AI研究

ベルクソンの「持続」が時系列予測AIを変える?哲学と機械学習の新たな融合

ベルクソンの「持続」とは?時間の新しい捉え方

19~20世紀のフランスの哲学者アンリ・ベルクソンは、時間を「持続(durée)」という独自の概念で表現しました。私たちは日常的に時計やカレンダーで時間を測りますが、ベルクソンによれば、それは時間の本質ではありません。真の時間とは、意識の流れとして連続し、質的に変化し続けるものだというのです。

ベルクソンが問題視したのは、科学が時間を「空間のように分割可能なもの」として扱うことでした。秒や分といった均一な単位で時間を区切ると、その間には必ず隙間が生じます。いくら細かく区切っても、点と点の間には隔たりがあり、それでは私たちが実際に経験する「連続した時間の流れ」を捉えきれません。

この哲学的洞察は、現代の人工知能、特に時系列予測モデルに新たな視点を提供する可能性があります。なぜなら、現在主流のAIモデルも、時間を離散的なステップの列として扱っているからです。ベルクソンの「持続」概念を参照することで、より人間の時間感覚に近い、あるいは自然現象の連続性に即したAIモデルの構築が期待されています。

従来のAI時系列予測モデルが抱える「時間」の問題

RNNやTransformerの離散的時間表現

現在の時系列予測AIの主流は、リカレントニューラルネットワーク(RNN)とTransformerです。RNN系モデル(LSTMやGRUなど)は、シーケンスデータを時間順に一ステップずつ処理し、各時刻で内部状態を更新します。Transformerは、ポジショナルエンコーディングという仕組みで系列中の位置情報を認識します。

しかし、いずれのモデルでも時間は暗黙的に「離散的なインデックス」として扱われています。t=1, 2, 3…といった整数カウントで時間を表現し、各ステップは等間隔であることが前提です。これはまさにベルクソンが批判した「空間化された時間」そのものと言えるでしょう。

長期依存と質的変化の捉えにくさ

この離散的アプローチには複数の限界があります。第一に、非常に長い時間スケールでの変化を捉えることが困難です。RNNは勾配消失問題により、遠い過去の情報が徐々に失われていきます。Transformerは長期依存の捕捉に優れますが、事前に決めたコンテキスト長を超える過去には遡れません。

第二に、時間解像度が固定されている点です。多くのモデルは一定間隔でデータが得られる前提で設計されており、実世界の不規則なサンプリング(センサの欠損やイベント駆動型の観測)には前処理で対応するしかありません。

第三に、時間の「質的な変化」を扱えない点があります。人間の意識では、楽しい時間は早く過ぎ、退屈な時間は長く感じられるという主観的な時間の伸縮がありますが、従来のモデルはこうした質的側面を考慮していません。時間を点の列に還元することで、その間の連続的な関係性や文脈的な意味が失われる可能性があります。

哲学からAIへ:ベルクソンの概念を実装する試み

複数タイムスケールRNN(MTRNN)

ベルクソンの哲学を実際のAIモデルに応用する試みも始まっています。その一つが、Burnsらによる「複数タイムスケールRNN(MTRNN)」への適応的時間定数の導入です。

MTRNNは、ニューロンごとに異なる時間変化速度を持たせるネットワークで、高速な動きと低速な動きを自己組織化させます。Burnsらはベルクソンの「記憶には異なる時間尺度がある」という洞察から着想を得て、各ニューロンの時間定数を学習により適応させることで、内的持続のリズムをモデル内に取り込もうとしました。

この階層的時間表現は、人間の記憶構造(短期記憶と長期記憶)を再現しうると論じられており、ベルクソンの記憶理論との類似が指摘されています。速いタイムスケールのニューロンは短期的パターンを、遅いタイムスケールのニューロンは長期的パターンを捉えるという役割分担が生まれ、時間の伸縮を内部で表現できるようになります。

Neural ODEによる連続時間の実現

さらに画期的なアプローチが、Neural ODE(Neural Ordinary Differential Equations)です。これは時間を微分方程式の連続変数として扱うモデルで、離散的な層の代わりに「層幅が無限小のネットワーク」を考えます。

Neural ODEでは、ニューラルネットワークが定める微分方程式を解くことで、隠れ状態を連続時間で推移させます。時間tは連続値として任意の粒度で扱われ、不規則間隔の入力にも自然に対応できます。実際、「Neural ODEを用いると予測が滑らかになり、LSTMでは難しい不規則な時間間隔への柔軟な対処が可能になった」との報告があります。

物体の連続軌道予測や疫学モデルなど、連続的な変化が本質である問題において、Neural ODEは離散モデルを凌駕する性能を示しています。これはベルクソンが求めた「連続する時間の流れ」に一歩近づく試みと言えるでしょう。

最新研究:時間の質的変化を捉える新モデル

Liquid Time-Constant Networks

連続時間RNNの発展形として、Hasaniらが提案した「液体タイムコンスタント・ネットワーク(LTC)」があります。このモデルの特筆すべき点は、時間定数自体を動的に変化させることです。

LTCでは、各ニューロンの時間定数が他のニューロンとの相互作用や入力刺激によってリアルタイムに変わるよう設計されています。いわば「液状の」時間定数を持つことで、ネットワークは状況依存的に反応速度や記憶時間を調整できます。

研究者らは、LTCが従来のNeural ODEよりも高い表現力を持ち、複雑な時系列予測で優れた性能を示すことを報告しています。標準的なRNNやNeural ODEでは追随が難しかった非線形ダイナミクスも、LTCは安定かつ高精度に予測できたとされています。

ContiFormer:連続時間Transformer

TransformerとNeural ODEを融合させた最先端モデルとして、ContiFormer(Continuous-Time Transformer)が登場しています。ContiFormerは、Transformerの自己注意機構にNeural ODE的な連続時間表現を組み合わせ、不規則時系列データに対して優れた予測性能を示しました。

具体的には、時系列の各データ点に連続時間座標を対応付け、注意機構で時間軸上連続的に定義されたクエリ・キー・バリューを関連付けます。こうすることで、非等間隔データにも自然に適用でき、注意機構による長期依存キャプチャと連続時間モデルのスムーズな状態遷移の双方を実現しています。

実験では、螺旋状の連続軌道を不規則サンプリング点から補完・外挿するタスクで、標準Transformerは軌道を滑らかに再現できないのに対し、ContiFormerは真の連続軌道に近い滑らかな予測を生成できることが示されています。さらに、Hawkes過程による時間減衰項を導入することで、古い出来事ほど自動的に重みが小さくなる仕組みも実装されており、「過去の影響力は時間とともに薄れる」という時間的質感を持たせています。

哲学とAIの融合がもたらす未来

ベルクソンの時間論とAIの接点は、単なる技術的改良にとどまりません。哲学者Mark Coeckelberghは、ベルクソンやリクールの時間論を援用し、AIを「プロセス」や「ナラティブ(物語)」として捉え直すことを提案しています。

Coeckelberghは、AIがデータ分類・予測・レコメンデーションを通じて過去・現在・未来を結びつける「タイムマシン」的な役割を果たしていると論じます。このような視点は、AIを単なる静的なモノではなく時間的に展開するプロセスとみなし、人間の時間経験との関係で理解しようという試みです。

また、人工意識の研究において、「時間の主観的体験」をどう扱うかは重要なテーマとなっています。Basgolらのサーベイ研究では、人間の時間知覚モデルとロボット・AIへの実装例が幅広くまとめられており、「時間は認知から切り離せない要素であり、主観的時間を人工知能で再現することが認知科学とAIの双方を発展させる可能性がある」と指摘されています。

さらにユニークな提案として、「ベルクソン的チューリングテスト」という概念も登場しています。これは、人間は純粋持続としての連続時間を生きているのに対し、AIは離散的情報処理しかできないのではないか、もしそうなら時間に関する問いで人間とAIを区別できるはずだ、という発想です。

まとめ:時間を再定義するAI研究の可能性

ベルクソンの「持続」という哲学的概念は、100年以上を経た今、時系列予測AIに新たな視座を提供しています。従来のRNNやTransformerが抱える離散時間表現の限界に対し、Neural ODE、MTRNN、LTC、ContiFormerといった新しいモデルは、連続的で質的な時間変化を捉える可能性を示しています。

これらのモデルは、単なる予測精度の向上だけでなく、AIが内包する「時間の構造」そのものを豊かにする試みです。哲学とAIの対話は、一方では新しいアルゴリズムの着想を生み、他方では人間の時間意識や認知メカニズムの解明にも寄与する可能性があります。

現在のAIは大量のデータからパターンを学び未来を予測しますが、その背景で扱われる「時間」は依然として人間の実感とは乖離した抽象物です。ベルクソン哲学のエッセンスを借りて、時間を単なる変数以上のもの――流れ・持続・質的な変容――としてモデル内に位置づけることで、より人間らしい、あるいはより自然現象の連続性に即した知的システムが実現できるかもしれません。

時系列予測AIの分野では、今後も哲学と技術の融合による革新的なアプローチが期待されます。ベルクソンが投げかけた問いは、21世紀のAI研究者にとっても依然として新鮮で、実践的な示唆に満ちているのです。

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