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多世界解釈と多心解釈の違いとは?決定論vs非決定論で読み解く量子力学の哲学

多世界解釈(MWI)とは何か——決定論的な宇宙像

エヴェレットが描いた「分岐する宇宙」

ヒュー・エヴェレットが1957年に提唱した多世界解釈の核心は、「波動関数は決して崩壊しない」というシンプルな前提にあります。コペンハーゲン解釈では観測のたびに波動関数が一つの結果へとランダムに収縮しますが、MWIはその崩壊プロセスを完全に排除します。

代わりに何が起こるか。宇宙は観測のたびにすべての可能な結果を実現する並行世界へと分岐します。スピンの測定で「上向き」と「下向き」の両方の結果が得られる場合、どちらか一方が選ばれるのではなく、「上向きを見た観測者のいる世界」と「下向きを見た観測者のいる世界」の両方が実在することになるのです。

重要なのは、この分岐プロセス全体がシュレーディンガー方程式に従う完全に決定論的な過程であるという点です。宇宙全体の波動関数(ユニバーサル波動関数)の時間発展にランダム性は一切なく、すべての未来が初期状態から数学的に定まっています。

MWIにおける確率の解釈——主観的自己位置の不確実性

「すべての結果が起こるなら、なぜ私たちは一つの結果しか観測しないのか」という疑問は、MWIに対して最もよく向けられる批判です。

MWI支持者の答えは明快です。観測後、あなたはすでに特定の世界の枝に属する一人となっています。測定前の観測者は「自分がどの枝に行くか」を知らず、その主観的な無知が量子確率として現れるのです。ボルン則(各結果の確率は波動関数の振幅の二乗に比例する)も、この自己位置の不確実性から合理的な信念度として導出できると考えられています。

言い換えれば、MWIにおける確率は客観的な物理過程ではなく、自分がどの世界にいるかを知らない観測者の主観的推測に相当します。

意識と観測者——MWIでの特別でない扱い

MWIでは、観測者や意識に特別な役割は与えられません。観測者も量子系の一部であり、測定に伴って他の物質とともに複製・分岐するだけです。各世界の脳状態に意識が付随するとされますが、意識が波動関数の崩壊を引き起こすような作用は想定されていません。

この点でMWIは徹底した物理主義・実在論の立場に立っています。「見えない無数の世界を仮定するのは経済的でない」という批判もありますが、支持者は「波動関数の崩壊という余分な公理を導入しない分、物理法則の記述は簡潔だ」と反論します。


多心解釈(MMI)とは何か——意識を中心に据えた量子解釈

なぜ「世界」ではなく「心」が分岐するのか

多心解釈は1980年代後半、デイヴィッド・アルバートとバリー・ロウワー(1988年)、そして哲学者マイケル・ロックウッド(1989年)によって提案されました。MMIはMWIと同様に波動関数の崩壊を否定しますが、決定的に異なる点があります。

それは「物理的な世界は一つのままで、分岐するのは観測者の心(意識状態)だけだ」という主張です。MWIが「宇宙全体がコピーされる」とするのに対し、MMIは「宇宙はコピーされず、観測者の意識だけがコピーされる」と考えます。一見小さな違いのようですが、これは意識の役割に関する根本的な哲学的立場の違いを反映しています。

アルバート&ロウワー版MMI——無限の心と確率的分岐

アルバートとロウワーのモデルでは、各観測者には無数(連続体)の心が付随していると仮定します。脳が「スピン上向きを測定した状態」と「スピン下向きを測定した状態」の量子的重ね合わせに入ったとき、それに対応する多数の心がそれぞれ異なる結果を独立かつ確率的に知覚するよう進化するとされます。

このモデルの特徴は、物理的な波動関数の進化は依然として決定論的でありながら、心の分岐プロセスに本質的な確率要素(非決定論)を導入している点にあります。無数の心のうち何割がどの結果を経験するかは、ボルン則の確率に従うよう設定されており、各心の一人称視点では通常の量子確率と変わらない予測が得られます。

しかしこのアプローチは、心という実体を物理的状態とは独立に大量に仮定するため、「事実上の心身二元論ではないか」という批判を受けました。ロックウッドはこの点を「非二元論的と称しながら心的実体を増やしており矛盾している」と指摘しています。

ロックウッド版MMI——物理主義に適合した意識の分裂モデル

ロックウッドはアルバート&ロウワーの問題点を踏まえ、より物理主義的なMMIの構築を試みました。彼のモデル(「瞬間的心ビュー」)では、観測前の観測者は一つの心しか持たず、測定によって脳が量子的重ね合わせに入った瞬間に、その一つの心が複数の心に分裂すると考えます。

ロックウッドが重視したのは「意識状態は量子的重ね合わせにはなれない」という仮定です。脳が「猫が生きている状態+死んでいる状態」の重ね合わせにあるとき、それに対応する意識は「生きている猫と死んでいる猫を同時に見ている曖昧な経験」にはなれず、必ず「生きた猫を見た意識」と「死んだ猫を見た意識」に分裂して別個に存在する、という考え方です。

この枠組みでは、波動関数の進化も心の振る舞いも原理的には決定論的です。すべての結果に対応した意識が実現するため、アルバート&ロウワー版のような「心のランダムな選択」プロセスは必要ありません。確率については、「心の集合に測度を定義し、その割合をボルン則の確率に対応させる」という方法で処理されます。

ロックウッドのモデルはアルバート&ロウワー版より物理主義的ですが、批評者からは「どの物理状態が意識の分裂を引き起こすのかというpreferred basis問題が未解決のまま」「心の測度の正当化根拠が不明確」といった批判が寄せられています。

チャーマーズの視点——情報処理と意識の重ね合わせ

哲学者デイヴィッド・チャーマーズは、MMIの直接の提唱者ではありませんが、意識哲学の観点からエヴェレット的解釈を支持した重要な論者です。彼の議論の要点は、「意識経験は物理的情報処理に付随する」という自身の情報理論的意識観に立つと、量子重ね合わせ状態も複数の意識経験を実現すると考えるのが自然だ、というものです。

例えばある物理状態が「猫を見る経験」を生じさせるなら、その状態と別の状態の重ね合わせは「猫を見る経験」と「別の何かを見る経験」を同時に別個に実現すると考えられます。チャーマーズはこの見方により、波動関数の崩壊なしに各観測者が一意の結果を経験することを説明できると示唆しました。これはロックウッドの多心解釈と本質的に親和的な立場であり、「多重世界は観測者のマインドに内在する」という核心を共有しています。


MWIとMMIの決定論的性質を比較する

波動関数の進化——両解釈に共通する決定論

MWIとMMIはどちらも、宇宙全体の波動関数はシュレーディンガー方程式に従いユニタリに(情報を保存しながら)進化するという前提を共有します。コペンハーゲン解釈が導入する「観測による確率的崩壊」は、両解釈ともに否定します。この点で、基本的な物理法則レベルでは両解釈とも決定論的です。

違いが生じるのは、観測者や意識の記述に踏み込んだときです。

決定論か非決定論か——解釈の分岐点

論点多世界解釈(MWI)多心解釈:ロックウッド版多心解釈:アルバート&ロウワー版
波動関数の進化完全決定論的完全決定論的完全決定論的
心・意識の振る舞い物理状態に付随(決定論的)物理状態に従属(決定論的)ランダムな分岐(非決定論的)
分岐するもの物理的な「世界」観測者の「意識」観測者の「無数の心」
確率の起源自己位置の主観的不確実性心の集合に定義された測度心の無作為な分配頻度
全体としての決定論決定論決定論物理は決定論・心は非決定論

MWIとロックウッド版MMIはどちらも理論全体として決定論的であるのに対し、アルバート&ロウワー版MMIは心の領域に確率的要素を持ち込んでいます。ただし後者でも、その確率過程は観測者が制御できるものではなく、単なる自然の確率過程です。

自由意志と主体性——決定論的解釈の哲学的問題

「すべての結果がどこかの世界で実現するなら、自分の意思決定に意味はあるのか」——この問いはMWI・MMI両解釈に共通して向けられます。

MWIの多くの支持者は両立主義的(compatibilist)な立場を取ります。宇宙全体では全結果が決定論的に実現するとしても、各世界の中では観測者が主体的に意思決定を行っており、その結果として各枝の未来が形成されます。したがって各世界内では自由意志の実践は有意であり、道徳的責任も維持されると考えられます。

また、ショーン・キャロルらが指摘するように「量子の乱数が自由意志を与えてくれる」という発想は根本的な誤解です。自由意志の問題は、物理過程が確率的かどうかという問いとは本質的に別の次元——意思決定の記述レベル——で考えるべきものです。

個人の同一性——分岐が問い直す「私」の連続性

MWIもMMIも、観測者が複数に分岐するという点で個人の同一性に深刻な問いを投げかけます。哲学者パーフィットの議論に従えば、分岐後のそれぞれのコピーは分岐前の「私」と同等に本人であり、「どちらが本当の自分か」という問い自体が無効になります。

ロックウッド版MMIでは、時間の流れの中で心が次々に分裂していくため、「今この瞬間の私」と「次の瞬間の私」の連続性が根本的に問われます。アルバート&ロウワー版では観測前から無数の心が重なり合っているため、「観測前から既に複数の私が存在している」という奇妙な結論になります。

これらはいずれも日常的な自己同一性の直観と大きくかけ離れていますが、MMI支持者は「意識の統一性という直観はそもそも哲学的に根拠が薄く、単なる習慣的思い込みに過ぎない」と反論します。


両解釈の哲学的評価——何を失い、何を得るか

MWIとMMIはどちらも経験的に区別不能であり、量子力学の予測(ボルン則)を等しく再現します。両解釈の選択は実証的ではなく哲学的な問題です。

MWIが「無数の実在世界」というコストを払って物理法則の単純さを守るのに対し、MMIは「物理世界は一つ」というコストを抑える代わりに「無数の実在する心」を認めます。どちらが「より経済的か」は自明ではなく、何を存在論的に許容するかという哲学的立場に依存します。

パピノーらが示唆するように、「意識とは何か」「確率とは何か」という根本問題は量子力学の解釈問題とは独立に未解明のままです。MWIとMMIの対比は、その未解明の問題をより鮮明に浮き彫りにする——それ自体がこれらの解釈の哲学的な価値といえるかもしれません。


まとめ——決定論と意識をめぐる問いの地図

本記事では多世界解釈(MWI)と多心解釈(MMI)を「決定論vs非決定論」の軸で比較しました。要点を整理します。

  • MWIは波動関数の進化・観測者の複製ともに完全に決定論的。確率は「自分がどの世界にいるかという主観的不確実性」として再解釈される。
  • ロックウッド版MMIも理論全体として決定論的だが、分岐するのは「世界」ではなく「意識(心)」であり、物理的世界は一つのまま保たれる。
  • アルバート&ロウワー版MMIは物理過程は決定論的だが、心の分岐に確率的要素を導入しており、心的領域に非決定論を組み込んでいる。
  • どちらの解釈においても、自由意志の問題は確率の有無とは別次元の問題であり、決定打は与えられない。
  • 両解釈の核心的な問いは「物理的な決定論的構造と、一人称的な意識経験をどう調和させるか」という難問に行き着く。

量子力学の解釈問題は、物理学と哲学が交差する豊かな探究領域です。MWIとMMIの比較を出発点に、意識・確率・実在の本質をめぐる問いはさらに深まります。

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