量子コンピュータの計算能力は「並行世界」で説明できるのか
量子コンピュータの驚異的な計算能力はどこから生まれるのか。この問いに対し、物理学者デイヴィッド・ドイッチュは大胆な答えを提示しました。「量子コンピュータは、私たちの宇宙だけでなく、並行する無数の宇宙で同時に計算を行っている」というものです。
この主張は、ヒュー・エヴェレットが提唱した多世界解釈(Many-Worlds Interpretation, MWI)に基づいています。量子力学の解釈問題と計算理論を結びつけたドイッチュの理論は、物理学者や哲学者の間で激しい議論を巻き起こしてきました。
本記事では、ドイッチュの「並行世界での計算」仮説の内容と論拠を整理し、セス・ロイドやA.M.スティーン、アーモンド・ドゥーウェルらによる批判的議論を検討します。さらに、この論争が提起する実在性や因果性の哲学的問題、そして量子計算の本質的理解にどのような影響を与えたのかを探ります。
ドイッチュの「並行世界計算」仮説:なぜ多世界が必要なのか
指数関数的な計算状態の謎
ドイッチュの主張の核心は、量子コンピュータの計算能力が「この宇宙だけ」では説明できないという点にあります。
例えば、300量子ビットの量子コンピュータは2の300乗通り(約10の90乗)の状態を重ね合わせとして保持できます。この数は可観測宇宙の全原子数(約10の80乗)を遥かに上回ります。ドイッチュは問いかけます。「これほど膨大な計算状態を同時に処理できるのはなぜか。我々の宇宙には、これらすべての計算を収容する『場所』が物理的に存在しないのではないか」と。
マルチバースにおける並列計算
ドイッチュの答えは明快です。量子コンピュータは問題を膨大なサブ問題に分割し、それぞれを並行する宇宙(マルチバース)で同時に処理している。各宇宙での部分計算の結果が、量子干渉によって統合され、最終的な答えとして現れる――これが彼の描くシナリオです。
この見解では、量子計算の高速性は「平行宇宙の協力」によるものであり、量子コンピュータの存在自体が多世界解釈の物理的実在性を証明する証拠となります。ドイッチュにとって、量子コンピュータは単なる計算装置ではなく、並行宇宙の存在を示す試金石なのです。
二重スリット実験との類推
ドイッチュは具体的な例として、二重スリット実験を挙げます。一つの光子がスリットAとBを「同時に」通過して干渉パターンを生む現象を、多世界解釈では「一方の経路を進む光子の見えない双子が、隣接する宇宙で他方の経路を進んでおり、両者が干渉している」と説明します。
量子コンピュータも同様の原理で動作すると考えられます。一つの量子プロセッサ内で多数の計算経路が同時並行し、それらが干渉して最終結果を生み出す。エヴェレット-ドイッチュの描像では、「量子プロセスによって分岐した複数の宇宙が一時的に相互作用し、その後デコヒーレンスによって互いに独立になる」とされます。量子計算とは、まさに分岐した並行世界同士の一時的な干渉現象というわけです。
批判の嵐:「並行世界」は本当に必要か
ドイッチュの斬新な主張は、多くの物理学者や哲学者から批判を受けました。
セス・ロイドの反論:一つの宇宙で十分
量子計算研究者のセス・ロイドは、ドイッチュとの公開書簡で次のように反論しました。「量子コンピュータは確かにコヒーレントな重ね合わせ状態を利用するが、それを『多数の世界で同時に計算している』と見る必要はない」
ロイドの論点は明快です。光子が同時に複数の経路を通り干渉する現象を受け入れるなら、量子コンピュータも一つの宇宙内で多数の計算を同時に行っていると考えて何が問題なのか。彼にとって重要なのは量子干渉のメカニズムであって、「多世界」というメタファーは観測されない過程を過度に実在化しているのです。
A.M.スティーンの「一つの宇宙で十分」論
物理学者A.M.スティーンは、論文「A quantum computer only needs one universe(量子コンピュータには一つの宇宙しか必要ない)」で、より技術的な批判を展開しました。
スティーンによれば、量子スーパーポジションは「多数の計算の同時実行」を意味しません。むしろ、エンタングルメント(量子もつれ)による相関情報の効率的操作こそが量子計算の本質です。絡み合った状態が、古典系では実現できない種類の計算プロセスを可能にしているのであり、指数関数的な計算リソースを実際に占有しているわけではないというのです。
哲学者たちの懸念:形而上学的負担
哲学者のスティーブン・サヴィットやチャールズ・セワードも、ドイッチュの議論に異を唱えます。彼らの主張は「観測できない無数の世界を持ち出さずとも、他の解釈で量子計算の速度向上は説明可能ではないか」というものです。
特にアーモンド・ドゥーウェルは重要な指摘をしています。「量子計算の効率性はMWI固有の『世界』概念ではなく、波動関数(状態ベクトル)を実在的とみなすこと自体に依存する」と。つまり、MWIであれ他の実在論的解釈(例えばボーム解釈)であれ、状態ベクトルを実在とみなせば量子計算の説明は可能であり、MWIだけが特権的な地位にあるわけではないのです。
「世界」の定義をめぐる混乱
さらに技術的な批判もあります。スティーンは「量子コンピュータ内では計算過程がコヒーレントに進行しており、デコヒーレンスは起きていない。ゆえに、それぞれの並列計算を『別々の世界』とみなすのは不適切だ」と論じました。
MWIにおける「世界(ブランチ)」は通常、デコヒーレンスによって互いに独立になったマクロ状態を指します。一方、量子計算中の並列状態はあくまで一つの系の中で重ね合わさっており、計算が終わるまで一つの世界線上でユニタリに発展しています。「量子計算は多世界で行われる」という表現は、デコヒーレントではない状態を「世界」と呼ぶ概念的混乱を招くという批判です。
実在性と因果性:哲学的問題の核心
ドイッチュの議論は、量子力学における根本的な哲学的問題に踏み込んでいます。
「見えない計算」は実在するのか
MWIでは、観測されなかった全ての結果に対応する世界も等しく実在すると考えます。ドイッチュはこの立場に立ち、量子計算中に存在する無数の計算履歴(並行世界)も実在すると主張しました。
彼はセス・ロイドへの手紙でこう述べています。「量子コンピュータのレジスター内に特定の値が見えていても、実際には膨大な他の計算が同時に行われていた。それら見えない計算は論理的に最終出力に寄与する以上、実際に起こったと受け入れるしかない」と。
ドイッチュにとって、「我々に直接観測できないから存在しない」と見なすのは独我論に過ぎません。最良の説明が示唆するものは、たとえ観測不能でも実在として受け入れるべきだという科学的実在論の立場です。
反実在論的立場:経験のみが現実
一方、ロイドは直観的な立場を示します。「自分がペンローズの本を読んでいる別の世界の自分など『現実』ではない。現に自分が経験しているこの世界だけがリアルだ」と。
彼はデコヒーレンスの役割に言及し、「観測後、他の分岐世界はもはや干渉できない以上、それらはこの世界に何の影響も及ぼさないし、実在と呼ぶには値しない」と述べています。この立場では、MWIで言う他の枝は「波動関数の形式上の構成要素」に過ぎず、存在論的地位が不確かなものとみなされます。
世界間の因果性は成立するのか
もし量子コンピュータが他の世界で計算を行っているとして、どうやってその結果が我々の世界にもたらされるのかという疑問が生じます。一見すると、世界間で因果的なやり取り(情報伝達)が起きているように思えます。
しかしMWIの枠組みでは、世界間で情報が直接やり取りされることはありません。量子計算の結果は干渉によって現れますが、それはあくまで一つの波動関数がユニタリーに発展した結果であり、「他世界」から情報を持ち込むような因果プロセスではないのです。
ドイッチュ自身も「他の世界との干渉」は認めつつ、それは厳密には一時的に重なり合った同一の波動関数の自己干渉であると説明します。MWIにおける因果性は各ブランチ内部では通常の因果律が成り立ちますが、ブランチ間には直接の因果はなく、あくまで分岐前の共通起源を通じて間接的に影響し合う(干渉縞として結果に現れる)だけなのです。
エヴェレット解釈とドイッチュ:伝統と革新
エヴェレットの「相対的状態」概念
ドイッチュの主張は、エヴェレットの「相対的状態」の概念に強く依拠しています。エヴェレット解釈ではコペンハーゲン解釈の波動関数の収縮を排除し、代わりに宇宙の状態ベクトル(普遍的波動関数)が観測ごとに分岐するとみなします。
ドイッチュはこの考えを支持し、「MWIこそ量子論を哲学的に一貫して理解する唯一の解釈である」とまで主張しました。彼はエヴェレット解釈を「ただの解釈」以上のもの、すなわち量子現実の唯一の合理的説明と位置づけています。
決定論的・実在論的性格の擁護
ドイッチュはエヴェレット解釈の決定論的・実在論的性格を積極的に擁護しました。ブライス・デウィットによって再発見・普及された「多世界」像では、全ての分岐した世界は等しく物理的現実であるとされました。
エヴェレット自身は「自分は他の世界の存在を観測できない以上、それを否定するのは地動説を『地球の動きを感じないから信じない』と言うのに等しい」と述べています。ドイッチュの議論はこれを受け継ぎ、量子コンピュータはまさに他世界の存在を間接的に証明する実験装置だと見なしたのです。
ボルン則の導出への貢献
ドイッチュはエヴェレット解釈に関わる未解決問題、例えば確率解釈(ボルン則)の導出にも貢献しようと試みました。彼はMWIにおける確率の問題を意思決定理論の観点から論じ、いわゆる「ドイッチュ–ウォーレスの導出」として知られるアプローチで、各世界の生起確率を合理的に定義しようとしました。
このようにドイッチュはエヴェレット解釈を忠実に擁護しつつ、その帰結を量子計算や人工知能の話題にまで広げて論じている点で独自性を発揮しています。彼の知的情熱は単なる計算上の比喩に留まらず、量子力学の基礎的なリアリズムを貫徹しようという哲学的動機にも支えられているのです。
量子計算理解への影響:科学と哲学の接点
概念的理解の促進
ドイッチュのMWIに基づく議論は、量子計算の理解や解釈に様々な示唆を与えました。量子アルゴリズムの不思議な動作原理について、多世界解釈は直観的なイメージを提供しました。「並行世界の協調」という図式は、専門外の人々にも量子計算の凄さを伝える比喩として用いられることがあります。
実際、ドイッチュの主張はマスメディアでも取り上げられ、量子コンピュータが「別の宇宙の力を借りて計算している」といった刺激的な表現で語られることもありました(もっとも、そうした表現は専門家には誤解を招くものとして批判されてもいます)。
基礎論研究への刺激
この議論は量子計算と量子力学基礎論の接点に新たな関心を喚起しました。量子計算そのものは解釈に依存せず理論的・実験的に発展していきますが、「計算の本質は何か」という問いにMWI支持の立場から答えようとしたドイッチュの姿勢は、基礎論研究者に刺激を与えました。
例えば、「量子計算の高速性を説明するのに特定の解釈は不要である」ことを改めて示す論考が出たり、逆に「クラスタ状態量子計算ではMWI的描像がさらに分かりにくい」という指摘がなされたりしています。これらは量子計算の哲学的分析と言えるもので、ドイッチュの挑発的な主張がなければ注目されなかった論点かもしれません。
MWI解釈の地位向上
MWIと量子計算の関係に関する議論は、量子論の解釈全般にも影響を及ぼしました。MWIの支持率はかつて低かったものの、近年徐々に正当な解釈の一つとして認識されるようになっています。
その背景には、量子情報分野の発展が量子の不思議を技術的現実として突きつけ、人々に実在論的解釈を再考させた面があります。実際、「量子情報研究者の多くはMWI寄りだ」とも報告されており、ドイッチュの影響も無視できません。
実務と哲学の分離
もっとも、実務的には量子計算の開発・応用においてMWIか否かは問われません。技術者にとって重要なのは計算予測の正確さであり、それはコペンハーゲン解釈でもMWIでも変わらないからです。
しかし長期的視野では、「量子計算をどう解釈するか」は我々の現実観に影響を与える哲学的問いとなります。ドイッチュの議論は極端に見えるかもしれませんが、「計算の背後で何が起きているのか」「物理現象を理解するとはどういうことか」という根源的問題を突きつけています。
まとめ:未解決の問いが開く思索の地平
デイヴィッド・ドイッチュの多世界解釈に基づく量子計算論は、量子力学の解釈問題と計算理論を結びつけた大胆な試みでした。彼の「量子コンピュータは並行世界の協力によって計算している」という主張は、MWIの物理的実在性を示す証拠だと論じられました。
この見解に対しては、セス・ロイドの現実志向的な批判、A.M.スティーンやアーモンド・ドゥーウェルによる技術的・論理的な反論が提示され、活発な議論が展開されました。「他の世界」は果たして実在するのか、因果的役割を果たすのかという哲学的問題は依然解決を見ていません。
しかし、そうした問いを考察すること自体が量子論の深い理解につながります。ドイッチュの立場とエヴェレット解釈との関係を見ると、量子計算という新たな領域が伝統的解釈問題に新風を吹き込んだことがわかります。
結果として、この論争は量子計算の理解に哲学的奥行きを与え、我々の現実観や宇宙観にまで思索を促す契機となりました。量子コンピュータの発展とともに、「計算とは何か」「実在とは何か」という問いは、今後も科学と哲学の交差点で探求され続けるでしょう。
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