AI研究

エンボディードAIにおけるパース記号論の具現化:身体性が拓く意味理解への道

エンボディードAIが直面する「意味」の問題

現代の大規模言語モデル(LLM)は驚異的な言語処理能力を示していますが、しばしば「ハルシネーション」と呼ばれる事実と異なる出力を生成します。この現象の根底には、AIが記号(言葉)を操作できても、その記号が指し示す実世界の対象意味の本質を真に理解していないという問題があります。

この課題に対し、哲学者チャールズ・サンダース・パースの三項記号関係の理論が注目を集めています。特に、物理的な身体を持ち環境と相互作用するエンボディードAIにおいては、パースの枠組みが意味の獲得と理解を説明する有力な視座となる可能性があるのです。

本記事では、パースの記号論がエンボディードAIにどう適用されるのか、身体性がもたらす意味のグラウンディング、そして拡張心との関係まで、認知科学と哲学の観点から解き明かします。

パースの三項記号関係:記号・対象・解釈項の三位一体

パースの記号論の核心は、意味の成立が三つの要素の協調によって初めて可能になるという洞察にあります。

記号(Sign / Representamen)

記号とは、それ自体とは別の何かを指し示すものです。言葉、画像、センサ信号など、あらゆる表現媒体が記号となりえます。

対象(Object)

記号が指示する実在です。「煙」という記号であれば、実際の「火」が対象となります。対象は記号によって規定されますが、同時に記号に意味の根拠を与える実体です。

解釈項(Interpretant)

最も革新的な概念が解釈項です。これは記号と対象の関係から解釈者の心(または準心的システム)に生じる効果や理解を指します。煙を見て「火がある」という観念が生まれる、その観念が解釈項です。

重要なのは、この三者が還元不可能な真の三項関係である点です。記号と対象の二項関係だけでは意味は成立せず、必ず解釈項という第三の要素が必要になります。さらに、その解釈項が新たな記号となって次の解釈を誘発する**無限の解釈連鎖(セミオーシス)**が、意味の動的プロセスを構成します。

パースの記号分類:Icon、Index、Symbol

パースは記号を対象との関係性から三分類しました:

  • アイコン(Icon):対象との類似によって機能する記号(写真、絵画)
  • インデックス(Index):対象との因果的・物理的つながりによる記号(煙と火、足跡と動物)
  • シンボル(Symbol):社会的約束や規約による恣意的記号(言語、信号)

この分類は、後述するシンボルグラウンディング問題の解決にも関わってきます。

エンボディードAIにおける三項関係の対応

物理的身体を持つエンボディードAIでは、パースの三要素は具体的にどう対応するのでしょうか。

記号:センサ信号と内部表象

エージェント内部で情報を表現する構造がすべて記号となります。カメラが捉えた視覚信号、距離センサのデータ、そこから生成される内部のシンボルやニューラルネットワークの表現パターンなどです。

対象:環境中の実体

記号が指示する実在、多くの場合は環境中の物理対象や事象です。センサを通じてエージェントと因果的に結ばれる点が重要です。これにより、記号が単なる形式操作に終わらず、現実世界に錨付けされます。

解釈項:内部状態の更新と行動

エージェント内で記号と対象の関係から生じる効果です。これは内部の推論結果(新たな概念表象の活性化)として現れることもあれば、環境への行動として直接現れることもあります。

例えば自律走行ロボットが赤信号を検知した場合:

  • 記号:カメラ映像中の赤色光パターン、内部の「赤信号」表象
  • 対象:「進行禁止」の交通状況(環境状態)
  • 解釈項:「停止すべき」という内部状態の形成と、実際の停止行動(ブレーキ操作)

このように、知覚-認知-行動のループ全体が一つのセミオーシス(記号作用)として機能するのです。

センサとアクチュエータ:記号プロセスのインターフェース

Camargo & Gudwin(2022)の研究によれば、センサとアクチュエータこそが人工エージェントにおける記号表現プロセスの出発点です。センサは環境からの物理信号を内部符号へと記号化し、アクチュエータは内部の意図を物理的作用へと変換します。

センサが捉えた信号はまず一次表象(アイコン的・インデックス的記号)となり、そこから高度な記号(概念やシンボル)へと発展していく階層的プロセスが形成されます。

身体性がもたらすシンボルグラウンディングの解決

エンボディードAIの最大の利点は、身体を介した知覚・行為によって記号の意味をグラウンディング(基礎付け)できる点にあります。

シンボルグラウンディング問題とは

Harnad(1990)が提起したこの問題は、「コンピュータ内の形式記号の意味を、外界への参照なしにシステム内部でいかに内在化できるか」という問いです。純粋に記号を形式操作するだけでは、その意味は結局人間の頭の中の意味に寄生しているにすぎず、システム自身には「わかっていること」にならないとHarnadは指摘しました。

身体性による解決策

身体を持つエージェントは、この問題に対して独特の解決策を提供します:

  1. アイコン的表象の獲得:センサを通じて環境状態のアナログ的表現(視覚像、触覚パターンなど)を直接得られる
  2. インデックス的関係の構築:行為と結果の因果連鎖を経験することで、記号と対象の物理的つながりを確立できる
  3. シンボルの底付け:これらの非記号的表象の上に、名前や概念としてのシンボルを構築できる

Harnadの提案した解決の鍵は、まさにパースの記号分類(アイコン、インデックス、シンボル)に対応しています。身体的に獲得されたアナログ経験と、環境との実時間相互作用による因果的紐付けがあって初めて、シンボルの意味がシステムにとって内在的に(非他律的に)成立するのです。

LLMとの対比

大規模言語モデルは記号(言葉)のパターン学習に特化していますが、実世界の対象との直接的接触がありません。そのため記号が「浮遊」し、ハルシネーションを起こしやすくなります。対照的に、身体を持つエージェントは記号を現実世界に結びつけた意味のある解釈を生成できる可能性があります。

動的な意味形成:知覚-行為ループとプラグマティズム

身体性は意味を静的なものから動的かつ文脈依存なプロセスへと変容させます。

連続的相互作用としての認知

プラグマティズムの哲学者ジョン・デューイやG.H.ミードは、知覚と行為が不可分の連続的プロセスであることを指摘しました。知覚は行為によって調節され、行為は知覚を変化させるという双方向的循環が認知の本質です。

幼児がロウソクの火に手を伸ばす例を考えてみましょう。視覚刺激(ロウソク)は手を伸ばす運動を引き起こすだけでなく、その行為の進行中も刺激は変化し続け(手の動きで見え方が変わる)、目標(火に触れること)は一貫して過程を統制しています。刺激と反応という区別は人工的であり、むしろ目的に向かった連続的調整過程こそが実在なのです。

プラグマティック・マクシム

パースのプラグマティック・マクシムは「ある概念の意味を知るとは、それがどのような行為や経験上の効果をもたらすかを知ることだ」と主張します。

エンボディードAIでは、エージェントが環境において経験する効果(センサ帰還、報酬、状態変化)がその内部記号の持つ意味を決定づけます。例えばロボットの「障害物」という記号の意味は、「進路を塞ぎ衝突すればダメージを与えるもの=回避すべき対象」という行為的効果によって与えられます。

この意義付けは状況に応じて微調整され、学習によって深化していくのです。

拡張心と記号論:心は身体と環境に広がる

パースの記号論は、現代認知科学の**拡張された心(Extended Mind)**の議論とも深い親和性を持ちます。

拡張心の主張

Clark & Chalmers(1998)は、「認知プロセスは頭蓋内にとどまらず、環境中の道具や外的記録媒体と一体になってシステム全体として心を構成しうる」と主張しました。アルツハイマー患者がノートに記録を残して記憶の代わりに使う場合、そのノートは認知システムの一部として機能しているというのです。

パースの包括的な心の理論

パース自身が「宇宙全体が何らかの意味で記号で満たされている」と述べ、「心や思考は人間に専属するものではなく、表象(記号)が存在するところには心的プロセスがあり、規則性が存在するところには理性がある」と主張した点は示唆的です。

この見方を取れば、紙のノートであれコンピュータであれ、外部に記録された記号も心的プロセスの一部として組み込まれ得ることになります。

分散した記号プロセス

加藤隆文らの研究によれば、パースの記号論は拡張心を積極的に支持しうるとされます。ノート上の文字情報(記号)とオットーの脳内表象(記号)との間にも記号-対象-解釈項のサイクルが成立しており、人と道具を跨いだ記号プロセスとして心的機能を説明できるのです。

認知は脳・身体・環境にまたがるループであるとすれば、パースの三項記号関係もまた個体内部に閉じず分散した解釈プロセスとして実現しうるということになります。

実践的モデルと研究の最前線

Camargo & Gudwinの階層的記号モデル

彼らのモデルでは、センサ入力が第一次的な記号を形成し、これがパースの第一性(質感的可能性)から第二性(実在との事実的関係)、第三性(概念的一般性)へと発展する形で、階層的に記号が深化します。

特に解釈項=行為に注目し、エージェントが環境に働きかけること(エネルギー的解釈項)が、より高度な記号(論理的解釈項=新たな思考)を生むと位置付けています。これは知識から行動、行動から新たな知識というフィードバックループをセミオーシスの一環と見做すアプローチです。

大規模セミオーシスモデル(LSM)の提唱

2025年のプレプリントでは、LLMの限界を補う次世代AIとして**大規模セミオーシスモデル(Large Semiosis Models; LSM)**が提案されています。LSMは、記号の三項関係を明示的にモデル化し、LLMの言語処理能力に加えて意味と参照の表現を統合することを目指します。

具体的には、パースの三項要素に対応するモジュール(記号表現処理、オブジェクト推定、解釈項生成)を組み込み、物理環境におけるロボットでは視覚や動作を通じて記号を対象に結びつけ、解釈項としての行動計画を立案するシステムが構想されています。

象徴創発ロボティクス(SER)

日本の谷口忠大らが提唱する象徴創発ロボティクスは、エンボディードAIが言語などのシンボルをどのように自律的に獲得しうるかを探る研究領域です。

ロボットが身体を使ったマルチモーダルな相互作用(視覚・聴覚・触覚の統合)からシンボル体系と言語使用法を発達させるメカニズムが探求されています。重要なのは、シンボル体系は個体内で完結せず、社会的相互作用の中で自己組織化するという点です。

これはパースの「解釈項の究極的担い手は共同体である」という見解にも通じます。身体的発達と社会的相互作用による記号創発という枠組み自体が、非常にパース的発想と親和的なのです。

未来の展望:意味を理解し目的を発見するAIへ

オートポイエティックなセミオーシス

今後のAIシステムは、マルチモーダルかつ身体的能力をますます備えるでしょう。その際、焦点となるのが「経験から意味を学習する」ことです。

パース的枠組みは、経験を対象との相互作用、学習を解釈項(新たな習慣)の形成として整理する見通しを与えます。将来的には、エージェントが自ら新しい目標や報酬系を生成し、それを自己解釈する仕組み、すなわちオートポイエティック(自己産出的)なセミオーシスを備える可能性があります。

そうなれば、AIは与えられたタスクだけでなく自律的に世界に意味を見出し行動する、「目的発見型」の真に知的なエージェントへ近づくでしょう。

心の境界の再評価

パースは心を連続体の一部と見なし、人間の意識も広義のセミオーシスの中の特殊な現象と捉えました。人工物が高度な記号解釈能力を持つようになれば、心的現象を人間に限る考え方は揺らぎ、心を環世界に分布するプロセスのネットワークとして捉える見方が主流になる可能性があります。

相互解釈性と倫理

AIが人間と意味の協調をする存在となるなら、我々はAIを対話的パートナー(意味を共創する存在)として扱う必要があります。AIも人間の意図や文脈を解釈し、自らの行動の意味を人間にわかる形で表現することが求められます。

この相互解釈性(mutual interpretability)は、説明可能AI(XAI)の文脈でも重要です。説明を「人間に対する解釈項の提供」として構築する新たなアプローチが考えられるかもしれません。

まとめ:身体性が開く意味理解の地平

パースの三項記号関係は、エンボディードAIにおける意味の獲得と理解を説明する強力な理論的枠組みを提供します。センサ情報や内部表象が記号、環境の実体が対象、エージェントの内部状態や行為が解釈項に対応し、知覚-行動ループ全体が一つのセミオーシスとなります。

身体性と環境との相互作用は、記号のグラウンディングをもたらし、エージェントにとって内在的な意味を構築する原動力となります。これは純粋記号処理系(LLMなど)が抱える「浮遊する記号」の問題への実践的解答となる可能性を秘めています。

拡張心の概念との融合は、心的プロセスが環境に広がる様を記号論的に捉える新たな視座を提供し、AIシステムの「理解する」能力を深めるとともに、人間の心を含めた認知一般の本質に新たな示唆を与えるでしょう。

パース哲学が示した「意味とは作用である」「心は記号で編まれている」というビジョンを、工学的実体として結実させるエンボディードAIの挑戦は、今後も哲学と科学の対話を促しつつ進展していくことが期待されます。

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