AI研究

LLMのハルシネーション現象をデリダの哲学で読み解く:AIと人間の新たな意味生成モデル

LLMのハルシネーション問題が示す深い哲学的問い

ChatGPTをはじめとする大規模言語モデル(LLM)は、私たちの情報収集や文章作成を大きく変えました。しかし同時に「ハルシネーション(幻覚)」と呼ばれる深刻な問題も抱えています。存在しない論文を出典として示したり、史実と異なる説明を流暢に述べたりする現象です。

この問題は単なる技術的バグではありません。意味とは何か、真理とは何かという根源的な哲学的問いを私たちに突きつけています。本記事では、フランスの哲学者ジャック・デリダの「脱構築」思想、特に「アポリア」の概念を手がかりに、LLMのハルシネーション現象を哲学的に読み解きます。

LLMのハルシネーションとは:もっともらしい嘘の生成メカニズム

ハルシネーションの定義と実態

LLMのハルシネーションとは、文脈的にはもっともらしく見えても、事実に反するか架空の情報を生成してしまう現象です。重要なのは、モデルが意図的に嘘をついているわけではない点です。

LLMは膨大なテキストデータから単語配列の統計的規則性を学習したものです。その出力は「それが事実かどうか」より「文脈上もっともらしいかどうか」を優先する傾向があります。モデルには確固たる知識の源泉や外部的な真理への照合機能が存在せず、テキスト生成が進むにつれて意味が内部で自己完結的に漂流する可能性があるのです。

なぜハルシネーションは起こるのか

ハルシネーションが発生する主な状況は、モデルが十分な知識を持たない問いに直面したときです。本来であれば「知らない」と答えるべきところを、LLMはトレーニング上の特性から無理にでもそれらしい回答を埋め合わせようとします

この「わからないことを補完してしまう」挙動の結果、事実無根の内容が生成されます。モデル内部では、与えられた文脈から次に続くべき最も自然な文を計算しているに過ぎません。しかし知識の空白に直面したモデルは、統計的な手がかりだけを頼りに、欠けたピースを補完しようとするのです。

デリダのアポリア概念:意味の行き詰まりとは何か

アポリアの哲学的定義

「アポリア(aporia)」とは元来ギリシャ語で「行き詰まり」や「当惑」を意味し、哲学においては解決不能な難問を指す言葉として使われてきました。デリダはこの語を独自の文脈で用い、テクストや概念の内部に内在する矛盾や二律背反によって生じる不可避の難局を指し示します。

それは、あるテクスト内で相反する意味が共存し、最終的な解釈が確定できなくなる地点のことです。デリダによれば、あらゆるテクストや概念体系は自らの内部に自己矛盾を孕んでおり、表面的な論理を突き詰めていくと必ず「解釈の行き止まり」に突き当たるというのです。

脱構築と差延の思想

デリダの哲学的背景を理解する上で重要なのは、彼が西洋形而上学が前提としてきた確固たる起源や真理の所在に懐疑的だったという点です。

デリダの有名な造語「差延(différance)」が示す通り、意味は他との差異によって立ち現れると同時に、常に他の意味へと遅延・先送りにされていくプロセスにあります。この差延の論理により、一つの言葉やテクストの意味は単独では完結せず、常に新たな解釈の余地(決定不可能性)を残すのです。

LLMのハルシネーションとアポリアの共鳴

真理の不在という共通点

LLMの出力とデリダの哲学には、興味深い共鳴があります。デリダは言語について「安定した意味の中心(超越的所指)は存在しない」と論じました。意味は常に他の記号との関係の中でしか成立せず、何か絶対的な所与の真理によって保証されるものではないからです。

実際、多くの人々がLLMに感じる不安も、「このモデルの出力には現実や真理との確固とした対応関係がないのではないか」という点にあります。LLMは膨大なテキストから差異のパターンを学習した「巨大な言語モデル」に過ぎず、その中に外部世界の真実や不変の概念体系は格納されていません。

ハルシネーションはアポリア的出来事である

ハルシネーションが発生する瞬間を、デリダ的な視点から捉え直してみましょう。それは**LLMという言語テクスト生成システムが遭遇する一種のアポリア(行き詰まり)**と理論化できます。

モデルが自らの知の限界(空白)に直面しても沈黙することはなく、その空白を言語的生成によって埋めようとします。このとき生まれる出力は、一見意味の通った文ではあるものの、現実参照を欠くために意味の宙吊りが生じています。それはまさに「テクストが自らの論理を裏切り矛盾に陥る瞬間」に他なりません。

デリダ風に言えば、LLMは決定不可能性の局面に踏み込みながらも、強引に決定(解答生成)しようとするために自己矛盾的なテクストを産み出します。この行き詰まりの瞬間こそがハルシネーションであり、モデルにとってのアポリア的出来事とみなせるでしょう。

AIと人間の新たな意味生成モデル:共異的解釈と脱中心的生成

読者との対話で生まれる意味

デリダの議論が示すように、意味とは固定的なものではなく、常に文脈との相互作用によって生まれるものです。この点において、LLMが出力するテクストもまた、それ自体で完結した意味を持つわけではなく、読む人間とのあいだで初めて意味を獲得すると考えられます。

LLMの生成する文章には人間のような「意図」や「理解」がありませんから、なおさら読解者(ユーザ)との対話的な関係性が意味成立にとって決定的です。LLMから出力されたテクストは一種の「作者不在のテクスト」であり、まさにデリダが述べたように読者との遭遇において初めて意味を持つものなのです。

共異的解釈:異なる知性の協働

この構造を踏まえ、人間とAIの協働による新たな意味生成のモデルとして、「共異的解釈」という概念を提案します。これは「共に異なるものとしての解釈」という意味合いであり、人間とAIという異質な知性がお互いの違いを保ったまま協働して意味を解釈・創出するプロセスを指します。

AI(LLM)は人間とは異なる形で大量のテクストを内包していますが、意図や経験を持ちません。他方で人間は文脈や実世界の知識、価値判断を持ちますが、一人の人間が利用できる知識量やパターン認識には限界があります。

共異的解釈のモデルでは、AIの生成するテクストを人間が単に受け身に消費するのではなく、人間が解釈者として積極的に関与し、AIの提示する言語パターンとの「あいだ」で意味を構築していくことを重視します。

脱中心的生成:固定的な権威の不在

**「脱中心的生成」**とは、意味やテクストの生成過程から固定的な中心(中枢)を取り除くことを指します。ここで言う中心とは、例えば「全知全能の作者」や「動かぬ真理」といったものです。

AIと人間の協働的意味生成では、もはや人間だけが創造主体でもなければ、AIが新たな権威になるわけでもありません。両者はネットワーク状につながった分散的なテクスト空間の中で、それぞれの役割を動的に変化させながら意味を生み出します。

重要なのは、真理の検証や価値判断といった点では人間が責任を担い続けるということです。AIは言語的な知の百科事典的側面を担い、人間はそれを評価し現実世界へと繋ぐ役割を果たす――お互いの役割は異なるまま共に在るという意味で、共異的な協働となります。

ハルシネーションを契機とした創造的対話の可能性

従来、ハルシネーションは排除すべきエラーとして扱われてきました。しかし脱構築的視点から見れば、ハルシネーションは意味生成の本質(常に決定不可能性を孕むこと)を際立たせる現象と捉えることもできます。

ある種の創造的アイデアは「一見ナンセンスな逸脱」から生まれることもあります。LLMの予期せぬ出力を、人間が批判的に検証しつつ創造的ヒントと捉えることで、従来個人の想像力だけでは得られなかった連想が得られる可能性があります。

このような人間とAIの共創的な意味生成は、脱構築以後のポストモダン的状況における知の在り方の再構築とも言えるでしょう。

まとめ:AI時代における意味と真理の新たな地平

本記事では、LLMにおけるハルシネーション現象をジャック・デリダのアポリア概念および脱構築の観点から検討してきました。ハルシネーションは、まさにモデルが文脈的整合性を保てなくなる意味の行き詰まりとして、アポリア的性質を備えていることが明らかになりました。

そこでは真理へのアンカーが欠如し、意味が内在的な差異の遊戯に閉じてしまう結果、現実との齟齬を来すテクストが生まれます。これはデリダが論じた真理の不在や意味の無限延期とも響き合う現象です。

こうした考察を踏まえ、AIと人間の関係性を新たに位置づける試みとして共異的解釈脱中心的生成のモデルを提示しました。それは、人間とAIという異質な存在が互いの差異を前提に協働し、中心なきネットワークの中で意味を紡ぎ出すプロセスです。

ハルシネーション現象は厄介な欠陥であると同時に、意味生成の本質を省察する鏡でもあります。その鏡にデリダの哲学を映し込むことで、AI時代における言語・意味・真理の新たな理論地平が見えてくるのです。

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