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ギブソンとマトゥラーナ&ヴァレラの知覚理論を比較:直接知覚とエナクションの本質的違い

はじめに:知覚理論における2つの革命的アプローチ

私たちはどのように世界を認識しているのか。この根本的な問いに対し、20世紀後半の認知科学は2つの革命的な答えを提示しました。1つはJ.J.ギブソンによる「アフォーダンス理論」、もう1つはウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・ヴァレラによる「オートポイエーシス理論(構造的カップリング)」です。

両者は従来の受動的な知覚観を覆し、知覚を環境との動的な相互作用として捉える点で共通しています。しかし、知覚における「媒介性」という観点から見ると、両理論は対照的なアプローチをとっています。本記事では、環境への依存性、主体と環境の相互関係、進化的基盤、情報と意味の生成という4つの視点から、これら2つの理論を詳しく比較していきます。

直接知覚 vs 間接知覚:環境への依存性の違い

ギブソンの直接知覚理論とアフォーダンス

ギブソンは「生態学的知覚論」の中で「直接知覚」という革新的な概念を提唱しました。彼の主張によれば、知覚は環境からの情報を推論によって間接的に構成するのではなく、環境に備わった情報を生体が直接的に検出・ピックアップする過程だと考えられます。

この理論の核心は、環境中には知覚に必要な情報(光学的なパターンや不変量)が構造化されて存在しており、知覚者はそれを媒介なしに取り込めるという点にあります。例えば、光が環境を照らすことで生じる「アンビエント・オプティック・アレイ(環境光学配列)」には不変的な構造情報が含まれており、観察者が身体を動かし環境を探索することで、その不変構造が直接に知覚されるのです。

ギブソンが提唱した「アフォーダンス」は、環境が生物に提供する行為可能性を指します。重要なのは、アフォーダンスは知覚者がそれを認識し行動に移すか否かに関わらず、環境内に実在するという点です。ギブソン自身「アフォーダンスは客観的性質でも主観的性質でもなく、その中間に位置する」と述べ、環境と生物の関係に着目しました。

つまり、ギブソンにとって知覚は環境に既に存在する意味(情報)を直接に捉えることであり、感覚入力を解釈・変換して内部表象を構築するような間接過程を想定しないのです。

マトゥラーナ&ヴァレラのエナクションと構造的カップリング

一方、マトゥラーナとヴァレラが提唱したオートポイエーシス理論(エナクティブ認知科学の先駆け)は、知覚を「エナクション(enaction)」と見なし、環境情報が直接そのまま心に取り込まれるとは考えません。

彼らによれば、生物にとって世界はあらかじめ定まった客観的実体ではなく、生物と環境との相互作用(構造的カップリング)を通じて「立ち現れてくる(bring forth)」ものです。すなわち、環境から生物への一方向的な情報伝達は想定されず、知覚とは主体(オートポイエティックなシステム)が自らの構造に基づいて世界を構成するプロセスとされます。

ヴァレラらは『The Embodied Mind(邦訳:「身体化された心」)』において、「ギブソンが知覚を環境情報の直接的な検出と捉えるのに対し、我々(エナクティビスト)はそれを感覚運動的なエナクトメント(sensorimotor enactment)だと主張する」と明言しています。環境内にあらかじめ存在する意味を受動的に受け取るのではなく、主体の能動的な働きかけによって意味が生成されるという見解です。

この違いを要約すれば、ギブソン理論は知覚における環境からの直接的な与件を強調し知覚の媒介項を極力排除するのに対し、マトゥラーナ&ヴァレラの理論では知覚そのものが主体と環境の相互作用の産物であって、環境情報は構造的カップリングを通じ主体内部で意味付けられると考える点に、根本的な対照があります。

主体と環境の関係性:能動性と相互構成性

両理論の共通点:能動的な知覚観

まず両理論に共通する前提として、知覚主体は環境からの刺激を単に受け身に受容する存在ではなく、環境との間で動的な相互関係を形成するという点が挙げられます。ギブソンもマトゥラーナ&ヴァレラも、従来の受動的な知覚観を批判し、知覚と行為は密接に結びついた能動的過程であるとする点で一致します。

知覚者は身体を動かし環境を探索することで環境情報を取り出す(ギブソン)、あるいは環境に働きかけつつ自己の認知世界を構築する(エナクション)と捉えられ、いずれにせよ知覚は主体と環境の循環的なやり取りの中で成立すると考えられています。

ギブソンにおける相補的関係

ギブソンの生態心理学では、主体(動物)と環境は相補的な関係にあるとされます。環境はアフォーダンスという形で主体にとって意味のある構造を提供し、一方で主体は自身の感覚運動能力を駆使して環境から情報を能動的に引き出します。

知覚は行為を通してこそ成り立つため、知覚者は環境内を動き回り、視点を変えることで環境の不変項を検出します(視覚における探索的行為)。ギブソンはこの過程を「知覚者と環境との共鳴」とも表現し、知覚を単なる入力ではなく環境との同期的な相互作用と捉えました。

重要な点は、アフォーダンスは主体と環境の関係に依存するものの、その関係性は各アフォーダンスが環境側に潜在的に備わる形で成立しているということです。例えば「石は座れる形状をしている」なら、そこに人がいなくとも「座れる」というアフォーダンスは環境の性質として存在すると考えられます。

この意味で、ギブソンは主体と環境の関係を「独立した環境特性」と「主体の効果器能力」のマッチングとしてモデル化しており、環境と主体は相互に補完しあうが、環境側の構造は主体とは独立に現実に存在すると考えます。

オートポイエーシス理論における共進化的関係

これに対してオートポイエーシス理論では、主体(オートポイエティック・システム)と環境の関係はより対等で相互構成的なものとして描かれます。彼らは「構造的カップリング」という概念で、生物と環境がお互いの構造変化を歴史的に規定し合うプロセスを説明します。

例えば蜜蜂と花は長い相互作用の歴史の中でお互いを共同進化的に適応させ合っており、蜜蜂の感覚構造は花の特徴に適合し、花の側も蜜蜂を引き寄せる形で進化しています。このように「結合したシステムは相互の相補的な変化によって互いを共規定する」とされ、環境と主体は一方が他方に先立って固定的に存在するのではなく、相互に相手を作り上げながら存続していく関係にあります。

マトゥラーナとヴァレラは「生物のセンサモーター的構造がその知覚する世界の何を顕著な特徴とみなすかを決定し、同時に生物が持つ自律的な組織(生命維持の構造)によってはじめてその世界を実際に立ち上げることが可能になる」と述べています。環境にどんな意味のある特徴が立ち現れるかは、生物側の構造と活動に深く依存しており、環境それ自体に絶対的な特徴が備わっているわけではないのです。

両者の違いをまとめると、ギブソン理論では主体と環境は互いに切り離せない関係にありつつも、環境側の情報構造が主体に先立って存在し、知覚は主体がその構造に能動的にアクセスするプロセスとみなされます。一方、オートポイエーシス理論では主体と環境は歴史的・構造的に一体不可分であり、知覚される世界の構造そのものが主体の自律的活動と切り離せないと考えられます。

生物学的基盤:進化と認知の起源

ギブソンの生態学的適応視点

ギブソンの生態学的アプローチは、その名の通り生物がその環境(生態系)との関わりの中で知覚能力を発達させてきたという進化的・機能的視点に裏付けられています。彼の理論は心理学における知覚を生物学的機能として捉え直した点で画期的でした。

ギブソンは知覚を光学や生理学にもとづいて説明しようとし、知覚能力が生存に必要な情報を利用するよう進化してきたと示唆しました。アフォーダンス概念も進化論的発想と親和性があり、動物はそれぞれの生態的ニッチの中で生存に適した環境情報を直接に捉える能力を獲得していると考えられます。

例えば、蜜蜂は花の形や色(紫外領域パターンなど)を直接知覚して花粉源を見つけられるよう進化しており、人間は平坦な地面を歩行可能な面として認識できるよう進化してきました。ギブソンの理論そのものは進化生物学の詳細モデルを提示するものではありませんが、「なぜ我々にそのような知覚能力が備わっているのか」を環境適応の歴史によって説明しようとする姿勢が見られます。

マトゥラーナ&ヴァレラの生命=認知アプローチ

オートポイエーシス理論は、認知を生命現象にまで遡って定義する生物学的アプローチです。マトゥラーナとヴァレラは「生命=認識(cognition)」とさえ述べており、最も単純な単細胞生物においても自己を維持する活動それ自体が環境に対する基本的な認知(有意味な応答)であると考えました。

彼らの1970年代から80年代にかけての仕事(『Autopoiesis and Cognition』(1980)、『知識の樹』(1987)など)は、「生物とは自己を絶えず産出する自己完結システムである」(自己言及的・自己維持的なネットワーク=オートポイエーシス)という定義を打ち出し、それに基づいて生物の認知現象を説明しようとするものでした。

オートポイエティックなシステムは自らの構成要素を維持再生産しつつ環境と物質・エネルギーをやり取りする動的な単位であり、そのような自律システムにとって環境との相互作用史がその構造(ひいては知覚の様式)を決定づけます。マトゥラーナとヴァレラは、生物同士や生物と環境の相互選択的な進化にも言及しており、「システム同士の相互作用の歴史を通じて構造的な選択が働き、それぞれのシステムの構造が決まってくる」ことを述べています。

この観点はヴァレラらの後の研究(『Embodied Mind』での「進化的経路づけ」や、E.トンプソンの『Mind in Life』での「エナクティブ進化」概念)にも引き継がれ、認知の進化的連続性(単細胞から人間まで連なるスケールでの認知の自然化)を唱えるものとなっています。

両者とも「認知・知覚を生物学的現象として捉える」点では一致していますが、その位置づけには違いがあります。ギブソンは主に動物の行動と環境との適応的関係に着目し、知覚能力を進化的適応の所産とみなします。一方、マトゥラーナ&ヴァレラは生命そのものに認知の本質を見出し、細胞レベルから認知を論じることで、認知を生命活動一般に通底する原理と捉えます。

情報と意味の生成:表象の有無

ギブソンの環境実在的情報観

ギブソンのアフォーダンス理論は、当時主流であった心の情報処理モデル(計算論的認知モデル)へのアンチテーゼとして位置づけられます。伝統的な情報処理モデルでは、感覚入力(刺激)は心的過程によって処理・解釈され、内部表象に変換されると考えますが、ギブソンはそのような表象媒介的な処理を経ずに知覚は成立すると主張しました。

彼は「環境そのものが意味構造を持つ」と考え、知覚システムはそれに直接同調するだけでよいという立場を取ります。このため、ギブソン理論では「情報」は環境側に実在するものとして扱われます。例えば光学的な不変量やアフォーダンスは、それ自体が意味(行為の手掛かり)を担った情報であり、知覚はその情報をピックアップすることに他なりません。

脳内で計算や記号操作をする必要はなく、環境情報に適切にアクセスすれば行為に直結する知覚が可能だとされます。ギブソンが用いた「情報」という語はシャノン的な抽象情報ではなく、環境に構造化された事実的なもの(たとえば「地面が水平で固い」というような、生物にとって意味を持つ特性)です。

したがって意味の生成は環境–主体系において既に達成されており、脳内で付与される二次的なものではないというのがギブソンの考え方です。結果として、知覚の媒介項となる内部表象や記号処理を仮定しない非媒介モデルがギブソンの理論の根幹となっています。

エナクションにおけるセンスメイキング

オートポイエーシス理論もまた、古典的情報処理アプローチとは一線を画しますが、そのアプローチはギブソンとは異なる角度からです。マトゥラーナは「認知システムはエネルギーや物質のやり取りには開かれているが、情報のやり取りには閉じている」(情報的閉鎖性)と述べており、環境からシステムへの「情報の入力」は起こらないと考えます。

環境は生物に摂動(擾乱)を与えることはできますが、それが生物内部でどのような変化(=意味ある応答)になるかは生物の内部構造が決定するというわけです。この観点では、情報とは観測者が外から見てはじめて意味づけるものであって、システム内部では外界からの単なる因果的攪乱しか起こっていないことになります。

では生物はどのように意味を生み出すのかについて、エナクティブ認知科学では「センスメイキング(sense-making)」という概念が提案されています。センスメイキングとは、生物が自己のオートポイエティックな存続を維持する過程で外界に価値や意味付けを与えることを指します。

例えば細菌が糖の濃度勾配に沿って泳ぐ場合、糖分子自体が「甘い」というタグを付けて情報を送っているわけではなく、細菌の代謝構造にとって糖が栄養という価値(valence)を持つゆえに、その濃度差に反応して行動が誘発されます。このように生物側が自らの基準で環境に意味を見出すプロセスがセンスメイキングであり、これは「環境から情報を受け取って解釈する」のではなく「環境との相互作用を通じて自ら意味を立ち上げる」ことだと定義されています。

したがってマトゥラーナ&ヴァレラの立場では、認知とは情報処理ではなく構造的適合のプロセスであり、意味は生体の自律的活動の中で創発するものなのです。極端に言えば、環境に「本来的な意味」は存在せず(環境は単に物理的背景にすぎず)、意味は常に主体の行為によって産出されるという認識論になります。

情報と意味の捉え方に関して、ギブソン理論は「情報は環境に実在し知覚者に直接提供されるもの」とみなすのに対し、オートポイエーシス理論では「情報は外部から与えられるものでなく、認知システム内で相互作用を通じて成立するもの」とみなします。この違いは「知覚=情報の直接的検出(ギブソン)」 vs 「知覚=主体による世界の能動的な意味付与(エナクション)」とも言い換えられるでしょう。

また両者とも古典的な記号処理的説明を退ける点では一致しますが、ギブソンが環境側に意味の源泉を求めたのに対し、マトゥラーナ&ヴァレラは主体側の自律性に意味の源泉を求めた点で対照的です。つまり、前者は「世界に直接的な意味がある」とし、後者は「意味は世界にはなく生物の側で生み出される」とするのです。

まとめ:2つの理論が示す認知科学の未来

ギブソンのアフォーダンス理論とマトゥラーナ&ヴァレラの構造的カップリング(オートポイエーシス)理論を知覚の媒介性の観点から比較してきました。両者には共通して「知覚は環境との動的な相互作用である」という発想があり、従来の受動的・表象的な知覚観への批判という点で相通じるものがあります。

しかしそのアプローチは大きく異なります。ギブソンは環境に備わる情報の直接性を強調したのに対し、マトゥラーナ&ヴァレラは主体の自律性による世界の構成を強調しました。それゆえ、前者では環境の役割(知覚すべき意味の提供)が強調され、後者では主体の役割(意味を生み出すプロセス)が際立ちます。

また進化・生物学的視点についても、ギブソンが生態学的適応として知覚を説明したのに対し、マトゥラーナ&ヴァレラは生命一般の組織原理から認知を説明するといったスコープの違いがあります。総じて、ギブソンの理論は「知覚の直接性」によって認知モデルの媒介を排した革新的視座を提供し、マトゥラーナ&ヴァレラの理論は「構成的な相互作用」によって認知を生物の自律性に根ざした新たなパラダイムへと導いたと言えます。

それぞれアプローチは異なりますが、いずれも認知科学において情報と知覚の捉え方に革命をもたらした理論として位置づけられます。知覚の媒介性というテーマを通じて両理論を対照することで、それぞれの理論の独自性と限界、そして相補的になりうる側面が明確になったのではないでしょうか。

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