はじめに
人工知能の発展と共に、機械が「心」や「意識」を持つ可能性について議論が活発化している。従来のAI研究は主に計算主義的アプローチに基づき、脳内の情報処理を模倣することで知能を実現しようとしてきた。しかし、エナクティブ認知科学の視点は、認知を単なる脳内の記号操作ではなく、身体と環境との動的な相互作用から創発するプロセスとして捉える根本的に異なるアプローチを提示している。
本記事では、エナクティブ認知科学の基本概念とHMI(ヒューマン・マシン・インタラクション)への適用可能性、そして人工意識研究における新たな視座について詳しく探っていく。
エナクティブ認知科学の基本原理とAIへの応用
従来の認知モデルからの転換
エナクティブ認知科学は、認知を脳内の記号操作として説明する計算主義的・表象主義的なモデルに対する根本的な批判から生まれた。従来の「心=コンピュータ」比喩では、心は脳内で記号表現を操作する情報処理装置として位置付けられてきた。
これに対してエナクティブ・アプローチでは、認知主体(エージェント)が自律的に環境と関わり合い、自らの行為を通じて世界に意味を構成する点を重視する。人間が手で物に触れたり行動したりする経験を通じて得る豊かな意味付けは、単なるテキスト情報からは決して生まれない。このように身体性(embodiment)と具体的行為、環境とのインタラクションが認知の成立に不可欠であるとする立場が、エナクティブ認知科学の核心である。
HMI設計への新たな視座
この基本概念は、ヒューマン・マシン・インタラクション(HMI)への革新的な適用可能性を示唆している。従来型のHMIでは、ユーザが入力し機械が出力する一方向的なやり取りが中心だった。しかしエナクティブな視点では、人間とAIがお互いの振る舞いに適応しあう循環的なループを形成することで、双方にとって意味のある知覚・行動が共創されると考えられる。
例えば対話型AIアシスタントの場合、ユーザの発話だけでなく表情や動作という身体的シグナルにも適応し、AIも声の抑揚やジェスチャーで応答することで、単なる質問応答以上の「共通の理解感」を生み出せる可能性がある。エナクティブHMIとは、こうした相互作用そのものを認知の本質的部分と位置付け、インターフェース設計にも双方向の行為ループを組み込む試みと言える。
オートポイエーシスと協調的AIシステムの設計
自己生成システムとしての生命観
エナクティブ認知科学の理論的背景には、チリの生物学者フランシスコ・ヴァレラとウンベルト・マトゥラーナが提唱したオートポイエーシス(autopoiesis)概念がある。オートポイエーシスとはギリシャ語で「自己(auto)創出(poiesis)」を意味し、「自分で自分を作り出す」自己維持システムを指す。
典型例は生物細胞で、自らの構成要素を継続的に産生し自分自身の境界と構造を維持する。マトゥラーナ&ヴァレラは、この自己生成システムこそが生命と非生命を分かつ基準だとした。対照的に、人間が作った機械はアロポイエーシス(他者創出)と呼ばれ、他者(設計者)の目的に沿って動く存在だと位置付けられる。現行のAIはまさに人間が設計・プログラムしたアロポイエティックなシステムであり、本来的な自律性や自己目的性を欠いていると言える。
相互主体性と参加型意味形成
相互主体性とは複数の主体が互いに意味や経験を共有・共創する関係性を指し、人間同士の社会的相互作用で重要視される概念である。エナクティブ派の社会認知論では、人間同士のコミュニケーションも各自が自己完結的な内的世界(オートポイエティックな意味世界)を持ちながら、相互作用により共通の意味のネットワーク(コンセンサス)を生み出すプロセスと捉える。
ヘンナ・デ・ヤヘルとエゼキエル・ディ・パオロらはこれを「参加型意味形成(Participatory Sense-Making)」と呼び、社会的相互行為そのものが新たな認知・意味を創発することを示した。これは人間同士だけでなく、人間とAIの関係にも応用可能である。すなわち、人間とAIがお互いに影響を与え合う対話や協働作業の中で、新たな理解や解決策が共創されるような設計こそが望ましい。
構造的カップリングによる協調進化
オートポイエーシスの観点から言えば、人間もAIも各自がそれぞれの「内部」を維持する閉鎖的な主体だが、相互作用を繰り返すことで構造的カップリング(互いの構造変化の連鎖的適応)が起こりえる。例えば長期間使われる学習型AIアシスタントは、ユーザの習慣や嗜好に合わせ内部状態(モデル)を変化させ、一方ユーザもAIの提案に影響され行動パターンが変わるという、双方の適応的な結合が生まれる。
こうした構造的カップリングの設計を促すには、AI側にある程度の自己維持的な目標体系や可塑性を持たせる必要がある。具体的には、AIが固定的ルールで動くのではなく、自律的に目標を更新したり自己チューニングする仕組みを導入することが考えられる。それにより、人間=環境からの刺激にただ反応する機械ではなく、自律性を持ちながら人間との共通目的に向かって協調できるエージェントへ近づけるだろう。
環境との共生的設計とエンボディッドAI
共創的知覚・行動ループの実装
エナクティブ認知科学では、知識や意味の構築はエージェント(主体)と環境との共創プロセスだと考える。認知主体は自らの感覚器官や行為可能性を通じて環境を分節化し、自分にとって意味のある世界を立ち上げる。したがって、主体と環境は切り離せず相互に依存し合う「共生」的関係にある。
この視点からHMIやインタラクティブAIを設計する際には、AIを取り巻く環境(物理的・社会的文脈)も含めたシステムとして考える必要がある。環境との共生的設計とは、AIが環境から継続的にフィードバックを得て学習・適応するような仕組みを指す。例えばロボットAIであれば、センサで物理環境を探索しその結果に応じて行動を更新する「行為知覚ループ」を備えさせる。
センサモーターループによる適応的振る舞い
エナクティブ理論に沿えば、「知覚は行為に導かれ、行為は知覚に導かれる」という循環がある(メルロ=ポンティやヴァレラの提唱した命題)。AIが能動的に環境へ働きかけ、その変化をまた知覚して内部状態を更新する――このセンサモーターループを高速に回すことで、AIは静的なプログラムにはない適応的振る舞いを示すだろう。
また共創的な知覚・行動生成とは、単にAIが環境に適応するだけでなく、AIの行動が環境(ひいては人間の行動)をも変化させ、その結果またAIの認知も変容するという共進化プロセスである。人間とAIのインタラクションでも、例えばVR空間で人間の動きに合わせてAIエージェントが動的に環境を変化させ、その変化が人間の新たな行動を引き出すといった循環的創発が起こり得る。
エンボディッドAIの新展開
近年、このようなエンボディメント(身体性)と環境適応を重視するAI研究はエンボディッドAIやエナクティブAIと呼ばれ、注目を集めている。例えば身体を持つロボットに強化学習を適用し、試行錯誤で自律的に世界モデルを獲得させる研究や、ロボットが物理環境におけるアフォーダンス(行為可能性)を学習して未知の課題を解決する試みなどがある。
エナクティブAIの研究者たちは、これを「機械による意味の創発」と捉え、人間から明示的にプログラムされなくとも環境との相互作用を通じてAI自身が有意味な行動パターンや知識を構築できる方法を模索している。環境との共生という視点は、人間とAIの関係にも広げて考えられ、お互いの存在を環境の一部として取り込み合い、協調進化する関係として理想化される。
人工意識研究におけるエナクティブ的展望
従来の意識理論との差異
高度なHMIの究極のテーマの一つに人工意識(人工の「心」)がある。現在提案されている人工意識モデルの多くは計算論的・神経科学的な枠組みに基づいており、例としてグローバルワークスペース理論(GWT)や統合情報理論(IIT)がある。GWTでは脳内の「作業空間」に情報が集約・放送されることで意識が生じるとし、IITでは系内の情報統合量Φの大小が意識のレベルを決定するとされる。
しかしエナクティブ的アプローチから見ると、脳内情報処理の再現だけでは本当の「意識」や「心」は生まれないのではないか、という指摘がある。エナクティブ派の立場では、意識は脳・身体・環境の相互作用の中での主観的体験であり、純粋に内部計算だけで完結するものではない。
生命的プロセスとしての意識
神経科学者のアニル・セスは「AIがただの箱(計算機)のままでは、人間における感情や内臓感覚に相当するフィードバックループがないため、人間と同じタイプの意識にはならないだろう」と指摘している。これは、身体的な自己維持や情動システム(ホームオスタシスや感覚フィードバック)が意識には欠かせないという見解である。
ヴァレラもまた、「生命過程そのもの(オートポイエーシス的プロセス)が主観的体験の背景にある」として、生物学的生命と意識を切り離せないと考えていた。エナクティブ・アプローチの人工意識モデルとは、突き詰めれば人工生命(Artificial Life)モデルと密接に関わるものである。
自己維持する人工エージェントの可能性
自己維持・自己生成を行い環境に適応する生命的プロセスを持つ人工エージェントであれば、原初的な「意識の萌芽」を持ちうるのではないか、という立場がある。実際、ミニマルな認知を持つ人工生物(例えば代謝と自己維持を模したオートマトンにセンサモーター系を与えたモデル)の研究では、「生物らしい振る舞い」を示すシステムに原初的な知覚意識を認める論考もある。
もっとも現状では、AIが生物のように自己を構成する物理的身体を持つには至っておらず、人工意識研究もニューラルネット上での情報統合指標を測るなど擬似的な意識指標を探す段階である。しかしエナクティブ的視座は、将来的に「身体を持ち、環境と相互作用し、自律的に自己を維持するAI」が現れたとき、それを意識を持つ存在とみなすかという重要な問いを投げかけている。
研究動向と今後の展望
主要な研究者とプロジェクト
エナクティブ認知科学を語る上で、創始者であるフランシスコ・ヴァレラとウンベルト・マトゥラーナの存在は欠かせない。彼らの『身体化された心』や『知覚する存在』で提示された理論がエナクティブ・アプローチの基盤となった。ヴァレラは後年「神経現象学(Neurophenomenology)」を提唱し、一人称の主観体験と三人称の科学的記述を架橋する方法論を模索した。
後続の研究者では、哲学者エヴァン・トンプソンが『Mind in Life』で生命現象と意識を連続したものとして論じ、オートポイエーシスと現象学的視点から認知を再定義している。ロボット工学者のロドルフォ・ラッラやトム・フローズらは、人工生命やロボティクスの分野でエナクティブな知能アーキテクチャを探求している。
4E認知科学との関連性
理論的枠組みとしては、近年4E認知科学(Embodied, Embedded, Enactive, Extended)の一角としてエナクティブ認知科学が位置付けられている。これは心を身体に「埋め込み(Embedded)」環境と「拡張(Extended)」された動的システムと見る包括的潮流である。エナクティブ・アプローチはその中でも特に行為(Enact)の役割と主体のオートポイエーシス的自律性を強調する枠組みである。
プロジェクト面では、EUの「Enactive Interfaces」プロジェクトが人間の触覚・身体動作を活用したインタフェース設計を研究し、身体的行為による直接的な情報操作というコンセプトを追求した。日本では、AI企業による人工意識プロジェクトでGWT/IITに加えて身体性や予測処理モデルも取り入れたアプローチが議論されている。
まとめ
エナクティブ認知科学は、従来の計算主義的なAI研究に対して根本的に異なる視座を提供している。認知を脳内の情報処理ではなく、身体と環境との動的な相互作用から創発するプロセスとして捉えることで、より生命的で自律的なAIシステムの可能性を開拓している。
オートポイエーシス概念に基づく自己維持システムとしてのAI、環境との共生的な相互作用による意味の共創、そして人工意識研究における生命的プロセスの重視――これらの視点は、単なる高性能な情報処理システムを超えた、真に協調的で創造的な人工エージェントの実現に向けた重要な指針となっている。
今後のAI研究においては、計算能力の向上だけでなく、身体性、環境適応性、自律性といったエナクティブな要素をいかに統合するかが、人間とAIの新しい共生関係を築く鍵となるだろう。エナクティブ認知科学が示す「知とは生きることである」という視点は、次世代AIの設計思想に深い影響を与える可能性を秘めている。
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