AI研究

予測符号化と差延が交わる地平:脳科学と哲学が明かすサリエンスと不在の意味

予測符号化と差延という異色の組み合わせが開く新たな視座

認知科学と哲学――一見すると遠く離れた二つの学問領域が、実は驚くべき共通点を持っています。脳科学の最前線で注目される**予測符号化(Predictive Coding)と、デリダやメルロ=ポンティが提唱した差延(différance)エカル(écart)**という概念は、どちらも「ズレ」「空白」「不在」といった要素が、私たちの認知や意味生成において本質的な役割を果たすことを示唆しています。

本記事では、予測誤差モデルがどのように注意やサリエンス(顕著性)を説明するのか、そして哲学的な差延の概念がいかに意味の生成プロセスを捉えているのかを探ります。さらに、両者をつなぐ鍵となる不在の媒介項という視点から、認知と存在の新たな理解を試みます。


予測符号化モデルが描く脳の世界:予測と誤差のダイナミクス

脳は予測マシンである

予測符号化理論によれば、私たちの脳は単に外界からの情報を受動的に処理するのではなく、常に「次に何が起こるか」を予測し続けています。この予測と実際の感覚入力との間に生じる予測誤差を最小化することで、知覚や行動が導かれるというのが基本的な枠組みです。

Karl Fristonらが提唱した自由エネルギー原理は、この予測誤差最小化を統一的な脳理論として定式化しました。脳は階層的な生成モデルを構築し、上位層から下位層へと予測を送り、下位層から上位層へと誤差信号を返すことで、モデルを継続的に更新していきます。

注意とサリエンスの計算論的理解

ここで重要になるのが精度推定という概念です。すべての予測誤差が等しく重要なわけではありません。脳は文脈に応じて、どの誤差信号が信頼できるか(精度が高いか)を推定し、重要な誤差により多くの処理資源を割り当てます。この精度推定のメカニズムこそが、神経レベルでの注意に対応すると考えられています。

サリエンスとは、この枠組みでは「モデルにとって意味ある誤差」を指します。期待と大きく食い違う刺激は高い予測誤差を生み、システムはそれを顕著なものとして検出します。Andy Clarkが指摘するように、私たちの知覚世界は、脳内の予測モデルが「何を重要で意味あるものと見なすか」によって動的に構成されているのです。

予測処理における暗黙の前提

予測符号化モデルで見過ごせないのは、知覚の背後に潜在変数隠れた原因が仮定されている点です。私たちは「物体は継続して存在する」「光源は上から来る」といった暗黙の前提を持っていますが、これらは通常意識されません。しかし、これらの隠れたモデルが感覚入力の解釈を密かに媒介しており、予測が外れたときに初めて、私たちは驚きや違和感として、その存在を間接的に知ることになります。


メルロ=ポンティとデリダ:差延が示す意味生成のメカニズム

現象学が捉えた「ズレ」の創造性

フランスの現象学者メルロ=ポンティは、人間の知覚体験を分析する中で、主観と客観の間に横たわる微細なズレこそが意味の源泉であることを見出しました。彼が用いた**「エカル(écart)」**という概念は、知覚主体と世界との間に生じる構造的・時間的な隔たりを指します。

私たちが対象を見るとき、それを完全に捉えることはできません。常に何らかの側面が隠れ、何かが見えないままです。しかしこの不完全性こそが、知覚に厚みと展開を与え、新たな意味を立ち上げる可能性を開きます。

デリダの差延:遅延と差異の二重性

ジャック・デリダが提唱した**差延(différance)**は、この発想をさらに推し進めます。差延とは、フランス語の「différer」が持つ二つの意味――「異なる(differ)」と「遅らせる(defer)」――を組み合わせた造語です。

デリダによれば、意味は決して直接的には現れません。あらゆる記号や表象は、他との差異によってのみ意味を持ち、しかもその意味は常に遅延し、決して完全には到達しません。言い換えれば、現在の意味は、それ自体には存在しない「他者との差異の痕跡」によって構成されているのです。

見えるものと見えないもの

メルロ=ポンティは著書『見えるものと見えないもの』で、可視的なものの背後に不可視の地平が不可欠であることを論じました。**見えないもの(空白や欠如)**が、見える世界に意味と連続性を与えている――この洞察は、予測符号化における暗黙の前提と驚くほど呼応しています。


不在の媒介項:認知と意味を裏から支えるもの

直接は見えないが、確かに存在する構造

予測符号化と差延の概念をつなぐ鍵となるのが、不在の媒介項という視点です。これは、直接観察されたり意識されたりしないものの、関係性を密かに取り持っている要素を指します。

予測符号化においては、脳内の生成モデルがこの役割を果たします。私たちは世界の構造を暗黙裡に表現したモデルを持っていますが、それを直接意識することはできません。しかし、このモデルが予測を生み出し、予測誤差という形でその存在を間接的に示します。知覚における「当たり前」として透明化している前提こそが、不在のまま私たちの経験世界を規定しているのです。

デリダの痕跡と不在の他者性

哲学的文脈では、デリダの**「痕跡(trace)」**が不在の媒介項の典型例です。各々の言葉は、他の言葉との違いによって意味を持ちます。したがって、ある言葉は、自身には無い(不在の)他者性を常に引きずっています。

現在語られていない文脈、過去の用法、未来の可能性――これらの痕跡は、その場には現れないにもかかわらず、現在の意味作用を媒介しています。「言われていないもの」が「言われたこと」の意味を支えているという逆説的な構造は、予測モデルにおける暗黙の前提が知覚内容を支える構造と驚くほど相似しています。

主体性の構成における空白

主体性もまた、不在の媒介項によって構成されています。現象学的には、自己は常に世界との関係において生成される過程であり、自分自身を直接に全面的に捉えることはできません。自己意識には常に捉えきれない次元――プレ反省的な身体性、過去の痕跡、無意識的な傾向性――があり、それが自己を自己たらしめています。

予測符号化の観点では、エージェント(主体)は環境との相互作用を予測的に調整する存在ですが、その最適化の基準となる自由エネルギーは、システム内部で暗黙に最小化されます。主体はそれを直接「見て」行動しているわけではありません。主体性もまた、何らかの不在を孕みつつ構成されるのです。


サリエンスの哲学的再解釈:顕著性とは何か

計算論的サリエンスと現象学的意味

予測符号化におけるサリエンスは、高い予測誤差を持つ信号として定義されます。しかし、これを現象学的に再解釈すると、別の側面が見えてきます。

私たちが何かを「顕著」「重要」と感じるとき、それは単に予測から外れているだけではありません。その対象は、私たちの生活世界における意味の網の目の中で、特定の位置を占めています。メルロ=ポンティ的に言えば、サリエンスとは身体的・状況的文脈における「把握可能性(affordance)」の高まりとも理解できます。

ノイズと創造性

興味深いことに、予測符号化モデルにおけるノイズや不確実性は、システムの柔軟性や創造性にとって不可欠です。完全に決定論的なシステムは、新しい可能性を探索できません。適度なランダムネス――つまり予測できない要素――が、学習や適応を可能にします。

これは差延的な思考とも通じます。意味が決して完全には確定せず、常にずれ続けるからこそ、新しい解釈や創造的な意味の組み替えが可能になります。不在や不確実性こそが、変化と創造の源泉なのです。


学際的統合の試み:ニューロ現象学への道

Varelaの先駆的提案

Francisco Varelaらが提唱したニューロ現象学は、フッサールやメルロ=ポンティの現象学的手法と現代脳科学を統合する試みです。この アプローチは、一人称的経験と三人称的な科学的説明の架橋を目指します。

Varelaは**エナクティヴィズム(enactivism)**を提唱し、認知を脳内の表象処理としてではなく、身体と環境の動的な相互作用として捉えました。予測符号化は、この エナクティヴな視点を計算論的に実装する一つの候補と見なせます。

批判的対話の重要性

Shaun GallagherやDan Zahaviといった哲学者は、予測処理仮説に対して現象学の観点から批判的検討を加えています。彼らは、予測符号化が一人称的経験の豊かさを十分に捉えきれていない可能性や、身体性の役割をより深く組み込む必要性を指摘します。

一方、Thomas MetzingerやAnil Sethのように、予測符号化を意識の「制御された幻覚」として説明し、主観的リアリティが脳の生成するモデル産物であることを強調する立場もあります。この視点では、錯覚や空想のように「存在しないもの」が私たちにリアルに感じられる現象が、まさに予測モデルの補完的・補償的作用の結果として理解されます。


具体例から見る不在の力:錯覚と補完

ラバーハンド錯覚と身体所有感

ラバーハンド錯覚は、不在の媒介項の働きを鮮やかに示す実験です。被験者の手を隠し、代わりにゴム製の手を視界に置きます。そして、本物の手とゴムの手に同時に触覚刺激を与えると、被験者は次第にゴムの手が自分の手であるかのように感じ始めます。

これは、視覚と触覚の予測が一致することで、脳が「これは自分の身体だ」というモデルを構築する過程を示しています。実際には存在しない身体部位への所有感――この「不在の身体」が、予測の一致によって主観的にはリアルに現前するのです。

盲点補完と意味の充填

私たちの視野には「盲点」があります。網膜上で視神経が集まる部分には光受容細胞がないため、本来なら視界に穴が開いているはずです。しかし、私たちはそれを経験しません。脳が周囲の情報から盲点部分を補完しているからです。

この補完は、単に「空白を埋める」だけではありません。文脈に応じた意味ある情報を生成しています。デリダ的に言えば、不在の部分が周囲の差異関係から自動的に「意味」を与えられるプロセスと言えるでしょう。


意識と現実:制御された幻覚としての知覚

Anil Sethの「制御された幻覚」理論

神経科学者Anil Sethは、私たちの知覚経験を「制御された幻覚(controlled hallucination)」と表現します。通常の知覚も幻覚も、どちらも脳内モデルが生成する予測です。違いは、通常の知覚では予測が感覚入力によって適切に制約されているのに対し、幻覚ではその制約が弱いか失われているという点です。

この視点は衝撃的ですが、考えてみれば納得できます。私たちが「見ている」色、形、空間――これらはすべて脳が構成したモデル産物であり、外界の物理的性質そのものではありません。予測符号化の枠組みでは、現実とは、私たちの予測が外界からの信号と最もよく一致したときに成立する、一つの仮説なのです。

デリダ的視点からの「現前の脱構築」

デリダは、西洋哲学が「現前(presence)」を特権化してきたことを批判しました。何かが「いま・ここに」完全に存在するという考え方です。しかし差延の論理によれば、現前は常に不在の痕跡によって構成されており、純粋な現前は決して実現しません。

予測符号化における「制御された幻覚」という概念は、まさにこの現前の脱構築を神経科学的に裏付けているように見えます。私たちが経験する「いま・ここ」の現実は、過去の学習(痕跡)と未来への予測(遅延)によって媒介された構成物なのです。


病理と差異:予測の失調が示すもの

統合失調症と予測の崩壊

予測符号化の枠組みは、精神病理の理解にも応用されています。例えば統合失調症における幻覚や妄想は、予測と感覚入力のバランスが崩れ、内部モデルが外部からの制約を受けにくくなった状態として説明できる可能性があります。

自己行為感(sense of agency)の障害――自分の行為なのに他者によるものと感じる――も、運動予測と感覚フィードバックのずれとして理解されています。ここでも**「ズレ」の病理**が問題になっています。

自閉症スペクトラムと予測の硬直性

自閉症スペクトラム障害については、予測が過度に精緻で硬直的であり、予測誤差に対する感度が高すぎるという仮説があります。これにより、環境の微細な変化が過剰なストレスとなり、ルーティンへの強い執着が生じるかもしれません。

メルロ=ポンティ的に言えば、これはエカル(ズレ)への耐性の低さとも表現できます。通常、私たちは予測と現実の小さなズレを柔軟に吸収しますが、その柔軟性が制限されると、世界との関わりが困難になります。


未来への展望:統合理論の可能性

注意と意識のより豊かなモデル

予測符号化に差延や不在の概念を組み込むことで、単なる誤差最小化では説明しきれない創造的側面を記述できる可能性があります。例えば、クオリアの新規性気づきの質的変化といった現象学的に重要な要素を、どう計算論的に扱うかは今後の課題です。

注意の揺らぎ、意識の流れ、瞑想状態における注意の変容――こうした現象を、予測モデルと現象学的記述の対話を通じて理解を深めることができるかもしれません。

エージェンシーと倫理

主体の自己モデルが常に不完全で遅れていること――自分自身を完全には把握できないこと――の意義を再評価することは、倫理的にも重要です。

私たちは自分の行為の理由を完全には知りません。意思決定の多くは、意識的な熟慮の前に、暗黙の予測プロセスによって既に方向づけられています。このエージェンシーの不透明性をどう理解し、どう責任の概念と調和させるかは、現代社会の重要な問いです。

意味生成の進化と発達

乳幼児や動物がどのように世界のサリエンスを学習していくか、そこにどの程度生得的なモデル(不在の媒介項)が存在するのかという問いは、発達心理学と進化生物学の接点です。

予測符号化の視点から見れば、発達とは、より精緻な予測モデルを構築していくプロセスです。一方、メルロ=ポンティの「子どもの世界知覚」の分析は、大人とは異なる意味の地平を示しています。両者の統合は、人間の発達を多面的に理解する手がかりとなるでしょう。


まとめ:非存在による存在の構成というパラドックス

予測符号化と差延という異色の組み合わせを通じて浮かび上がるのは、**「非存在による存在の構成」**というパラドクシカルなテーマです。

私たちが世界に見出す意味や価値、注意を向ける対象の選択――その背後には常に、目に見えない前提、差異のパターン、暗黙の期待が潜んでいます。認知科学は、その隠れた構造を数理的に表現しようとし、哲学は、人間の経験に内在する欠如や余白の意義を掘り下げてきました。

両者の対話から生まれつつあるのは、脳=身体=世界が相互に予測しあい、差異を創り出しあうダイナミクスとしての主体の新たな像です。不在の媒介項としての「差異」や「空白」に目を凝らすことは、認知と存在の秘密に迫る有望な道筋と言えるでしょう。

Fristonの自由エネルギー原理やClarkの予測処理理論に対する哲学的再解釈、あるいはメルロ=ポンティやデリダの思想を現代神経科学に応用する試みは、まだ萌芽的段階にあります。しかし今後さらなる学際的研究が進めば、**「脳が世界をどう立ち上げるか」と「意味がいかにして立ち現れるか」**という根源的問いに対し、統合的で深みのある解答が得られるかもしれません。

生成AIの学習・教育の研修についてはこちら


研修について相談する

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

最近の記事
おすすめ記事
  1. 因果的プロンプトエンジニアリング:LLMの因果推論能力を最大化する実践ガイド

  2. 感情AIと人間の情動表現の変化:認知科学が明かす新たなコミュニケーションの形

  3. マルチモーダル比喩理解の最新研究動向:画像・音声・動画から読み解くAIメタファー解析の最前線

  1. 人間中心主義を超えて:機械論的存在論が示すAI・自然との新しい関係性

  2. AI共生時代の新たな主体性モデル|生態学とディープエコロジーが示す未来

  3. 予測符号化と差延が交わる地平:脳科学と哲学が明かすサリエンスと不在の意味

TOP