道具主義的語彙使用

「信念」「表象」といった語彙を実用的に維持しつつ、形而上学的に強いコミットメント(内容の実在)を引き受けない立場である。この戦略は実証的成功を維持しやすいが、ラディカル・エナクティヴィズムが求める「内容なき基本認知」の説明との整合は別途評価が必要だ。

タイプD:論争の診断(概念的暗黙前提の可視化)

ジョヴァンニ・ペッツーロ(Giovanni Pezzulo)とマット・シムズ(Matt Sims)は、FEPが表象主義/非表象主義を「確定」するというより、論争当事者が抱える表象の暗黙定義を露出させると論じる。この診断は、エナクティヴィズムとFEPの概念的すり合わせ作業において最も示唆的な立場であり、「どの表象を標的にしているか」の整理を促す。


実証例から見る非表象主義的解釈の限界と可能性

予測符号化と視覚皮質:誤差最小化は表象を意味するか

ラオ(Rao)とバラード(Ballard)の古典的な予測符号化モデルは、上位からの予測と下位からの残差(誤差)交換で視覚皮質の受容野効果を説明する。FEPの下でこれを再解釈すると、「隠れ原因の推定」として視覚知覚が定式化される。

非表象主義的評価としては、「誤差」「推定」語彙が意味論的内容をもつ表象を意味するかが問われる。制御・安定化のための内部状態変数として読む(機能的解釈)限りにおいては、意味論的表象の否定は可能だ。しかし、機能的表象(環境の潜在因子を追跡する内部変数)まで否定することは困難であり、この点で強い非表象主義には追加論証が要る。

身体所有感とラバーハンド錯覚:多感覚ループの自己整合化

ラバーハンド錯覚(RHI)は、同期視触刺激によりゴム手が自分の身体の一部のように感じられる現象であり、アクティブ・インファレンスに基づく計算モデル(能動成分として錯覚に伴う力の発生など)の研究が進んでいる。

非表象主義的に読む余地は二つある。第一に、「身体所有=内容をもつ内的身体表象の書き換え」ではなく、「多感覚—運動ループの自己整合化(予測誤差最小化)」として扱う読解。第二に、モデルで用いられる生成モデルを研究者の形式化(数理的表象)として位置づけ、被験者脳内の意味論的表象の実在まで主張しない読解だ。ただし、実装では潜在変数(身体位置・所有感に相当する状態)の推定を行うため、機能的表象の含意は強く残る。

眼球運動とロボティクス:行為—知覚循環の数理化

眼球運動制御へのアクティブ・インファレンス適用は、感覚遅延・ノイズ・予測を本質的に扱い、行為と知覚の循環を形式化する点でエナクティヴ読解と親和的だ。ロボティクスへの応用は、何が内部に実装されるかを可視化する利点があり、非表象主義の検討に有益だ。ただし、エンジニアリング実装では生成モデルが明示的に内部に置かれることが多く、機能的表象は強い。「ロボット—環境系」を単位として設計・評価する方向へ進むと、エナクティヴ読解の要素が強まる可能性がある。


エナクティヴィズムとFEPの整合条件:論点の整理

両者の整合において最重要の発見は、「どの表象を否定するか」によって整合の帰結が大きく変わるという点だ。

意味論的表象(内容・真理条件)の否定については、FEPの規範原理レベルと組み合わせれば、整合は比較的成立しやすい。FEP原理は生命の自己組織化として記述でき、Helmholtz的な脳内推論主義と必然的に結びつくわけではない。

機能的表象(制御変数としての内部状態)の否定については、アクティブ・インファレンスの過程理論レベルで実装を試みる限り、内部状態変数が残存しやすく、強い非表象主義の維持は困難だ。

整合が成立しうる三つの条件を整理すると以下のようになる。第一に、FEPを規範原理として位置づけ、認知メカニズムの説明はエナクティヴな制約(結合・技能・ニッチ)で設計する。第二に、生成モデルを「世界写像」ではなく「制御・技能の形式化」として読み、必要なら虚構主義的に語彙を弱める。第三に、適用単位を「脳内」ではなく「有機体—環境系」に設定し、マルコフ・ブランケットを関係境界として扱う。


まとめ:非表象主義的解釈の射程と限界

本記事の分析から浮かび上がるのは、FEPとエナクティヴィズムの接合は「表象主義か非表象主義か」という単純な二択ではなく、表象概念の定義差と説明レベルの区別に強く依存するという点だ。

FEPを「脳内の表象推論理論」と同一視せず、生命システムの自己組織化に関する規範的原理として読むなら、エナクティヴィズムとの整合性は高まる。特に、生物学的自律性・環境結合を重視する系譜(オートポイエーシス、感覚運動随伴性)との親和性は論じやすい。

しかし、アクティブ・インファレンスの実装レベルに降りると、生成モデル・信念・推論という語彙が持つ機能的表象の含意は残存しやすく、ラディカルな非表象主義(内容なき基本認知)とは緊張関係にある。

差別化可能な実証的予測の設計、すなわちモデル比較・介入実験・ロボット実装によって「表象あり」「なし」の帰結が異なるケースを作ることが、この議論を言葉の争いから実証的問いへ移行させる鍵となる。

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