はじめに
現代社会において、組織やメディアはどのように自己を維持し、変化に対応しているのでしょうか。ドイツの社会学者ニクラス・ルーマンは、生物学の概念「オートポイエーシス」を社会理論に導入することで、この問いに独創的な答えを提示しました。本記事では、ルーマンのオートポイエーシス理論の基本概念から、組織理論やコミュニケーション研究への応用、そして現代的意義までを体系的に解説します。

ルーマンのオートポイエーシスとは何か
生物学的起源:マトゥラーナとヴァレラの発見
オートポイエーシス(autopoiesis)という言葉は、ギリシャ語の「auto(自己)」と「poiesis(創造)」を組み合わせた造語です。1970年代、生物学者ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・ヴァレラは、「生命とは何か」という根源的な問いに答えるため、この概念を提唱しました。
彼らの観察によれば、生きた細胞は自らの構成要素を継続的に生産し、それによって自己のネットワークを再生産しています。つまり、オートポイエティック・システムとは、外部から既製の部品を組み立てるのではなく、内部の代謝過程によって必要な要素を自己生産するシステムなのです。
この自己生産には「操作的閉鎖」という特徴があります。システムのプロセスは閉じたループを形成し、外部からの影響には反応しますが、外部から直接コントロールされることはありません。同時に、細胞が栄養を交換するように、環境との「構造的カップリング」を通じてエネルギーや物質をやり取りします。
ルーマンによる社会理論への適用
ルーマンは、このオートポイエーシスの概念に、生物学の枠を超えた一般システム理論としての可能性を見出しました。しかし、社会システムは生物ではありません。そのため、ルーマンは重要な転換を行いました。
社会システムが自己生産する基本要素は、細胞でも人間でもなく、「コミュニケーション」であるという主張です。
これは従来の社会学の常識を覆すものでした。ルーマンによれば、人間(生物的有機体)や人間の意識(思考)は、社会システムの内部ではなく、その環境に属します。社会システムの内部にあるのはコミュニケーションであり、それらが相互に関係し合い、さらなるコミュニケーションを生み出すのです。
ルーマンは次のように定式化しています:
「社会システムは、オートポイエティックな再生産の特有の様式としてコミュニケーションを用いる。その要素はコミュニケーションであり、それらはコミュニケーションのネットワークによって再帰的に生産・再生産され、このようなネットワークの外部では存在しえない。」
操作的閉鎖と意味の境界
社会システムも生物システムと同様に、操作的に閉じています。これは、社会システムが自らの過去のコミュニケーションからのみ新たなコミュニケーションを生み出すことができるという意味です。
たとえば、ニュースメディアが出来事に反応する際、その出来事自体が直接コミュニケーションになるのではありません。メディアは、自らの内部構造(ニュース価値、フォーマット、視聴者の期待など)に従って出来事を解釈し、報道という形でコミュニケーション化します。
この過程で重要なのが「意味」の役割です。ルーマンは、社会システムを意味処理システムと捉えました。社会システムの「統一性」とは物理的な境界ではなく、意味の境界によって定義されます。どのコミュニケーションがネットワーク内に含まれ、どれが外部ノイズとして無視されるかは、システムが構築する意味の枠組みによって決まるのです。
コミュニケーションが社会を作る:自己参照的システム
コミュニケーションの三要素モデル
ルーマン理論の核心は、コミュニケーションを「送信者から受信者への情報伝達」という単純なモデルではなく、より複雑な過程として再定義した点にあります。
ルーマンによれば、コミュニケーションは三つの選択から成り立ちます:
- 情報:何を表現するかの選択
- 発話:どのように、なぜ表現するかの選択
- 理解:情報と発話の区別を認識する解釈の選択
これら三つの選択がすべて収束して初めて、コミュニケーションは一つの単位として成立します。重要なのは、この統合は個人の意図だけでは達成されないという点です。
話し手がある意図をもって何かを発話しても、それが社会的コミュニケーションとして成立するのは、聞き手がそれを何らかの形で理解し、さらに反応する可能性が生じたときです。メッセージの実際の意味は、話し手の意図そのものではなく、その後のコミュニケーションにおいてどのように理解されるかによって決定されます。
「人間はコミュニケーションできない」という逆説
ルーマンの有名なテーゼに、こんな挑発的な言葉があります:
「人間はコミュニケーションできない。脳でさえコミュニケーションできない。コミュニケーションできるのはコミュニケーションだけである。」
これは、コミュニケーションが創発的な社会現象であり、単一の行為主体の行為へと還元できないことを意味しています。コミュニケーションは少なくとも二つ以上の観察の相互作用を必要とし、そこには常に予期せぬズレや誤解の可能性が含まれます。
この視点は、「社会とは人間の集合である」という常識的な理解からの転換を迫ります。ルーマンにとって、社会の基本的「細胞」は人間ではなく、コミュニケーション事象なのです。
自己参照と再帰的ループ
あらゆるコミュニケーションは、それ以前のコミュニケーションがどのように理解されたかに依存します。そのため、社会的コミュニケーション・ネットワークは本質的に自己参照的です。
新たなコミュニケーションは常に過去のコミュニケーションを「糧」とし、未来のコミュニケーションの条件を設定します。ある発言は質問への応答であったり、聴衆の既有知識を前提にしていたり、同意や反対を予期していたりします。このようにして、コミュニケーションは再帰的なループの中で互いに結びつきます。
ルーマンの言葉を借りれば、「コミュニケーションだけが、さらなるコミュニケーションを誘発できる」のです。時間の経過とともに、言語、規範、制度といった安定したパターンが出現しますが、これらの構造も、それを用い続けるコミュニケーションによって絶えず再生産されています。
二重の偶有性:社会秩序の起源
ルーマンは、なぜコミュニケーションがこのような形を取るのかを説明するため、「二重の偶有性(ダブル・コンティンジェンシー)」という概念を展開しました。
エゴ(自己)とアルター(他者)が相互作用するとき、双方は相手が何をするか、何を理解するかを確実には知りえません。この相互的不確実性に直面して、人々はコミュニケーションの手がかりと反復的フィードバックを通じて調整を行います。
各コミュニケーション行為は、ある意味を選択し他を排除することで複雑性を縮減し、次の行為の基盤を作ります。これらの選択が反復され、一貫性をもって行われることで、言語ゲーム、役割、規範といった安定した社会パターンが形成され、将来の相互作用における不確実性が低減されるのです。
組織をオートポイエーシスで理解する
組織は「決定」の連鎖である
ルーマンは、企業、官僚制、大学といったフォーマルな組織を、それ自体がオートポイエティックな社会システムとして再定義しました。従来、組織は構造、構成員、目標によって説明されてきましたが、ルーマンは次の問いを立てます:
組織が自己を維持するために、絶えず生産し続ける基本的操作とは何か。
彼の答えは「決定」です。組織とは、決定コミュニケーションのネットワークであり、それが再帰的に新たな決定を生み出します。会議決議、通達、予算承認など、あらゆる決定は孤立した出来事ではなく、先行決定を前提とし、後続決定の条件を設定する連鎖の一部なのです。
ルーマンは皮肉を込めて、組織を「決定機械」と呼びました。相互に結びついた決定の網が、さらなる決定を生み出し続けることで、組織は自己を維持します。
決定コミュニケーションの構造
重要なのは、ルーマンが「決定」を、管理者の頭の中で行われる個人的選択としてではなく、一種のコミュニケーションとして捉えている点です。
決定コミュニケーションは通常、複数の代替案の中から一つを選択したこと、そして他の選択肢が存在していたという事実への言及、さらにその正当化を含みます。たとえば、「我々はプロジェクトYではなくプロジェクトXに投資する。その理由はA、B、Cである」という形で伝達されます。
ここにはパラドックスがあります。決定は、他の選択肢が可能であったことを示さなければなりませんが(そうでなければ決定ではない)、同時に、選ばれた選択肢こそが従うべきものであると納得させなければなりません。
決定前提と不確実性の吸収
後続の決定は、先行決定を既与の事実として扱うことで「不確実性を吸収」します。一度方針が決定されると、その後の議論は、その方針を環境の一部であるかのように前提とします(明示的に再検討されない限り)。
ルーマンの用語では、組織は決定前提を構築します。これは、規則、戦略、構造に関する包括的な決定であり、後続の意思決定を方向づけ、安定化させます。
この考え方は、ハーバート・サイモンの「不確実性吸収」という概念と響き合っています。階層、標準手続、戦略計画といった組織構造は、過去のコミュニケーション(決定)が沈殿したものにすぎず、それが将来のコミュニケーションを導くのです。
組織の境界と自己維持
組織を閉じた決定ネットワークとして捉えることで、ルーマンは古典的な組織論に新たな視点を与えました。組織は目標や資源によって定義されるのではなく、操作的に定義されます。
組織は、自らのコミュニケーション規則に従って決定を生産し続ける限り存在します。
オートポイエティックな循環が崩壊し、決定が新たな決定を生まなくなったとき、組織は存在しなくなります。この視点は、組織の境界が物理的なものではなく、コミュニケーションの境界であることを明確にします。
組織の構成員資格(誰が「内部」で誰が「外部」か)も、そのコミュニケーションが決定ネットワーク内で正当な決定として認識されるかどうかによって決まります。正規の手続きを経て決定された方針は組織の一部となりますが、権限外の者による決定は組織決定として認められません。
マスメディアとオートポイエティック・システム
メディアの自己参照的現実構築
ルーマンのオートポイエーシス理論は、マスメディアの分析にも応用されています。著書『マスメディアの現実』において、ルーマンは、ニュース、テレビなどのマスメディアが、社会の中で独自の二項コード(情報/非情報)をもつオートポイエティック・システムを形成していると論じました。
メディア・システムは、社会を観察し続けながら、何がニュース(情報)であるかを自ら「決定」し、その観察結果を報道という形で社会へと再投入します。この循環過程は自己参照的現実を生み出します。
メディアのコミュニケーションは、他のメディアのコミュニケーション(過去の報道、視聴者の反応、他媒体の言説など)を参照しながら展開されます。既存の話題から新たな話題と注目を生成することで、システムは自己を維持するのです。
ニュースサイクルとアジェンダ設定
定時性と継続性をもつ放送編成は、メディアに対して世界について語り続けることを強制します。この強制が、視聴者や他の社会システムにとっての「現実」を形成します。
興味深いのは、このプロセスの成功が、外部的真理によってではなく、さらなるコミュニケーション(反応、議論、続報)を引き起こすかどうかによって測られる点です。
従来のメディア研究における「アジェンダ設定効果」は、ルーマン理論を用いれば、メディア・システムが自己再生産のために特定のコミュニケーションを再帰的に増幅する過程として再解釈できます。メディアは出来事それ自体によってではなく、自らの構造(ニュース価値、フォーマット、ジャンル)に基づく選択によって作動するのです。
ルーマン理論への批判と論争
存在論的批判:社会は本当にオートポイエティックか
ルーマンによるオートポイエーシスの社会理論への適用は、刺激的である一方、論争も引き起こしました。
マトゥラーナ自身は、オートポイエーシスを社会システムに拡張することに懐疑的でした。彼は、オートポイエーシスは生命現象を特徴づけるための概念であり、社会現象には異なる原理が働く可能性があると主張しました。
ジョン・ミンガーズ(1995, 2002)は「社会システムはオートポイエティックたりうるのか?」という問いを通じて、オートポイエーシスの比喩は有益ではあるが、厳密な意味では、組織はすべての構成要素を完全に自己生産しているわけではないと論じました。組織は依然として人間行為者や物理的資源に依存しているからです。
反人間主義という批判
最も頻繁な批判は、ルーマン理論が反人間主義的であるという点です。人間をシステムの構成要素から排除することで、自由、責任、道徳的行為主体が消去されると批判されました。
ユルゲン・ハーバーマスは、ルーマン理論が相互理解と妥当性要求に基づく規範的コミュニケーションを無視していると論じました。ハーバーマスにとって、真理や合意に志向する相互理解こそが真正なコミュニケーションです。
これに対しルーマンは、理解をあくまで一つの選択的出来事として扱い、それが合意や真理を保証するものではないと考えました。真理や道徳といった概念もまた、機能分化したサブシステム内で構成されるコミュニケーションであるというのがルーマンの立場です。
実証可能性と複雑性の問題
カリン・クノール=セティナは、ルーマン理論は複雑性を扱うと言いながら、個人や具体的相互作用を括弧に入れることで、システムをブラックボックス化していると批判しました。
また、ルーマン理論は高度に抽象的であり、予測理論というより記述的枠組みと見なされることが多いという指摘もあります。擁護者は、これは社会観察のための感受性概念を提供するものだと主張しますが、批判者は用語の過剰さや実証研究での適用の困難さを問題視しています。
まとめ:現代社会におけるルーマン理論の意義
ニクラス・ルーマンによるオートポイエーシスの社会理論への導入は、社会システムとは何かを根本から再構想する試みでした。自己参照的コミュニケーションに分析の焦点を移すことで、組織は自らを「決定し続ける」存在として理解され、社会全体は自己との継続的対話として捉えられます。
この視点は、社会秩序の創発的・過程的性格を明らかにし、組織研究やコミュニケーション理論に新たな記述可能性をもたらしました。同時に、人間行為主体性、身体性、社会と物質世界の関係を再考するよう研究者に迫っています。
社会がますます複雑化し、媒介化される現代において、ルーマンのオートポイエティック・システム理論は、抽象的でありながらも、社会における秩序と変化の共進化を観察するための刺激的なレンズであり続けています。それは、社会を静的構造や個人の集合としてではなく、活発に自己生産するコミュニケーションの網として捉える視点を提示し、今日なお学際的な議論と研究を喚起し続けているのです。
組織のデジタル化、AIによるコミュニケーションの自動化、ソーシャルメディアによる情報の拡散など、現代的な課題を考える上でも、ルーマンの理論は重要な示唆を与えてくれるでしょう。次のステップとして、この理論をどのように実践的な場面に応用できるかを探ることが求められています。
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